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内部通報UPDATE Vol.10:内部通報窓口は「ビジネスと人権」に関する苦情処理メカニズムたり得るか?


1. はじめに-「ビジネスと人権」への取組の重要性

昨今、ビジネスの世界において強制労働や児童労働といった人権侵害を防止すべくさまざまな取組を推進するという「ビジネスと人権」(Business and Human Rights、「BHR」と略記されることもあります。)の重要性が日本でも相当程度周知され、浸透してきたように思います。

2022年9月13日に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下「人権ガイドライン」といいます。)が公表され、企業のご担当者の方々は、人権方針の策定、人権デュー・ディリジェンスの実施といった人権ガイドラインの要請に対応すべく、検討を重ねていることと思います。人権ガイドラインの詳細については、下記のnote記事をご参照ください。

【参照リンク】
ESG・SDGs UPDATE Vol.7:「ビジネスと人権」の基礎③-「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」の公表

人権ガイドラインが、人権方針の策定、人権デュー・ディリジェンスに並んで要求しているのが、「救済」(人権への負の影響を軽減・回復すること及びそのためのプロセス)という取組です。この「救済」を直接可能とする仕組みとして、「苦情処理メカニズム」が要請されています。具体的には、「苦情への対処が早期になされ、直接救済を可能とするために、企業は、企業とそのステークホルダーに関わる苦情や紛争に取り組む一連の仕組みである苦情処理メカニズムを確立するか、又は、業界団体等が設置する苦情処理メカニズムに参加することを通じて、人権尊重責任の重要な要素である救済を可能にするべきである。」とされています(人権ガイドライン5.1)。苦情処理メカニズムの詳細については、下記のnote記事をご参照ください。

【参照リンク】
ESG・SDGs UPDATE vol.10:「ビジネスと人権」の基礎⑤-苦情処理メカニズムとは?

その要請に応えようと考えつつ、1から仕組みを作ることの難しさに悩み、既存の内部通報窓口にその機能を持たせるというアイディアに至ることも考えられるところです。

もっとも、内部通報窓口と苦情処理メカニズムは、似て非なるものであり、両者を一緒くたに考えるべきではありません。

本稿では、公益通報者保護法に基づき整備された内部通報窓口を念頭に、苦情処理メカニズムとの相違点を説明した上で、既存の内部通報制度が苦情処理メカニズムを兼ねることの問題点や両者のすみ分けについて解説します。

2. 苦情処理メカニズムの要件

人権ガイドラインは、苦情処理メカニズムの利用者の範囲に関し、「苦情処理メカニズムの利用者は、自社の従業員等に限られるべきではなく、自社によって負の影響を受け得るステークホルダーを対象とすべきである。したがって、取引先の従業員・労働組合や、事業活動によって影響を受ける地域住民等も含まれる。なお、国連指導原則に則り、国際的に認められた人権に係る負の影響について申立を受けることができる制度とすべきである。」と説明しており(人権ガイドラインQ&A No.14)、これを忠実に遵守しようとすると、「自社によって負の影響を受け得るステークホルダー」全てが利用できるメカニズムの構築が必要となります。

また、人権ガイドラインは、「苦情処理メカニズムは、利用者が苦情処理メカニズムの存在を認識し、信頼し、利用することができる場合に初めてその目的を達成することができるものである。」との理由で、苦情処理メカニズムとしては、以下の8要件を満たすべきであると述べています(人権ガイドライン5.1)。

3. 内部通報制度との相違点

(1)制度の目的

内部通報制度の目的は、企業の法令遵守の推進自浄作用の発揮といった点にあると考えられています。「公益通報者保護法に基づく指針(令和3年内閣府告示第118号)の解説」2-3頁においても、「事業者における内部公益通報制度の意義」として、「事業者が実効性のある内部公益通報対応体制を整備・運用することは、法令遵守の推進や組織の自浄作用の向上に寄与し、ステークホルダーや国民からの信頼の獲得にも資するものである。また、内部公益通報制度を積極的に活用したリスク管理等を通じて、事業者が適切に事業を運営し、充実した商品・サービスを提供していくことは、事業者の社会的責任を果たすとともに、ひいては持続可能な社会の形成に寄与するものである。以上の意義を踏まえ、事業者は、公正で透明性の高い組織文化を育み、組織の自浄作用を健全に発揮させるため、経営トップの責務として、法令等を踏まえた内部公益通報対応体制を構築するとともに、事業者の規模や業種・業態等の実情に応じて一層充実した内部公益通報対応の仕組みを整備・運用することが期待される。」との解説がなされています。

他方、苦情処理メカニズムは、苦情への早期対処により、「直接救済を可能とするため」のものと考えられており(人権ガイドライン5.1)、救済(人権への負の影響を軽減・回復すること及びそのためのプロセス)がなされることが目的と考えられています。

内部通報制度が対象としている法令違反等の行為が必ずしも人権への負の影響をもたらすものではない場合もあることからも明らかなとおり、内部通報制度と苦情処理メカニズムの目的の違いは、両者の具体的な要件・手続・効果等に差異をもたらすことになります。

(2)制度を利用できる者

内部通報制度を利用できる者については、会社の内部通報規程によってさまざまです。公益通報者保護法の定める通報主体は、①労働者、②退職後1年以内の労働者、③役員ですが、退職後1年以内という限定を付さないケースや、取引先従業員や労働者の家族を通報者に含むケース等もあり得るところです。

他方、苦情処理メカニズムを利用できる者は、上記のとおり、自社の従業員等に限られるべきではなく、自社によって負の影響を受け得るステークホルダーを対象とすべきとされており、取引先の従業員・労働組合や、事業活動によって影響を受ける地域住民等も含まれると解されています。

内部通報制度の通報主体を広く定めている企業においても、あらゆるステークホルダーを含めているケースはほとんどないと思われるところ、通報主体の広さという点で、内部通報制度と苦情処理メカニズムとの間には大きな差異があります。

(3)対象となる事実

内部通報制度の通報対象事実についても会社の内部通報規程によってさまざまです。公益通報者保護法上は、対象となる法律(及びこれに基づく命令)に違反する犯罪行為もしくは過料対象行為、または最終的に刑罰もしくは過料につながる行為が通報対象事実とされていますが、法令違反全般や社内規程違反を通報対象として定めているケースも少なくないと思います。さらに、コンプライアンス違反や企業倫理違反といった事項も広く通報対象としている企業もあります。

他方、苦情処理メカニズムの対象となる事実は、国連指導原則に則り、国際的に認められた人権に係る負の影響について申立を受けることができる制度とすべきとされている上、法令違反か否かを問わず、人権への負の影響が生じるおそれのある行為は苦情として申し立てることができると考えられます。また、人権への負の影響が発生する場所は、自社のみならず、取引先・サプライチェーン等も含まれ得るため、その意味でも対象事実の範囲は広くなります。

(4)制度が具備すべき仕組み

公益通報者保護法および「公益通報者保護法第11条第1項及び第2項の規定に基づき事業者がとるべき措置に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針(令和3年8月20日内閣府告示第118号)」に基づく内部通報制度に関しては、さまざまな仕組みを整える必要があります。具体的には、従事者の定め、組織の長その他幹部からの独立性の確保、公益通報対応業務における利益相反の排除、公益通報者への不利益な取扱いの防止、範囲外共有の禁止等を適切に制度に落とし込んだ上でそれを内部規程として定めることが必要です。

他方、苦情処理メカニズムは、上記の8つの要件(正当性、利用可能性、予測可能性、公平性、透明性、権利適合性、持続的な学習源、対話に基づくこと)を充足することが求められています。これらの要件は、公益通報者保護法や指針の要請とは毛色の異なるものも多く、両制度の間には大きな差異があります。

4. 既存の内部通報制度が苦情処理メカニズムを兼ねることの問題点

(1)苦情処理メカニズムの要件不充足のおそれ

上記のとおり、公益通報者保護法を前提とする内部通報制度と苦情処理メカニズムとの間には大きな差異があり、両者の要件は一部が重複しているにとどまります。

仮に、既存の内部通報制度の仕組みを変えずに、強引に苦情処理メカニズムも兼ねるという立て付けにしてしまった場合には、できあがった制度は苦情処理メカニズムの要件を充足しない不十分なものとなってしまいます。

(2)ワークフローが混乱するおそれ

上記(1)の事態を避けるべく、既存の内部通報制度に苦情処理メカニズムの要件を組み合わせた仕組みを作ろうとした場合、通報や苦情を受け付けてから対応を完了するまでの一連のフロー・流れに混乱が生じるおそれがあります。

内部通報制度のもとでは、大まかに言うと通報を受け付けた後に調査を行い、調査の結果法令違反等が認められた場合には、是正措置を講じるというフローが想定されていますが、苦情処理メカニズムではこのフローのとおりには進まないことが多いと考えられます。例えば、苦情処理メカニズムにおいては、ステークホルダーとの協議や対話等、そもそも内部通報制度のフローには通常登場しないプロセスが想定されています。また、取引先における人権侵害疑惑が論点となっているなど社内調査のノウハウが通用しない事案や、特にサプライチェーンにおける問題など自社の取組のみでは是正が困難な事案についても、対応しなければなりません。仮に、人権への負の影響についても、内部通報制度の中で苦情処理メカニズムの要件を満たしながら対応する仕組みを無理やり作ろうとすると、内部通報制度が重層化・複雑化し、フローに混乱を来すおそれがあります。

(3)人的なリソース不足・キャパシティオーバーのおそれ

上記(2)とは別の懸念として、既存の内部通報担当部署が苦情処理メカニズムを兼ねる仕組みとした場合、担当者は通常の通報窓口業務に苦情処理メカニズムに対応する業務も加わることになるため、単純計算で仕事の量が増えることになります。そうすると、通報や苦情の数や内容によっては、人的なリソース不足が発生することが懸念されます。

また、内部通報に対応するためのスキルと苦情処理メカニズムを運用するためのスキルは同一ではなく、特に取引先への調査要請等については内部通報対応業務従事者のキャパシティを超えてしまうおそれがあります。

5. 内部通報制度と苦情処理メカニズムのすみ分け

以上のとおり、内部通報制度と苦情処理メカニズムは異なる制度であり、両者を一本化することにはさまざまな弊害や懸念が想定されるため、少なくとも両制度を安易または強引に統合することはお勧めできません。

では、どうすればよいのでしょうか?この点について、あらゆる企業に当てはまる最適解はなく、リソースや既存の内部通報制度の仕組みに照らして、自社に適したすみ分けを考えていく必要があります。

例えば、内部通報制度と苦情処理メカニズムを完全に異なる制度と整理し、各々のプロセスを定めた社内規程を整備した上で、担当部署も分けるという方法が考えられます。この方法は、制度間の混乱や担当者への業務集中を避けられるというメリットがある反面、利用者(特に両制度を利用可能な従業員等)にとっては、どちらの制度を利用するかが分かりにくくなるというデメリットがあると考えられます。このデメリットを回避すべく、両制度のすみ分けについて、研修等で周知していくことが重要となります。

別の方法として、内部通報制度と苦情処理メカニズムの各々のプロセスを定めた社内規程を整備し、仕組みとしては別物と整理した上で、同一の担当部署が2つの制度を運用するという方法も考えられます。この方法は、担当部署が同一であるため、利用者の通報や苦情の初期的な交通整理がしやすくなるというメリットがある反面、担当部署の負荷が高まるため、人的・物的リソースの確保、専門家の助言等を踏まえたノウハウの蓄積・強化等の手当てを検討する必要性が高いと考えられます。


Author

弁護士 坂尾 佑平(三浦法律事務所 パートナー)
PROFILE:2012年弁護士登録(第一東京弁護士会所属)、ニューヨーク州弁護士、公認不正検査士(CFE)。
長島・大野・常松法律事務所、Wilmer Cutler Pickering Hale and Dorr 法律事務所(ワシントンD.C.)、三井物産株式会社法務部出向を経て、2021年3月から現職。
危機管理・コンプライアンス、コーポレートガバナンス、倒産・事業再生、紛争解決等を中心に、広く企業法務全般を取り扱う。

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