妹からチョコをもらいたい兄がいてもいい(短編小説)
*
世間はバレンタインデー一色に染まっていた。
「チョコ、か……」
そう呟いて、僕はスマホの画面を閉じる。
毎年この日が近づくと、なぜか憂鬱な気分になる。
理由はわからないけれど、とにかく気が重いんだ。
「さて、準備しないと……」
気怠い身体をベッドから起こして、大きく伸びをする。
今日は二月十四日だ。
いつも通り授業を受けて、放課後にはバイトに行かなければならない。
僕はベッドから起き上がると、パジャマから制服へと着替える。
それから部屋を出てリビングへと向かった。
「おはよう、お兄ちゃん」
リビングに入ると、妹の天音が朝食を摂っていた。
彼女は中学三年生で、僕と同じ中高一貫校に通っている。
「おはよう、天音」
僕は軽く挨拶を済ませると、洗面所に向かって顔を洗う。
そしてそのまま台所に向かうと、冷蔵庫を開けた。
中から牛乳を取り出すと、コップに注いで一気に飲み干す。
「ぷはっ……やっぱり朝はこれに限るね!」
牛乳を飲み終えると、僕は空になったコップを流し台に置いて再びリビングに戻る。
すると、天音が僕の方をジッと見つめていた。
「……どうしたの?」
僕がそう尋ねると、天音はゆっくりと口を開く。
「ねぇ、お兄ちゃん。今日ってなんの日か知ってる?」
「えっ? うーん、なにか、あったっけ?」
「はぁ……やっぱり忘れてるんだ」
そう言って、天音は呆れた表情を浮かべる。
どうやら、なにか大切なことを忘れてしまったらしい。
だけど、いくら考えても思い当たる節はなかった。
「ごめん、なんだっけ?」
「もうっ! 本当に忘れちゃったの!? 今日はバレンタインデーだよ!!」
「……あっ、そうだった!」
言われて、ようやく思い出す。
そういえば今日はバレンタインデーだった。
だから朝から憂鬱な気分になっていたのか。
「まったく、これじゃあ、わたし以外にチョコをくれる女の子なんていないんじゃない?」
「うっ……それは言わないでよ」
痛いところを突かれて、思わず顔が引き攣ってしまう。
実際、今まで学校で一度もチョコをもらったことがないのだから。
「まぁ、お兄ちゃんは、いつまでも、わたしのお兄ちゃんでいてね。ということで……はい、これ」
そう言うと、天音は鞄の中から小さな箱を取り出して僕に渡してきた。
可愛らしい包装紙に包まれた小箱だ。
「これは……?」
「とぼけないでよ。チョコレートだよ。いつもお世話になってるから、そのお礼」
「あ、ありがとう……!」
「それじゃあ、わたしは先に学校に行くから」
「うん、行ってらっしゃい」
僕は笑顔で手を振って、玄関へと向かう天音を見送った。
「さて、さっそく食べてみるか」
リビングに戻ると、僕はテーブルの上に置いてあった箱を手に取る。
包装紙を丁寧に剥がして蓋を開けると、中にはハートの形をしたチョコレートが入っていた。
「いただきます」
一口食べると、口の中に甘い味が広がる。
それと同時に幸せな気持ちになった。
やはり甘いものを食べると心が落ち着くなぁ。
それからしばらくチョコレートを堪能した後、僕も出かける準備を始めた。
制服に着替えたあと、カバンを持って家を出たのだった。