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旧エヴァ、シンエヴァにおける「家族ゴッコ」について。

 そろそろ、ネタバレを多少含んだタイトルでもいいかなぁという頃合いだと思うんですが、なんか問題あったらご指摘ください。後、まだTV版見返せてなかったので、細かいセリフ、事実関係に間違いがあるかもです。

もちろん、ネタバレあります!!

ミサトさんの大失敗

 さて、「家族ゴッコ」という言葉は、旧エヴァとシンエヴァ両方において共有される大事な要素となりました。

 旧エヴァにおいて、シンジとアスカ、ミサトは共同生活を送るようになります。しかし、ご存じの通り、物語後半でそれは崩壊します。その時、ミサトが発した言葉が「家族ゴッコもここまでか・・・」でした。


 最初は楽しかったはずの葛城家がどんよりとしていくのは、心苦しかったですよね。誰が悪いと言えば、まぁミサトさんが悪い。

 ミサトさんはあの家では父親役であり、母親役も居ず、そして自身も親、大人としても未熟であったため、どうすることも出来なかった。これはシンエヴァにおいて、率直に言ってしまえばリョウジくんを育児放棄したことにも繋がってくる部分だと思います。
 贖罪的な意味だけでなく、自分には父親も母親も無理だと思ったのかもしれません。


 旧エヴァは基本的に機能不全の家庭で育った人達が失敗をする物語です。だから、旧エヴァは本質的に「家族」というものを描くことはできませんでした。

シンエヴァにおける家族ゴッコ

 シンエヴァのジブリ然としたAパート、第三村編の印象が強いですが、大事なのは間違いなく、その後のケンスケ邸でのシークエンスです。あの村ではシンジは救えなかったでしょう。シンジを救ったのは他ならない、ケンスケとアスカでした。

 ケンスケ邸のシーンって何がスゴイのかっていうと、旧エヴァで出来なかった「家族とはなんぞや」ということをエヴァのキャラを使って、エヴァらしく描いていることだと思います。しかも、旧エヴァと対比させるような「家族ゴッコ」で。

 ケンスケが父親役で、アスカが母親役です。シンジはそのままに傷ついた子どもです。


 アスカと言えば、旧作で印象的なセリフがあります。生理に苦しみながら、女子トイレで吐き捨てる「子どもなんていらないのに!」という強烈なセリフ。なぜならアスカ自身が子どもであり、ママに甘えたいのだから、そりゃそうだよなって。


 シンエヴァでアスカは、シンジについて「あの年頃の男に必要なのは母親よ」と言います。これはもっともなド正論であり、流石は精神年齢アラサーのアスカ。で、アスカはアスカなりに頑張って、シンジの母親役を務めようとします。

 あんなに旧作でママを求め続けていたアスカが、不器用ながらにも母親役をやろうとするのは感動的ですよね。シンジに無理やりレーションを食べさせる姿は、ご飯食べない子どもにキレるおかん、そのもの。

 アスカは結局、アスカなのだけれど、どんなにキレ散らかしても、シンジを見捨てない姿勢は、成長と年月の経過を感じさせます。


結局、ケンケンがスゴイ!

 そして、アスカがそんな風に立ち回れたのも、ケンケンがいてこそです。ケンケンが居たからこそ、「家族ゴッコ」が成立しました。 
 ケンケンの何が素晴らしいって、旧エヴァで大人達が全然やれなかったことをほぼ一人でやっているんですよね。おいっ!ゲンドウ、テメーーだよ!

 ゲンドウ(まるでダメなお父さん)が放棄した、シンジにとっての父親役をケンケンは立派に努めます。釣りをやらせてみたり、失敗しても慰めたり。もしかしたら、有名なゲーム版でのゲンドウとシンジの釣りEDを示唆しているのかもしれません。


そっとしてくれる父親、見捨てない母親

 まさか、エヴァで「家族ゴッコ」で、理想的な家庭、親の姿がエヴァ的に描かれるとは・・・。

 ケンスケは優しいけど、シンジを突き放す所は突き放して、自分で立ち上がることを待つ。アスカは、シンジを厳しく叱るけど、決して見捨てない。

 エヴァでこんなドラマが見られるなんてね・・・、という感じで、エヴァは終わったのだけれど、シンエヴァは語れる所、語るべき所に満ちた作品だと思い、その一端が今回の記事となりました。



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