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私の事⑤

訪れていただきありがとうございます。

ここから先は、ご興味ある方のみ

お読みください。

*ご気分を害す記述があるかもしれませんので

ご了承ください。

前回からの続きとなります。

当然のように手紙の返事を書かずにいた数か月後・・・

施設から一時帰宅をすることになったのです。

親と同じ屋根の下で過ごすなんて二度とごめんだ!!!

と思っていたけれど

とりあえず、帰宅することにした。

「もしかしたら・・・・」

何かを期待していたのかもしれない。

でも・・・

期待していたことは何もなかった。

だから、また家を飛び出し施設に入るまで付き合っていた

彼の元へ逃げた。

しばらく、施設に戻ることなく過ごしていたけど

結局、探され見つかり連れ戻された・・・

施設で怒られたが、どこか【安心】している自分がいた。

きっと、あの時の居場所は他のどこでもなく施設の中にあった。

施設に戻って、しばらく

母からの手紙が届いた・・・

「一時帰宅の時、一緒に居てあげられなくてごめんね。

本当は一緒に買い物に行って

普通の母娘のように過ごしてあげるつもりだった」

今更、なに言っても遅い!!

自宅に帰った私を待ち受けてたのは

自分の部屋がなくなっていた現実・・・

狭くても唯一の居場所だった場所

何故?なんで?

まるで、二度と帰ってくるなと言わんばかり

そして、当然のように仕事に行く・・・

【たった一泊二日の帰宅】

【孤独】

を再認識するための帰宅だったのか?

「つもりだった・・・」

いい加減にしてほしかった。

何もできないなら、帰宅を希望して欲しくなかった。

そして、決意して「帰ってみます」って言わなきゃ良かった。

惨めな思いをするだけだったから。

そのあとは、自宅に帰ることなく

退園の日まで施設で過ごした。

施設を出てからは

住み込みで温泉街の観光ホテルの仲居として働きました。

派遣の仕事で工場勤務もしました。

夜の商売も・・・

そして、一度目の結婚と出産。

私にとって、初めての結婚生活は第二の地獄でした。

元旦那は事あるごとに、自分の母親に相談し

お金に困ると母親から貰い

自分の子供なのに子育てにあまり参加してくれず

文句は言う・・・

離婚を決めたとき、子供は自分が引き取るつもりで

話をしていたけれど、元旦那の義両親に

「若い子が一人で育てられるわけない!」

と半ば強引に親権は元旦那へと渡りました。

離婚後、一度だけ会えることになった時

「ママは一緒に帰らないの?」

と言われたことを忘れたことはありません。

でも、自分の意思で会う事は出来ないので

もう十数年会っていない。

その子供は、もう高校2年生・・・

どんな風に成長しているのか・・・

忘れられないけど、会えないのにウジウジしていても

前に進めない!と心を鬼にして

25歳で今の主人と出会うまでがむしゃらに働いてました。

今は、二度目の結婚生活で授かった

3人(娘&双子の男の子)の子育てに奮闘してます。

さて、長々と書いてきましたが

決して作り話ではなく、経験してきたことです。

この場では、はっきりと書けない言葉もありました。

こんな経験をした私ですが

実は現在、母親との関係は修復しています。

それは何故か?

次に書きます。

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