為せば成る?
高校の門を入ってすぐのところに横長の丸い形の石碑があった。
そこには校訓が彫られていた。
『為せば成る』
当時はその言葉を素直に信じていたように思うし、深く考えたこともなかった。
「無理だと思うようなことでも頑張ってやれば出来るんだよ!」と生徒に向かっての励ましだろう。
自分だけが聞いていた時には何でもなかった言葉だが、就職して子供たちを指導する立場になってからは『為せば成る(頑張れば出来る)』は安易に使う言葉じゃないなと思っている。
頑張れる子や頑張る力があるのにサボってる子にはいいかもしれないが、ギリギリでやってる子に『為せば成る』は「あなたが出来ないのは頑張りが足りないんだよ!」って聞こえて追い詰めてしまう。
それこそ先日書いた『十人十色』じゃないけど、性格も能力もみんな違ういろんな子供たちがいるわけで、どんなに頑張っても出来ない子もいるのが現実だ。
結果が出るに越したことはないが、たとえ出来ていなくても頑張ってる子にはその頑張っている姿を、その過程を認めて褒めてあげたい。
ジャンルを問わず一流の人たちは、凡人からは想像も出来ないくらいの圧倒的な努力があると思う。
そんな人にとっては『為せば成る』はその通りだ。
そこそこ器用に何でもこなすタイプの一般人も、為せばそこそこ成ってしまうだろう。
多くの子供たちを見ていて思ったのは、能力も違えば環境も違って『為せば成る』が当てはまらない子もまあまあな数がいるということ。それは大人にしても同じだ。
叱咤激励された方が力が出る子にはいいが、ガラスのメンタルの子にはかなり厳しい言葉なのだ。
トップに砂浜の写真を載せたのだが、人も砂浜の砂の粒と同じようなものだと思ったから。
見た目は同じようでも全く同じなんてない。中にはキラキラしたシーグラスも混じっているが、人間界ならそれこそそれはほんの一握りのスーパースターたちだ。
ほとんどの人は普通の砂。どんなに頑張ってもシーグラスにはならない。素材が違うのだから。
石ころだって同じだ。
ダイヤモンドやエメラルドの原石なんてほんのひと握り。そのひと握りの原石が圧倒的な努力をして初めて一流になるのだ。
ほとんどの人は普通の石ころ。
丸くて可愛い石ころもあれば、尖ってカッコいい石ころもある。同じ丸い可愛い石ころにだっていろんな色や形がある。でも、どんなに磨いてもダイヤモンドにはならない。
頑張るのが悪いことではないので、可愛い丸い石ころに磨きをかけてもっと可愛くするのはいいことだけど、ダイヤモンドを夢見て磨かせるのは残酷だなと思う。
『為せば成る』より『成るように成る』って構えてた方が人生よっぽど楽しく過ごすことができると思う。
決してゆるく暮らしている自分に対する自己肯定のために言ってるのではない。
・・・ということにしておこうw
自分は『成るようにしか成らない』と思って過ごしているから、こんな呑気な人生を送っているんだろうなとは思うw
自分の人生だもん、必死に生きるもよし、ゆるくのんびり生きるもよし。
思い詰めてる人には伝えたい。
為しても成らない事も多々あるよ!
そんな日本語あるのか知らないけどw