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「孤独」を救うものはなにか。『文豪ストレイドッグス STORM BRINGER』~感想日記~
あらすじ
太宰治とともに『荒覇吐事件』を終息させ、ポートマフィアに加入して1年。
幹部の座を狙う中原中也の前に現れたのは、中也を弟と呼ぶ暗殺王ポール・ヴェルレエヌだった!
「お前の心に関わる人間を、全員暗殺する」
彼の計画を阻止するため、中也は欧州の人造知能捜査官・アダムと手を組む。
それは横浜をふたたび呑みこむ嵐の予兆。
中原中也とは一体“何”なのか。射干玉の闇に包まれた過去の真実が今、明らかになる――!
感想(ネタバレあり)
呆然としています。
とんでもない。
読了してすぐの今の私の状態を言い表すとするならば、「宇宙猫」状態。または、「無量空処をくらった時の漏瑚(呪術廻戦を参照)」状態。
まさに嵐が過ぎ去ったあとのような。
とにかく、呆然としています。
読んでて汗とか涙とか、いろんなもんが出ていったよ。感情ジェットコースター。
文ストはどの話もそうかもしれないけれど、物語を追っているこちら側の一番深く繊細な部分までもがむき出しにされ、さらけ出されるような感覚。
でも、大嵐が吹き荒れた後、最後に残ったのはまぎれもなく「愛」。そう思える一冊、ひと嵐でした。
今作は「太宰、中也、十五歳」の後編作でもあり、前編では死んでいたはずのヴェルレエヌの登場から物語が展開していきます。
このヴェルレエヌが異国からやってきた理由は中也と共に旅に出るためだったわけですが、その行動動機の深いところにあるのは人造異能生命体として生みだされたことによる「孤独感」でした。
「思うに―――人間は、"孤独"という言葉を、安易に使いすぎる」
「人は、真の孤独について何も知らない。彼等は、家族がいないとか、話し相手がいないとか、そういう状態のことを孤独だと思い込んでいる」
「真の孤独とは宇宙を飛ぶ、ひとりきりの彗星だ。周囲には真空。絶対零度の虚無。誰かに見てもらえる可能性も、誰かに近づいてもらえる可能性もない。何万年も続く寒々しい無音」
この「孤独感」を分かち合えるのは中也だけだと、ヴェルレエヌはそう言って中也を迎えに来たわけです。
「羊」のリーダー時代の中也なら、いざ知れず。
ポートマフィアで「家族」を見つけた中也とヴェルレエヌでは、見えている世界が違った。
ヴェルレエヌの「孤独感」は、自身の存在が人間でないことから来ており、中也も自身の存在が人間なのか人造異能生命体なのか調査し続けてきたわけですが、物語終盤、アンドロイドのアダムと中也はこんな会話をします。
「寝てようが起きてようが、そいつは普通の人間だよ」中也はどうでもよさそうに云った。
「異能は強いが、それだけだ。怒ったり悩んだり……本人はそれだけじゃ不満らしいが」
その台詞を聞いて、アダムはじっと中也を見た。それから微笑んで「その通りです」と云った。
「どうやら辿り着くべき結論に辿り着かれたようですね」
ここ、ハイライト。
ヴェルレエヌも中也も、誰よりも怒り、悩み、誰よりも人間らしかった。
そしてアンドロイドのアダムですらも、"己の心に従え"というプログラムにより、自分の意思で、自分を犠牲にしてでも中也と人類を守ることを選んだ。
―――『貴方を守れるのです。当機はそれで満足ですよ』
(略)
人間には魂がある。機械には魂がない。
だとしたら、魂が何だというのか。友人の最後の言葉。あれが魂のない指示式から出た言葉に過ぎないのだとして、だから何だというのか。
「だから何だというのか」と言えるあっけらかんさとハートの熱さ。そこには確かに、血の通ったあたたかさ、しっかりとした体温、熱量がある。中也の人間らしさ、アツさを一番感じた場面だったし、ヴェルレエヌの抱える「孤独感」に対する「結論」もここにあったように思う。人造異能生命体だろうが人間だろうが、アンドロイドだろうが。「だから何だというのか」。そうして、ヴェルレエヌの抱えた苦悩を乗り越えた中也だからこそ、彼と向き合うことができた。
それでも中也がその苦悩と葛藤を乗り越えられたのには、やっぱり仲間たちの存在が大きかったわけです。
「自分は一人では生きているのではない」という感覚。
中也にも、世界や人間を憎む気持ちがないわけではない。しかし中也は、ヴェルレエヌよりも数多く、「自分は一人で生きているのではない」という経験を得ていた。ヴェルレエヌよりも中也の方が、憎しみを抱かないでいられる相手、大切な存在、仲間と言える人間が、多かったのだ。
そして、ヴェルレエヌにとってのその相手とは、ランボオただ一人だった。ランボオも、ヴェルレエヌに自身の全てを与えた。
大嵐が吹き去った後に残るむき出しの愛。
最後には、その愛によってヴェルレエヌの心が救われた。
中也が数多くのあたたかさに囲まれていた一方で、
ヴェルレエヌはランボオという唯一にして超特大特級の愛を手にしていたんだなあ、と。
孤独な心を救うものはやっぱり「愛」とか「絆」なのだろうけれど、それが人生にどのように、いつ、どのくらいやってくるかは分からないものだ。けれどそこに優劣も勝ち負けもない。きっと誰の人生にも、それぞれの形で「愛」や「絆」が存在する。それに気づき、受け取り、支えられ、それを大切にできる人生は、幸せなものだと思う。そういう人生を送りたい。
この物語は私に、「孤独」と「愛」について、より広くて深い価値観を与えてくれたように思う。
ありがとう、中也。ありがとう、ヴェルレエヌ。ありがとう、朝霧カフカ先生!!!
あとこれは余談。中也の出身が「山陰地方の温泉街」ってなってましたが、これは「アラハバキ」伝承と古代出雲のつながり系のアレなんでしょうか。
アラハバキとか魔獣ギーヴルとかいう規格外すぎる存在同士の戦闘をアンドロイドアダムさんが的確に実況説明してくれるの、非常に面白かったですし、そこらで思考回路はショート寸前になり宇宙を彷徨いかけました。量子とか時空の話とか、興奮と情報過多とで爆上がり、真冬なのに、読んでる最中超暑かったです。
……っていうかこちら、アニメ化はされていないけれど舞台化はされているみたいで……って、マ……??? これをメディア化すること自体、想像を絶するけれども、これを演じていらっしゃる人間様が存在するの……???この、感情ジェットコースターを???中也さん、物語のほとんど瀕死状態で戦闘してましたけど……?「中也は咆哮した」って文章が数えきれないくらい出てきてましたけど……??これを生身で演じた人々がいたの……???
文ストのもつ引力にどんどん惹きつけられ沼にずぶずぶ引きずり込まれ、幸せいっぱいな私。他の文庫本も、文ステも、履修するのが楽しみなのでした……。ああ幸せ……。
追記:
ふと思ったのですが、山陰地方の温泉街で中也が「監視」していた老夫婦が仮に中也の肉親だとして、かなりの高齢出産ということになりますよね。あり得なくはないけど。また男性が軍関係の経歴を持っているというのも気になります。中也が幼い頃、肉親のもとからどんな経緯でNや研究所へ移ったのか、疑問が残ります……