青学初等部。異色の学び舎での思い出。

先日noteで、小学校受験、中学受験なんて、親のエゴだ。また目的のない高校受験、大学受験も無意味である、という投稿をしたばかりだが。

今日は、小学校受験して入った青学初等部は最高だったよ、というお話。笑

ずっと継続して私のnoteまたはFacebook投稿を読んでくださってる方からの「なに一貫性のない事言ってんねん!」というツッコミは大いに受けたい。笑

ただ、私の中では青学初等部の思い出と体験だけは別格で。楽しかったし、とても有難い経験だったのだ。

これまで教育という文脈においても、青学初等部のことを語って来なかったけど。

先日青学初等部の同窓生3人で飲んだときに、青学初等部での体験がいかに自分たちの人生に影響を与えているか、ということで盛り上がり。改めてスゴイ学校だったのだな、という振り返りが出来たわけ。

この青学初等部の体験型授業の原型を創ったとされるのが、この伊藤朗先生。

私達の年代だと、小学校1〜2年生の頃まで初等部長をされていたのかな。(2〜3年生の頃に定年で退職されたはず)

とにかく明るい先生で。生徒たちにも大人気。

会うと手を握って「ハンドパワー!」と言って、エネルギー(気)を送ってくれるので、よく休み時間には先生の前に行列が出来たものだ。

退職される際には、多くの生徒が悲しんだし、確かM下君という私の同窓生は泣いていた覚えがある。

私がいま40になって教育を志すようになって、色んな教育に関する情報をインプットしている中で。

上の伊藤先生の記事を読むと。
素晴らしい考え方と理念だと改めて思う。

少し引用する。

「子どもの教育は家庭でも、社会でも行われなければならないし、けっして学校だけがひとりじめにするものではないのである。学校以外のところで学びとったものが、学校教育の中で十分に生かせるのであり、学校は子どもたちに時間を返すことによって、子どもが自ら学ぶという学習態度が身につくのである。我々はもう“小人閑居すれば不善をなす”(注:「つまらない人間が暇でいると、ろくなことをしない」の意味)との妄想から解放されなければならないのである。(中略)学校とは、たんに教えたり、教えられたりすると言うよりむしろ児童に動機づけをするところ、チャンスを与えるところであり、それをきっかけに興味をもった子ども自らが学んでいくところとなるのである。そのとき学校はまさしく先生と子どもとの出会いの場となるのである。そこで真の人間教育、感じる教育、考える教育、行動する教育を実践したのである。」

『信仰の盾にまもられて 青山学院初等部五十年のあゆみ』(青山学院初等部 1987年)

この理念のもと、学校ならではの体験として、多学年で雪国で過ごす「雪の学校」や、6年生が海の上で9日間過ごす「洋上小学校」等、今も続く青学初等部ならではの体験型授業を企画し、稀有な体験を子どもたちに提供している。

学校の先生も魅力的だった。

桃組、梅組、桜組という3クラス×6学年編成で、私はずっと梅組だったが。1〜2年生は、真面目で優しく、ハンサムで足の早い飯澤先生。3年生は、明るくユーモアがあり、子供を叱るときはケツバットをしていた佐々木先生、そして4〜6年生は国語命、1時間目〜6時間目まで、全て国語のことも珍しくない。朗読、詩歌、古典、またその教材となる物語の実際の地域を訪ねる企画をしたりする、そしてかなりエコヒイキする阿部先生。(禿げてたので別名アベフラッシュと呼ばれてた)

きっと伊藤先生の理念のもと、いい先生が集まり、また伊藤先生の指導で教員として育っていったのだろうなと思う。

倶楽部活動も変わってる。
運動系は、ラグビー部と水泳部くらい。
(なぜかサッカーや野球はない)

で、その他に探検倶楽部とか、アマチュア無線倶楽部とか。(他に何があったっけ?笑)

まぁなんか変わった部活編成なんだよね。

ちなみに先日飲んだ二人はアマチュア無線倶楽部で。

そのうちの1人は、そこで中国の子たちと交流したことで、グローバルに目がいき、商社で勤めることに繋がっていると言っていた。

もう一人は、青学初等部時代の「山の学校」が印象的で、そこから山登りが趣味となり、今は一人でガンガン山に登る山ガールだ。

そして二人が口を揃えて言っていたのが、
・体験型授業を重視してたからこそ、勉強だけではない軸をそれぞれの子どもたちが持てたのではないか
・国語に力を入れて、表現力が磨かれたからこそ、自分の気持ちをちゃんと相手に伝えたり、逆に相手の気持ちにに共感したりする力が身についたのではないか
という事だった。

もちろん、受け取り方、振り返り方は、生徒それぞれに違うだろう。

でもなんか、そういう貴重な体験をしたのは事実で。

そして中学に上がった途端、その夢の世界がガラッと変わったかのように、現実世界に引き戻されたのを覚えている。
(未だに不思議なんだけど、初等部と中等部は同じ学校なんですか?笑)

私は高校受験して、高校大学は慶応に行ったので、その後の青学の生活の様子は分からない。

ただ、青学の同窓生の多様な進路(ボクサー、絵本作家、ラジオパーソナリティ、ステンドグラス作家、シェフ、レストラン経営、その他本当に様々な職種で活躍されている、とFacebookでは見受けられる)と、私の行った慶応の仲間の進路(大手商社、銀行、メーカー、その他一部上場企業)とを比較すると。

なんか、逆に劣等感というか、その進路の幅の広さに、何か現代人が忘れかけている「豊かな暮らしとは何か」とか「(世間とは関係なく)好きを追求しつづける強さ」みたいなものを感じるのだよなー。

まぁでもそれも単に「隣の芝は青い」だけなのかもしれず。笑

青学初等部同窓生と、「ボクらの時代」ばりに、3人ずつくらいで、初等部時代のこと、そしてそのあとの学生時代や社会人生活、そして今振り返って思うこと、等を聞いてみたいなーと思った。(初等部同窓生で誰か一緒にやりたい人は、コメントかDM下さい!笑 企画しよう!オンラインでもリアルでも。)

ちなみに、私は初等部時代に、一人塾に通い、当たり前だけど学校では成績が良くて。(でも塾では成績は普通で)
「梅組のホシ」とか呼ばれていて。

そんなの単なる、成績が良いことから来る偶像みたいなもんだろ、と卑下していて。

でも二人が「成績が良かったからホシだったわけじゃない」と言ってくれて。(じゃあ何がホシの要素だったのか、はわからないけど。笑)

なんか少し救われた気持ちになった気もして。

青学初等部での生活は、改めて楽しかったし、そこでの仲間と今また一緒に飲みながら振り返り、これからの未来についても語れるというのは、とても幸せなことだなーと思った。

お金と時間(親が学校イベントに結構関わるイメージ)があるなら、青学初等部オススメです。笑

以上








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