人生後半戦の過ごし方(仮)

新卒で化粧品会社に入ってもうすぐ19年が経とうとしている。

総合職として、営業、法務、労働組合、デジタル、営業サポートと色んな仕事をさせて頂いて有難いな~と思う反面、大組織ゆえの「個人のキャリア形成を無視した人事異動」や「組織の歯車のようなオペレーション仕事」に最近はウンザリすることもある。

若いころはそれでも良かった。経験値を積めるような気がしたから。
でも40になって、これまで流されるようにキャリアを積んできて、今後残り人生40年間何をやって生きていけたら幸せなんだろう?人生終わるときにどう生きてきたら満足といえるのだろう?と考えると、「このまま会社が決める?人生を続けていって良いのか?」という大きな焦りを感じた。

「自分の人生、自分で決めて、自分で切り開かなくてどうする!」

とはいえ、悩むのだ。
・会社に残るにせよ、転職するにせよ、これまでのキャリアで「これやってきました」といえるのは、営業と法務くらい。うちは商品のブランド力強いので、正直営業も新規開拓はきつい。
・家のローンは、35年ローンで組んでいてまだ大半が残っている。子供もまだ小さい。今から給与を下げてまでやりたいことに踏み切れるのか?
・そもそも(仮に給与が下がるとしても)やりたいことってなんだ?

そんな悩みを抱えながら、ここ数年、転職活動をしてみたり、社内や社外の色んな人の話を聞いてみたり、色んな本を読んでみたり、直近では「文章で生きるゼミ」というオンライン講座を受けてみたりしている。

ある人は言う。
「40代でマネジメント経験がないのは厳しい。40代の転職は即戦力が求められる。だから転職先の課題を解決できる経験と実績、マネジメント経験がほしい」

またうちの会社から社外に出ていったある後輩はこうも言っていた。
「●●●(=うちの会社)は良い会社でしたよ。ブラック企業ではないし、給与もそこそこ良いし、人も良い。転職したら、同僚同士で足を引っ張りあったり、厳しい環境でしたね」

そういう意見を聞くと、結局今の会社のままの方がいいんじゃないか?多少不満はあったとしても…そんな思いも何度もよぎる。

もちろん今の会社だって良い。世間的には誰もが知っている立派な歴史ある会社だ。でも、そこで自分が自分らしく「自分の仕事」を出来ていなければ、会社にしがみついて生きる屍のようになるか、または仕事は収入源としてそこそこに働いて、プライベートを充実させるしか無い。

でも。
最近、西村佳哲さんの本「自分の仕事をつくる」「自分を生かして生きる」を読んで。

・働き方は生き方と背中合わせ
・商品にせよサービスにせよ、雑な仕事で「こんなもんでいいでしょ?」というメッセージをお客さまに受け取らせてしまうのか、それとも丁寧な仕事で「あなたは大切な存在で生きている価値がある」というメッセージを受け取ってもらうのかで、雲泥の差がある。
・人間の仕事とは「死ぬまで自分を生かしきること」だ。例え会社や第三者から与えられた仕事であっても、「自分なりの味、丁寧さを出せる仕事」をすることで「自分の仕事」になる。

といったパワーワードを心に刻みながら。
自分の後半人生の生き方を考える。

今まで営業や法務のキャリアがあるから、そのキャリアを生かした仕事しかやってはいけない、というのでは、あまりに幅が狭いし、つまらなすぎる。
(でも転職活動とかしていると、そのような求められ方しかされないと思うときが多々ある)

一方、40になってこれまでの人生でかすりもしなかった仕事に新たにつくというのも、もちろん労働者が足りない市場は沢山あるので、可能かもしれないが、それはオペレーションを回す人手が足りないだけで、そこへ行ったとて「自分の仕事」が出来るのかは謎だ。単純に新たな組織の新たなオペレーションに組み込まれて、やっぱり自分の人生を生きれていない、ということにもなりかねない。

そして何より大事なのは、「自分が(残り人生で)何をやりたいか?」という問いだが、そのやりたいことで食っていけるかは別の話で。

やりたいことがあり、それを実現できる場所があり、そこで稼いで食っていけるか、というと、何か一握りの人だけが実現している世界のような気もする。

①自分はこれまで40年間で(仕事やプライベートを通じて)何を経験し、何に課題を感じ、何を意識して取り組んできたのか。
②そして今後残り人生40年だとしたら、残り人生で何に取り組みたいのか。

①について、今まで私は劣等感をすごく持っていた。社内で色んな仕事はしてきたが、何か秀でたスキルがあるわけではなく、出世をしている訳でもないからだ。

あえて、これまでの職場でどこが楽しかったですか?と言われれば、法務の仕事の傍ら、取り組んでいた労働組合活動だと思う。組合員の声を聞き、それを整理して、経営陣に団体交渉で伝え、そこで得た経営陣の声を組合員に伝える。またその経営陣の考えていることと現場で起きていることのギャップを埋めるために、自分たちでも何が出来るか考える。例えば、普段業務でお客さまに直接接しない部門の組合員が、お客さまに接する機会となるサンプリング企画を実施したり、あるいは、そもそも組合員が一人で業務に悩まないように、横のつながりを作るべく運動会を企画したりして、それは大変な盛り上がりを見せた。

なかなか普段会社にいると労働組合が何やってるかなんてわからないけど、機関紙を通した定期的なメッセージ配信や、こうした企画を経て、組合員から「最近組合盛り上がってるね~。いつもありがとう」なんて言われると、嬉しい気持ちがしたものだ。

またプライベートでは。
会社で出会った妻と結婚し、子供が出来て、妻と仕事のこと、家庭のこと、今後の生き方のことを色々と話し合う中で、妻が持っていた価値観「仕事も大事だが、同じくらい大事なのは(未来を創る)子育て。だから仕事漬けになって家庭や育児を妻のワンオペに任せるというのは絶対にやめてほしい」と強く言われ。(自分の覚悟もそうだし、職場の理解含めて時間はかかったが)数年かけて、家事育児は妻と50:50でまわすまでになった。

ついでにそこで感じた「育児家事のワンオペの大変さ」とかを、facebookでブログ的に発信したところ、(特に女性陣から)大変な反響があり、そこから生活や仕事で気づいたことの発信をよくするようになり、途中からnoteに移行してこうして今も発信を続けている。

そしてこれも妻がよく言うセリフで「仕事・家庭に加えて、社会にも何か貢献できるようにならないとダメ。お金や食事に困らない環境に生まれたのだから、社会に還元するのは当たり前」と教育(洗脳?)され。笑

昨年から息子の通う小学校でPTA会長をしている。

40年間で学んだことは、
・仕事は人生の一部である。とはいえ、週5日×8時間の時間はとられるので、「自分の仕事」が出来ることやその環境は大事。
・仕事と同じくらい、生活や暮らし、子育ては大切。特に子育ては、その自由奔放さに振り回され、自分の予定通りに事が進まず、それでいて、何かを教えるとき、伝えるとき、叱るときには、そもそも自分は出来ているのか?という生き方も問われるので、修行のようである。
・家庭と仕事だけでなく、社会に開くことも大切。なぜなら、子育てや暮らしを1家庭だけで抱え込んでしまうことは、親も子供も、行き詰まりや息苦しさにもつながるし、そもそも非効率だから。(皆で協働できることは協働したほうが良い)ただ、実際には、社会に時間をさけるほど、余裕がある大人は少なく、一人一人、一家庭一家庭がそれぞれ自分たちのことを自分たちだけで回す(≒生きる)のに精いっぱいで、社会活動というのは本当に一握りの人が、回せるだけの範囲でやっていて、広がりや横のつながりは薄い。
・とはいえ、会社の中で経営陣と現場の組合員で理想と現実に乖離があるように、社会の中でも政治と暮らしの中には乖離があって、その意見をどう整理して政治に伝えるか、それをどうルールに落とし込むか、そしてルールでは賄えない部分をどうやって現場でマネジメントしていくか、はとても大切な観点で。だからこそ、その一歩として「コミュニティーの再構築」が必要なのだ。

そんなことを学べた40年間だったのだと思う。

だから②の残り人生で取り組むべき私の課題は…
小さくても良いから「コミュニティー」を自分でデザインすること。

そのコミュニティーを通じて、子供たちや、現代を生きて息苦しさを感じてる大人たちに、「自分らしさ」と「自分の生きる場所」と「やりたいこと」を見つけられるような。皆でより良い社会を作っていけるような、そんなコミュニティーを作っていきたい。

ただ、意識高い系のイベントだけやっても、人は来ないので。
楽しく。実用的で。何か自然発生的にコミュニティーが出来ていくような、そんな仕掛けが出来るようになりたいし、そこに向けてTRY&ERRORをしていきたい。

それらを取り組む場所は、まずはPTAだ。
少ないけど良い仲間がそろってきた。今は保護者の意識調査をするためのアンケートも実施している。(こちらは集計できたら、またnoteで案内したい。まだn数は少ないが、結構面白い意見が集まっている)

ちょっとずつちょっとずつ、自分の出来る範囲で、仲間と協働しながら、仲間もちょっとずつ増やしながら、良いコミュニティーを地域で作っていきたい。

仕事では。
今の会社に残るなら、やっぱり労働組合的ポジションになるのだろうか。
人をつなげ、人を活かし、それを組織の力にしていく。
人事部でも出来るのかもしれないが、どうしても社内調整などに時間がかかり、スピード感ある対応が出来ないので。そこら辺を自由にデザインできる労働組合には魅力がある。でも、現場を知らない労働組合専従なんて意味がないので、もう少し現場にいて、現場で出来ることを考えようかな、と思っている。

でも転職の可能性も合わせて考えたい。
今の社会は、会社で働くにせよ、社会で暮らすにせよ、一人一人が孤立して、実力が発揮できなかったり、鬱になったり、やりたいことができなかったり、自分の人生を生きられない人が(自分も含めて)潜在的に多くいる気がするので。

コミュニティーデザインという分野は、会社でも社会でも結構必要になる気がしていて。そういう意味では、そこの専門家になるのはアリだな~と思うのだ。

今は働くにせよ、暮らすにせよ、価値観が多様化していて、何をもって人を集め、コミュニティーデザインするのか結構難しい時代だなと思うこともある。転職が当たり前になると、会社愛なんて持たない人も多くなると思うので、会社のミッション、バリュー的な要素が、共通のもつべき価値観にもならない場合も多い気がする。(暮らしになると共通項が見つかりづらいのはなおさらだよね)

でも、例えば暮らしでいうと…
・いつ来るかわからない関東大震災に備えた防災の準備(防災食はじめ、防災で準備しておくもの、事前に考えておくべきこと等)は、日本に暮らす皆の共通課題。
・高齢化社会の中で「お金・健康・コミュニティー」を持つことが、人生後半戦を豊かに暮らすための標準装備すべき武器だと思うので、ここら辺のテーマも共通で学べそう。
・あとは、今後会社に頼った人生はもう期待できないので、誰もが小さく起業できるお助けができると良い。それはいわゆる起業セミナー的やつではなくて、何か地域コミュニティーの中で「週1回だけ庭でカフェやってみた」とかそこにコラボして「うちで焼いたパン売ってみた」とかそういう小さなハードルで小さくお金儲けしてみる、ということは結構大切な気がする。
・あとはやっぱり教育。これだけ先が見通しづらい世の中。あるいはAIが台頭してくる世の中に、子供たちに何を学ばせ、身に着けさせるか、何を体験させるか。それを1家庭1家庭だけで考えるのはしんどいと思う。皆で情報キャッチアップしながら、情報共有したり、あるいは、そういう場を作ってみたり、学校教育だけに頼らない地域の学びの場は必要なのだろうと思う。

こんな事を残りの人生で実現できたら、自分も微力ながら社会で役にたてた、と胸を張って人生を終えることが出来るのではないか。

41歳1か月の現時点での考えだし、今後微調整はあると思うけど。
「人生後半戦の過ごし方(仮)」としてnoteに記しておきたいと思う。笑

2025年も良い年にしよう。

おわり。









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