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『漱石とその時代』第四部


第四部です。
どうぞよろしくお願いします😊

第四部❬表紙❭ 著者(江藤淳)

『明治四十年三月、東京朝日新聞社に入社して小説記者となった漱石は、ほとんど休みなしに『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』などの諸作を連載しつづける。しかし、文名が挙るにつれて養父塩原昌之助が彼の前に出現し、養育料を請求するという事件が起った。心身の消耗はついに修善寺の大患となるが、辛くも蘇生したとき、彼は自分を育てた明治という時代の終焉を迎えることになった。第四部は明治末期の五年間を叙する。』

第四部❬裏表紙❭ 平川祐弘(比較文学者)

「小説記者 夏目漱石」

『明治四十年、新聞文藝欄が日本文壇の中心だった頃、朝日に招かれた夏目講師は、蹴とばすように大学を飛び出した。だが職業作家への実存的投企は、無職を選ぶにひとしい。もし連載が続かなければ、小説記者はお役御免なのだ。
そんな創作稼業への期待と不安を、著者は漱石を時代環境へ戻すことで吟味する。世間は『虞美人草』の勧善懲悪に喝采したが、過剰な美文にたいし評家は当時も手きびしい。その漱石をめぐる藤村、二葉亭、虚子の角逐。江藤氏の隈取りで、朝日の豪傑、池辺三山の人柄が映えるからか、本書は新聞文壇史としても面白い。修善寺で吐血後、漱石の病状は身ぐるみ朝日に買いとられた、という著者の観察のごときは、新聞ジャーナリズムの特質を看破して漱石本人よりも炯眼だ。そんな中で生身の漱石は胃弱をかかえつつ、文筆で苦闘する。聖人ならぬ漱石の創作家の苦悩はこの時代に深まった。本書はそうした明治末年を幅ひろく活写して、ゆるぎない史伝と化している。』

難しいと思った語句を国語辞典で調べました。

※「角逐 」(かくちく)
(「角」は競う、「逐」は追うの意)たがいに競争すること。せりあうこと。

※「隈取り」(くまどり)
①日本画で、遠近や凹凸などを表現するために、墨や色に濃淡をつけること。ぼかし。
②歌舞伎で、役柄の性格・表情を誇張するために、顔を赤や青などの顔料でいろどったり、線を入れたりすること。また、その模様。くま。

※「看破」(かんぱ)
隠されていた事実などを、見破ること。

※「炯眼」(けいがん)
(「炯」は光輝く意)
①ぎらぎら光る目。鋭い目つき。
②ものの本質を見通す鋭い眼力。また、それをもつこと。慧眼。

(旺文社国語辞典を参照しました)

才気ほとばしる文章である、鋭い、と思いました。

少し過激なような、ドキっとする表現(「漱石の病状は身ぐるみ朝日に買いとられた」)もあり、いろんな意味でどきどき(動悸)しながら読みました。激しさや過激さを感じる文章でありましたが、それは、本書が描いた時期が、漱石先生の人生が激しく揺れ動いた時期であったことと呼応しているのだと思います。

(この辺りの話には、当時の朝日新聞の内紛もからむようで、わたしはそのことに詳しくありませんが、
ちょっとだけネットで調べてみましたら、
「40歳で朝日新聞へ / 漱石と朝日新聞」(朝日新聞まるごとガイド)に、ちらっと書いてありました。もし機会がありましたらご覧ください。)

今回の一連の投稿は、この『漱石とその時代』各部の、表紙と裏表紙の、非常に優れた文章をご紹介しながら、一言感想を書けたらいいなというコンセプトで始めました。

なのになんだか、本の中身まで全部読んだような読後感というか重厚感というか、重みというか、強く心を動かされておりまして、
でもまだ中身は読んでないよね⁉️と激しく自問自答するという、不思議な闘いが、わたしの内部で巻き起こっています。こういう経験は初めてです。

次回はついに、未完の第5部。わたしのこのシリーズも最終回となります。

今回もお読みいただき、ありがとうございました😊。

#新潮選書 #夏目漱石 #江藤淳 #平川祐弘

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