生活保護とアル中詩人(3)
2013, Night of the Unemployed.
2013年になってそろそろ音楽をやりたいとおもった。うかつにも「音楽」なんて生活保護でアル中詩人には無用なもののはずだ。だのに中古でギターを探して状態のわるいストラトタイプのものを買った。そろそろ曲をつくりたいとおもうようになった。「楽曲とは」なんて生活保護でアル中詩人には無用なもののはずだ。その動機は2012年12月に初恋のひとにきらわれて、かの女のことを歌にしたいとおもったからだ。
曲をつくってデモを宅録する。ドラムは打ち込み。ベースはない。そのあいだの期間は写真もよく撮っていて、次の詩集『38wの紙片』にその多くが収録された。実をいえばその頃は破門されていたのだが、3つの詩を送ったら案外返事が来て、「師弟関係を仕切り直してもいいレベル」といってもらった。支給はあいもかわらず、週払いだった。この点についてもっと云い抗うガッツがあったらといまでもおもう。そうればそのあとの愚行は防げたとおもう。またもアルコールで数度入院した。
2014, Unemployed daytime.
いろいろと仕事も探していたがゼンメツも好いところだった。オープンマイクで弾き語りをするようになった。詩集『38wの紙片』は3月に発売、42部のうち30部ぐらいが売れた。しかし原価と定価の割合がわるく、あまり金は入って来なかった。送料を無料にしてしまったのもある。
年の瀬の25日、事件を起こした。おれは傷害現行犯で逮捕された。酔って暴れ、ひとを撲った。年末年始の留置場、拘置所は躰に堪えた。担当の部長警部によしてもらったとはおもう。それでも失恋して暴走するというのはむかしの私小説みたいだったし、それを証言で告白はしなかった。裁判では検事から「なにをいってるのかがわからない」といれた。ひよどり台の拘置所から長い時間をかけて新神戸にもどったのは翌年の1月終わりだった。執行猶予3年半だった。
語ることの意味?
語ることに意味なんかない。内容だってこれまでエッセイや小説でやったことの再演であって、あたらしいものじゃない。中田満帆の読者ならすでに知っていることだらけだ。「言葉のケチは詩人の美徳」であると師にいわれた。おれは自制心が足りないのだろう。そのとき、そのときで喋りすぎだ。どうにでもできないじぶんをどうにかしようともって書いてみたのだが、知人にウケがわるく連載についてこういわれた。
まあ黙ることも一手ではある。かれのいうことももっともだ。たしかに最近書くものが自己模倣なってしまっているのは否めない。まあ、あと2,3回はつづけることにしよう。
ちなみに神戸市の生活保護の認定は緩いようで、保護を受けながら旅をしているという若者に遇ったら、「神戸は早い、もう室見つかった」といっていた。保護を奨める気にはなれないが、もしもうだめだというときに居宅保護を視野に入れてはとおもう。もしあなたが貧乏で家もダメだというのなら。