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喜び悲しみ病

働きたい。
ただそれだけだ。

コロナ禍の影響をモロに受けて、7年目になろうとしていた僕のワインバーが閉店に追いやられた。
会社が資本提供して顧問弁護士のお店(先生は大家さんという名目で営業代行するという複雑な事情)を営業していたのだけれど、自社の経営状況と世間の状況を鑑みて閉店を決めたのだ。
これは自分も仕方ないと割り切って、会社からの解雇を受け入れるしかなかった。会社本体はホテル業を営んでいて億単位の減収だ。社長からは「盛岡か高松なら…」と、形式上転勤を勧められたが、さすがに「ハイ!」とは言えなかった。

当初は会社が手放したこのお店を自身で買い取って営業再開するプランを用意していたのだけれど、弁護士先生(大家さん)から「少なくとも年内は貸し出せない、他の道を探して欲しい」と通告されて、その道もあっさり閉ざされてしまった。
先生の優しさか疎ましさかどっちにも取れる通告だったけれど、どちらにしても起業の道は閉ざされた。さすがに借金してまでこの状況下で飲食店を始めるのは難しすぎる。現況の店ならば顧客情報を1500人ほど管理していたので営業再開の見込みが立ったけれども、ゼロからはさすがに無理だ。今なら肌感覚として3月ころの売上…通常営業時の6割程度の売上確保がいいところのはずで、公庫で借りて新規で飲食店を立ち上げるならば、それを返せるほどの集客が全く想像できない。


53歳にして再就職の道を探すことになった。
雇う会社があるのかどうか…経営者目線で考えたら正直あると思えない。キャリアがあるだけに雇用するならそれなりの給料を払わなくてはならないし、そのポストも用意しなければならないからだ。そんなポストは、まず叩き上げの社員に用意するのが筋だし、あと10年働けるのかどうか?みたいな人物に対し、そう簡単に要職を任せるわけにいかないだろう。
かと言って全く未経験の分野にしても53歳の新人は無理だ。実際は無理じゃなくて、10年あればキャリアを重ねてソコソコの活躍をするはずだ(大卒22歳で就職して32歳までとか10年あれば結果を残せる)、でも今の社会はそうじゃない。少なくとも45歳を超えての再就職は、よっぽどの資格・経験がなければ不可能に近い。通用するのは飛び込み営業系くらいだろう。根性だけでやっていくしかない。それだって営業話法のようなスキルは簡単に習得できないものだし、センスも必要だ。たとえ雇われても上手にこなせる人は案外少ないもの。営業は営業で簡単じゃない。僕は東日本震災当時も職を失い、やっとこさ拾ってもらった営業の仕事に2年ほど従事したことがあるけれど、それはもう完全に実力社会の仕事でとても大変だった。

年齢だけでなくコロナ禍の影響も計り知れない。
僕の場合、自分のキャリアを活かそうと思ったら飲食業界しかないのだけれど、その飲食業界自体が悲鳴をあげている。募集自体が相当少ないのが現実だ。
それでも収入がなければ生きていけない。
台風並みの逆風だけれど、とにかく応募しないことには何も始まらない。


ただ、応募することによって”喜び悲しみ病”が身体を蝕み始めるのも事実だ。


いまはweb転職サイトに登録して、そのサイトから企業にネットで応募して、書類選考を経て面接、内定という流れが一般的だ。ハローワークで探す道もあるけれど、そもそもハローワークが遠くにある人は通うのが大変だし、独特の重苦しい雰囲気に耐えられない人は多いと思う。

応募は手当たり次第なわけじゃなく、当たり前だけど自分のキャリアやスキルを考えてその企業に貢献できるかどうか…まず失業者の誰もが自分の働く姿を想像するものである。
「店を任されたらこうしよう…ああしよう…」「新しい企画を促されたら、こんな企画が面白いと提案してみよう…」など、自分が活躍する状況を考え抜いて応募を決める。それは失業して不安な毎日のなかで得られる一筋の光だ。ネットでの応募は一瞬で終わり、その後に残った膨大な何もない時間を失業者たちはその想像と妄想のなかで生きるしかない。すべての活力は活躍する自分の未来を描いた想像のなかで育まれ、大切に温められてゆく。


その後、転職サイトから5日くらい経て連絡が来る。
メールには、

この度は弊社にご応募いただきありがとうございました。

さて、お送りいただいた〇〇様のレジュメをもとに、
社内で慎重に検討いたしましたが、誠に残念ながら
貴意にそえない結果となりました。

何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。

末筆になりますが、〇〇様の今後の益々のご活躍を
お祈り申し上げます。

株式会社〇〇 採用担当〇〇

と記されていてる。定型文だ。
なーにが「今後の益々のご活躍をお祈り申し上げます」だ!
と、ぶつけどころのない悲しみと悔しさに、心のひだが1枚、また1枚と裂けてゆく。

これが”喜び悲しみ病”だ。
自分の未来を描き、想像して、夢にまで見て、そして潰される。
それを失業者たちは日々繰り返している。
何度も何度も何度も何度も…
来る日も、来る日も、毎日、毎日、思い描いた姿は、あっけなく終わる。
賽の河原のような、そんな毎日に心が耐えられなくなり、現実逃避するために映画を観たり本を読んだりする。それでも耐えられなくなってバカ食いしたり酒を飲んだり、衝動的に物を買ったり…自分の心を守るため、自傷行為に及んでいく。自分を自分で傷つけているときだけ心の不安がなくなるのだ。
そうしていくうちに、だんだんと夢を描くこと自体が怖くなり、なにもせずにTwitterをぼーっと眺める一日がきて、やがて感情がなくなっていく。
喜び悲しみ病の末路は引きこもりだ。世の中からドロップアウトした人間は、容易には元の世界に戻れない。

自分自身で活路を見出せなくて仕方なく消えてゆく人が、どうか救われる世界であって欲しい。















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ミチュルル©︎ / たかはしみさお
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