大学で学んだ僕とこれからのこと
大学四年間の生活が、そろそろ終わろうとしている。
夏ごろには書き始めていた卒論の全部が嫌になって、投げ出したくて、一万時近くを消去した。監査の先生に「全部書き直します」とまで言って、心配してかかってきた通話口で子どもみたいに泣きわめいて。悩みに悩んで、それでも、今までずっと考えてきたテーマで書き続けることを決めた僕は、祝日で誰もいない大学の、やたら急勾配な坂を後ろ向きに登りながら、これからのことをぼんやり考えている。
卒業まであと半年を切っている。自覚は特にないけれど、長い学生生活が終わってしまうらしい。春から晴れて社会人になるわけなのだけれど、冗談抜きに実家がどうなるかわからなくて、将来の先行きが不安だ。
僕は今まで割と頑張ってきた方だし、小中高、そこそこの成績をとって、大学でもそこそこ単位をとって、使うかよくわからない資格を三つもとって、そこそこサークルも楽しんで、いわゆる青春ってやつをとことん謳歌した。それなりの理由があってやりたい仕事を見つけて、よし、これから頑張っていこう、自分の人生を生きていくんだって時に、僕を邪魔するのはいつも家族だった。
僕はきっと、親に愛されたためしがない人に比べたら、ずいぶん幸せの方なんだと思う。幼少期にはたくさんハグしてもらった。好きだよ、愛してるよって言葉を、あふれんばかりに言ってもらった。「僕」という一人称を使い始めたのはまだ思春期にもなっていない頃だったけれど、特に否定をするでもなく、好きな服を、好きなものを受け入れて育ててくれた。僕がつくった物語の世界を、「形にしよう」っていちばん最初に言ってくれたのは母で、おぼろげな夢をなんとか思い出して書いたつたない作文に母が挿絵を描き、自慢げに校長先生の元へ持って行ったのを今でも覚えている。
幼少期から本を読むのが好きだった。ゲームは禁止されていたようなもの(兄や姉につられ、時々目を盗んでやっていたけれど)だったから、遊びといったら絵を描いて空想することと、それを姉とごっこ遊びで再現することだった。いつもお姫様役をやるのは姉で、僕は王子役だった。お姫様が毒を飲まされ苦しむ様を演じる姉がうらやましかった。悲劇のヒロインになりたかったけど、その枠はいつも僕じゃなかった。
ごっこ遊びは僕のストレスの発散で、同時にストレスの原因で、現実逃避の手段でもあった。僕たちがごっこ遊びをしているとき、大抵下の階では両親が喧嘩していて、もしくは兄が怒られていて、耳をふさぐ代わりに姉を「姫」と呼んだ。それだけで、少し気持ちが楽になった。
僕にとって物語は昔から薬だ。それは病状をよくする代わりに、どんどん身体を蝕んで、依存させる。用途用法を守らなかったから、僕は物語なしに生きられなくなってしまった。現実と空想の狭間にゆらいで、僕は息を吸う。空気がおいしいと感じるとき、そこが現実か非現実かわからなくなる。今この瞬間、どこかで誰かが苦しんでいて、僕はその人の苦しみの原因になっているかもしれなくて。でもそんなことを考えていたって僕が苦しくなるだけだから、目を逸らすようにこうして言葉を綴り、僕でない誰かの皮を被り演じて、飯を食い、眠るのだ。
ほら、今だってたいして考えずに文字を綴っている。それは僕の言語化能力が多少向上したってことなのだろうけど、思考がそのまま文字になるのは、すこし怖いことだとも思う。僕の頭の中を覗ける神様がいるのなら、きっとびっくりするだろうな。だって、文字を書いているのに頭の中には音楽が流れているし、鳥のさえずりと、電車の音と、日向のあたたかさを感じているし、それに幸せだなって思っている僕もいて、とどのつまりぐちゃぐちゃして、すごくうるさいなって思うだろうから。そう、うるさい。すごくうるさいらしいんだ、僕の頭の中。
いわゆる僕はADHDっていうものらしくて、これに気づいたのは大学生になってからだった。「大人としての振る舞い」を求められて社会に出た時に、僕の「ふつう」は全然通用しなかった。さっきまで手に持っていたスマホを家に忘れてくるし、定期は10回くらいなくしたし、部屋の中はきたない。それでも大丈夫だったのは、家にお母さんがいてくれたからで、何か失敗して怒られるのが「当たり前だ」と思っていたからだった。でも大学生になって、いろんな世界にふれて、虐待や、貧困や、「生きる」ってことについて考えて、僕の家は、もっというと僕のお母さんは、僕を家にしばりつけようとしているワルイヒトだってことに気づいてしまった。
もちろん僕は母のことが嫌いなわけじゃないし、ここまで愛して、育ててくれたことに感謝はある。お母さんありがとう、大好きだよ。この気持ちは嘘じゃない。嘘じゃないのだけれど、でも。大学を出て社会人になったら、「収入を管理される」ことが決まっている人生って、いったい何なんだろう。
家が貧しくなったのは、兄の受験を境に父親が生活費を収めなくなってからで。それまでの当たり前の生活が変わって、僕には「チチオヤ」と呼べる人がいなくなった。もちろん実家には今でもいるし、顔を見ることもあるのだけれど、母親があの人を「カス」と呼ぶせいで、僕ら子どもはずっとあの人を「カス」としか見れないでいる。
何か怒られるような失敗をすると、母は「あんたもカスと同じか?」と僕に詰め寄った。そりゃ、この身体にはあの人の血が流れているのだから、少しは似ているところがあって当然だとも思うのだけれど、父親を悪く言うことで子どもを傷つけているってこと、きっとお母さんはわかっていない。
「家を出てひとり暮らしがしたい」というと、母は「薄情だ」と僕を叱責した。今まで怒られないように、イイコで頑張ってきたぶん自分の人生を取り返したいだけなのだけれど。「大学に入ってからあんたは荒んでしまった」と母はいう。荒んだってなんだろう。僕は母に従順な「イイコチャン」で居続けないといけなかったのかな。それってすごく、ひどい言葉だな。
たしかに、大学で学んだいろいろなことに、「気づかなければよかった」と思うことはある。でもたしかに知ってしまったことで、知ったからといってここで今死ぬことはできなくて、今日も夜が来て、明日の朝日はのぼる。息苦しいけれど、その息苦しい日々を生きるために考え、僕は文字を綴り、物語を愛し、演じることを愛するのだと思う。
それが、僕にとって自分を慰めるってことだから。そうして今まで生きてきたことに気づいて、今までの物語にありがとうを言って、また、新しい物語に触れて、紡いで、これからを生きて逝くのだろう。
それが僕だから。この先もずっと、僕のままでいいのだから。そう教えてくれたたくさんの物語に支えられて、僕は今ここにいる。
たとえワルイコでも、不格好で泥だらけでも、僕の人生を歩いていく。
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