
私の聖書
同い年の✴︎くんは人が喜ぶことばを差し出すのに長けていて、「毎年初詣いこう」ってふわっとした言葉をかけてくれた。実現はきっとむずかしい。
でも、彼はだれかを傷つけない。通りすがりの人間の容姿を罵ったりしない。盗撮もしない。害もない他者を傷つけない。
路地裏の吐瀉物を踏まないよう避けることも難しい人生のなかで、彼を信じられる。
以前彼が言っていた「つらいニュースを見たくない」という感覚は、私にとって素朴な驚きと他者のやさしさを信じたい気持ちを与えてくれた。祈りとして。祖母の神様へ祈る背中は戦禍を生き残った樹木のようで、信仰にはどこか霊験が宿る。
紅潮した頬に知覚する対話の気持ちよさも、いつかはまどろみ砂漠へ流れゆく。つつましい砂の丘陵には、私に差し出された木の葉が一葉、静かに載っている。そんな人もいたねって、なつかしく思い出す。
つまり偶像だった。なおも神格化される、FISHMANSの佐藤伸治みたいに。
楽しかった時が終わって
気づいてみたらさみしい人だった
寄り添う肩も頼りにならないで
裏切ったような気分だった
なぐさめもなくやさしさもなく
そっと過ぎてく季節を
はしゃがないで見守ってた
あの人に驚きと感謝を込めて
歌うだけだった
そう全部
正しくもないウソつきじゃないよ
そう全部
指切りしない近道しないよ
そう全部
夏休みが終わったみたいな
顔した僕をただただ君は見てた
人影もなくあこがれもなく
そっと過ぎてく季節を
はしゃがないで見守ってた
あの人に驚きと感謝を込めて
見てただけだった
そう全部
正しくもないウソつきじゃないよそう全部
指切りしない あこがれじゃないよそう全部
正しくはない近道しないよそう全部
正しくもないウソつきじゃないよそう全部
驚きと感謝を込めて
https://www.uta-net.com/song/69033/
私の座礁した生活でも、善良な人をたまに見かけることがある。
遅刻しそうなのに自転車のサドルの故障をなおしてくれたかつての同級生とか、
親切なコンビニの店員さんとか、
横浜を庭にしてる青年とか、
この曲を教えてくれた敬愛なる日記作家先生とか。
彼らの存在に生きようって励まされる。感謝(驚)みたいに、他者に誠実であろうとすることを礼賛する。私の知らないところでひどいことをしていても、そもそも他人を理解することなど不可能だから、私の心に内在する質感を大切にしたい。それが祈るということ。
残像は薄れ、彼が私の人生から退場する季節をむかえても、私は感謝(驚)を抱きしめて生きる。
この歌が私の聖書。