太平洋戦争の分水嶺~「ガダルカナル島の戦い」
NHKはこれまで毎年夏恒例の終戦関連番組の中で、『戦慄の記録 インパール 』、『ノモンハン 責任なき戦い』などの力作ドキュメンタリーを放映してきましたが、2019年の『激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官』 で「餓島」と呼ばれた「ガダルカナル島の戦い」を取り上げました。
昭和17年8月、ソロモン諸島ガダルカナル島に日本軍が飛行場を建設中である事を知ったアメリカ軍は、「ウォッチタワー作戦」を発動。第一海兵師団を上陸させて日本軍の飛行場を占領。日本軍もすぐに反撃に転じ、以後、半年間に渡るガダルカナル島をめぐる消耗戦の幕開けでした。
開戦から8ヶ月、破竹の勢いの日本軍に対して、マーシャル・ギルバート諸島への一撃離脱空襲やドーリットル日本本土初空襲等を除き、守勢一方だった米軍が反転攻勢に出た最初の作戦で、海軍の「ミッドウェー海戦」と並んで太平洋戦争の分水嶺となった重要な戦いでした。
「イル川渡河戦」惨敗についての従来の通説
米軍に占領された飛行場を奪還するため、最初に送り込まれたのは一木支隊先遣隊。35キロ離れたタイボ岬に上陸し、飛行場を目指した一木支隊は3キロ手前のイル川で米軍守備隊に遭遇。一木大佐は敵前渡河を命じ、「イル川渡河戦」が開始されます。
この戦いで一木支隊は、戦車や多数の重砲を装備し、防御陣地を構築して待ち構える師団規模の米軍に対して、敵情偵察も不十分なまま正面攻撃。「皇軍の前には、軟弱な米軍など鎧袖一触」とばかり、総員僅か916名と、一個連隊の半数にも満たない兵力に数門の山砲、機関銃のみで拙速に攻撃をかけたあげく、米軍の圧倒的な火力の前に一夜で壊滅したとされています。
「自信過剰で敵を侮って偵察をなおざりにし、地形や兵力差を無視した無謀な突撃を行い、飛行場奪還はおろか日本軍最強の精鋭部隊を無為に全滅させた。これにより米軍に陸軍初の敗北を喫し、無敵皇軍の輝ける戦歴に泥を塗った。」として部隊長の一木清直大佐は無能な指揮官との烙印を押され、敗北の責任を一身に負わされることになりました。
一木支隊全滅の真相
『激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官』」は、以上のような通説に疑問を投げかけ、 当時の陸軍中央の作戦指導や海軍との関係などを再検証。新しく発見された資料を元に、なぜ、一木支隊が全滅しなければならなかったのかという戦史の闇に迫っていきます。
番組では以上のような、これまでに知られていなかったいくつもの問題点を明らかにし、 現地部隊の実情より組織の論理を優先した陸海軍中央それぞれの独善性と身勝手な思惑が、精鋭と言われた一木支隊の全滅に繋がったと結論づけています。
日本軍の組織的欠陥が露呈した「一木支隊の全滅」
以下は、この問題についての私見です。
以上のようにこの作戦の失敗には、これ以降、益々顕著になっていく日本軍の組織としての欠陥が総て表れていました。その意味では、一木大佐は日本軍と言う欠陥組織の犠牲者でした。
新発見の資料をもとに、作戦失敗の根本原因が陸海軍中央の誤った作戦指導にあることを明らかにした点は評価できます。
しかし、50分という短い尺の関係からかいま一歩掘り下げが足りず、その後の半年間に及ぶ日本兵の飢餓地獄についてもごく簡単に触れる程度に終わり、残念ながら前記の「インパール」「ノモンハン」に比べて、やや食い足りない印象でした。
「ガダルカナル島の戦い」を語る以上は、ロジスティクスを伴わない無謀な兵力の逐次投入を続けた結果、15000人以上という膨大な数の餓死者を出した大本営の責任は重大です。 ぜひ、この問題に焦点を当てた続編を期待したいものです。