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ブルースロック名曲集②~ ドクター・フィールグッド

前回からはだいぶ間が開いてしまいましたが、ブルースロックの2回目です。

ローリング・ストーンズ、ヤードバーズ、アニマルズ等の大物バンドはどれも最初はブルースバンドでしたが、売れるにつれてブルース色は薄れていきました。逆説的に言えば、ブルースから足を洗ったから商業的に成功したとも言えます。

現に英国三大ブルースバンドのうち、大成功したのはピーター・グリーンやジェレミー・スペンサー脱退後、早い時期にブルース色を払拭したフリートウッド・マックだけです。60年代後半のブルースブームが去った後も愚直にブルースを追求し続けたサヴォイ・ブラウンやチキンシャック(ハードロック路線を模索した時期もありましたが)は、最後まで商業的な成功をおさめることができませんでした。

最後までブルースバンドだったスペンサー・デイヴィス・グループにも同じことが言えますね。初期には「ギミ・サム・ラヴィン(愛しておくれ)」や「キープ・オン・ランニン」などを大ヒットさせましたが、大黒柱のスティーヴ・ウィンウッドが去った後は、鳴かず飛ばず状態になりました。

ブルースにこだわってヤードバーズを脱退したエリック・クラプトンでさえ、ぎりぎり「ブルースマン」と呼べるのは、せいぜい「デレク&ドミノス」時代まででしょう。「いとしのレイラ」(1970)でヒットをとばした後、ポップス路線に転向した「I Shot the Sheriff」(1974)で初の(そして唯一の)全米NO.1を獲得します。

ただし、彼の場合、フリートウッド・マックのようにその後、全くブルースをやらなくなった訳ではなく、守備範囲をブルース 以外にも拡げたと言ったほうが正確でしょう。

1960年代後半のブルーズブームを除けば、元々ブルースのマーケット自体がそれほど大きくないので仕方がないことではあります。

1960年代半ばのブリティッシュ・インヴェイジョンを担った英国ロックバンドの中でブルースの影響を受けていたバンドはそう多くはなく、上記のバンドの他にはナッシュビル・ティーンズ、マンフレッド・マン、ゼムなどがあげられる程度。

ビートルズやデイブ・クラーク・ファイブ、ザ・フー、キンクス、ゾンビーズ、ホリーズ、サーチャーズなどは、最初からブルース色が全くありませんでした。ビートルズでブルースと言えるのは、前回書いたようにジョン・レノンが作った「ヤー・ブルース」ただ一曲だけですから。

一方で、ポップス・アイドル路線が大当たりし、プルースとは無縁というイメージの強いハーマンズ・ハーミッツが、BBCライブでは「St. James Infirmary」などのブルース曲を歌っているのにはちょっと驚かされますが。

                                  前置きが長くなってしまいましたが、久しぶりの第2回目は、英国パブロック界の代表的バンド「ドクター・フィールグッド」です。

1971年に結成されたドクター・フィールグッドは、3枚目のライブ・アルバム「殺人病棟」が全英アルバムチャート1位を獲得して一躍有名になりました。

バンドの2枚看板は、(ドスのきいた)ボーカルとハープ担当のリー・ブリローとカッティング・ギター奏法が売り物のウィルコ・ジョンソン。パンクロックや日本のシーナ&ロケッツに大きな影響を与えました。

1983に来日コンサートを行っていますが、残念ながらウィルコ・ジョンソンは1977年に脱退していたので、当然彼の姿は拝めずじまい。

そのウィルコですが、ドクター・フィールグッド脱退後に自身のバンド、ソリッド・センダーズを結成して古巣に対抗しています。バンド名の由来はジョン・リー・フッカーの「Solid Sender」という曲から来ているという説も。

しかし、ソリッド・センダーズは唯一のアルバム「電光石火」を出しただけでメンバー間の意見の相違から空中分解。               その後はウィルコ・ジョンソン・バンドを結成して、1985年に初来日。意外にも日本で人気が出て、何度も来日コンサートを行っています。

なお、2009年にはドクター・フィールグッドの結成から1977年のウィルコ・ジョンソン脱退までの足跡を描いたドキュメンタリー映画『ドクター・フィールグッド ・オイル・シティ・コンフィデンシャル』が公開されています。

「I'm a Hog for You Baby 」(1975)   ※動画再生中に映像右下の四角いアイコンをクリックすると画面が拡大されて、迫力のある映像を楽しめます。

元歌はコースターズのR&Bですが、ウィルコ・ジョンソンの畳みかけるような長い間奏が凄いです。それにしてもブリローおじさん、いい年して何やってるんですかねえ。一杯ひっかけているにしても、観ているこちらが恥ずかしくなります。

「Roxette」(1975)

デビューシングルですが、英国チャートにはチャートインしませんでした。ウィルコ・ジョンソンのカッティング奏法がよく分かりますね。文字通りカミソリのように切れ味が鋭いです。                  

「She Does It Right」(1975)

「She Does It Right」は2枚目のシングルで「Back in the Night」と並ぶ初期の代表作。ただし、こちらもチャートインしていません。この頃のウィルコ・ジョンソンは、まだ髪がふさふさしていますね。

「Back in the Night」(1975)

3枚目のシングルですが、この曲もチャートインせず。         珍しくボーカルのリー・ブリローがボトルネック・ギターを弾いているので、いつもはせかせかと忙しく動き回るウィルコ・ジョンソンが大人しくリズム・ギターに徹しています。

こちらは1975年の別のライブの映像です。                 「She Does It Right」~「Roxette」~メンバーへのインタビュー

ギタリスト兼バンドのソングライターとして中枢を担ってきたウィルコ・ジョンソンですが、他の3人のメンバーとの軋轢が徐々に強まり、1977年にとうとう解雇されてしまいます。

本人は「脱退したんだ。」と強がっていますが、他の3人のメンバーから「お前とはもう付き合い切れないから、辞めてくれ。」と言い渡されたのが真相に近いのかと。

一滴も飲めないウィルコに対して他の3人は大酒飲みで毎晩酔っぱらってどんちゃん騒ぎというストレスや一人で曲を書かねばならない重圧からか、それまでドラッグがらみの不祥事を度々起こしていましたから。

ウィルコは、「俺が抜けた後のドクター・フィールグッドは、ただの抜け殻だ。」みたいなことを言っていますね。                                  

「ミルク&アルコール」(1978)                                  

「ミルク&アルコール」はドクター・フィールグッド最大のヒットシングルで英国チャート9位まで上がりました。作詞作曲はニック・ロウとジッピー・メイヨ。ニック・ロウが関わりのあったジョン・リー・フッカーを暗に批判した作品のようです。                    ウィルコ・ジョンソンの後釜ギタリストとしてリー・ブリローが当時無名のジッピー・メイヨをどこからか引っ張ってきたのは大正解でした。曲が書ける上にウィルコ・ジョンソンのような派手さはないものの、ギタリストとしもなかなかの腕前です。

「Down At the Doctors」(1978)

こちらもジッピー・メイヨ時代の名曲ですが、英国チャート・トップ50には入ったものの最高位48位止まりでした。

「See You Later Alligator」 (1986)

こちらは、後期のビデオクリップ。ウィルコ・ジョンソンやジッピー・メイヨが在籍していた頃とは、随分印象が違いますね。でも、曲自体はアレンジが抜群で、全面に出ているブラスセクションも最高です。聴いている内にウキウキして来て踊り出したくなりますね。

元歌は1955年のボビー・チャールズによるミデアムテンポのロックンロール。翌年、ビル・ヘイリー&コメッツがカバーして全米トップテンヒットになり、有名曲になりました。

1988年のTVライブ。音声レベルがかなり低いです。          この頃になると、オリジナルメンバーは親分のリー・ブリローしか残っていません。




         


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