政府が「腐敗・不正・無能・悪意」の限りを尽くしているのに、なぜ、日本国民は怒らないのか?~国家と会社に従順な国民を育てる日本の「権威主義教育」~
マイナンバーカード・ショックドクトリン
現在ネットでは、「統一教会」問題、政府の「健康保険証の廃止とマイナンバーカードへの一体化宣言」の二つが重なり、蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。
健康保険証の廃止は「統一教会」問題から国民の目を逸らすスピンという側面もあるが、同時に国民の関心が「統一教会」問題に集まっている間に大急ぎでマイナンバーカード義務化を既成事実化してしまおうという火事場泥棒的「ショックドクトリン」でもある。
マイナンバーカードの狙いは「超監管理・監視社会の実現」と国民大増税
マイナンバーカードの最終目的は、あらゆる個人情報を紐付け、監視カメラ、顔認証システム、位置情報、電子決済システムその他のITシステムと連動させて、中国のようなプライバシーのない「超監管理・監視社会」を作る事にある。
政府は実物通貨を廃止して、デジタル通貨を導入する計画を着々と進めている。
そこまで行く前の当面の目標としては、マイナンバーカードへの「全口座紐付け」によって国民の金融資産を把握。所得課税と同じように、既に保有している資産にも課税する「資産課税」の仕組みを作り、大軍拡と政府債務返済のための大増税が出来るようにする事。
資産額に応じた健康保険料と患者窓口負担額の大幅引き上げ(社会保障の縮小)、更には政府財政破綻回避のための「預金封鎖」の可能性も指摘されている。
政府は既に巨額の累積債務による国家財政破綻を予期しており、飴玉と脅しでマイナンバーカード普及率を上げ国民からの収奪を強める計画。また、2024年の新紙幣切り替え後に旧紙幣の使用を禁止すれば、各家庭の「タンス預金」も強制的に吐き出させる事ができる。
これは、政府自民党の無能で腐敗した金融財政政策によって積み上げてきた1411兆円 (2022年度末見込み) の累積財政債務を国民の負担によって一気にチャラにしようとするまさに悪魔のような恐ろしいシナリオ。
そもそも世界一の巨大な累積債務を作ったのは自民党だが、莫大な借金を作った責任も一切とらず、逆に政府負債を強制的に貸し手である国民に押し付けようとしているのだ。
日本の税金の多くは米国、大企業(外国含む)、財界、縁故企業、富裕層、高級官僚たちのために使われ、国民に還元されるのは雀の涙
現在、税金や社会保険料などの国民負担率は50%を軽く超え、実質的負担率は60%に近づこうとしている。江戸時代なら6公4民で農民は再生産できなくなり、大規模な百姓一揆が頻発するレベル。実質賃金が下がる中、国民負担率だけは伸び続け、この20年間で31万円も負担額が増えている。
しかも日本は「先進国の」中でも「低福祉高負担国」の部類に入り、収めた税金の国民への還元率が非常に低い。
日本が長期間全く経済成長せず、低賃金と国民負担率の上昇、円安による物価高騰などによって多くの国民が貧困にあえいでいる一方で大企業・財界・資本家たちが我が世の春を謳歌しているのは、自民党の政策と予算配分が根本的に間違っているからだ。
国民が汗水たらして納めた税金が国民のためには使われず、大企業・財界・資本家など一部の自民党支持者たちを更に豊かにするために使われているせいで、安倍・菅政権の9年間で上位40位までの富裕層の資産は6兆円から24兆円に激増している。
また、国税庁によれば昨年の企業のもうけは、「過去最高の79.5兆円」に達した。
自民党のスポンサーである大企業・財界のために使われる税金が多いだけでなく、予備費16兆円が使途不明になっているのを見ても分かる通り、収めた税金の少なからぬ部分が様々な抜け道を使って「ブラックホール」に吸い込まれ、闇から闇へ消えてしまっている。
せっせと吸い取っているのは電通やパソナなどの自民党縁故企業、それに財界、資本家層、宗主国米国等だが、巨額の税金が様々なルートを通してその連中の懐に入って消えてしまうので、日本の経済成長にはまったく役立たない。
累積財政赤字には多重下請けによる巨額の中抜き、支給事業の民営化が進んだ事でより不透明になった「補助金事業」(2021年度経産省関係だけで4.7兆円)、運営を独立行政法人、公益法人などに丸投げするためガバナンスが杜撰な各種基金(2020~21年度の事業規模12兆8千億円)、経済財政諮問会議などの政府諮問会議を隠れ蓑にして縁故企業や財界に流された巨額の税金、安倍晋三が昭恵と共に海外大名旅行をする度に野放図に各国にばらまいて来た60~100兆円に上る外貨の原資である円も含まれている。
他にも毎年一般予算の4~5倍以上の予算が計上されているのに国会でもほとんどチェックされないため、多くの闇が隠されている特別会計(実質的な裏帳簿 二重帳簿)、予備費の十兆円単位の使途不明金、内閣官房長官の一存で自由に使える官房機密費、日本共産党以外の国政政党で山分けする掴み金同然の政党交付金、相場の2~3倍もする米国製型落ち兵器の言い値爆買いと在日米軍への「思いやり予算」など巨額の「売国亡国予算」が組まれて来た。
2022年には企業の内部留保は初めて500兆円を突破して516兆円となった。国家財政が国民の「預金封鎖」まで検討するほどの危機的状況にあると認識しているのなら、使い道がなく事実上遊休資産化している企業内部留保に真っ先に課税、または「資産凍結」して政府財政に繰り入れるのが筋だが、こちらは全くのアンタッチャブル状態で手付かず。財界は自民党のスポンサーなので当然だが。
2022年の米国債保有残高は、1兆2,128億ドルにまで膨らみ保有高世界一。現在の為替レートで日本円に換算すると軽く180兆円を超えるが、売ろうとすれば米国が激怒して時の総理の首が飛ぶので、こちらも売りたくても売れず米国に一方的に貢ぐだけの空証文。(多少の利息は付くが)
富裕税はスイス、オランダ、ノルウェーのヨーロッパ諸国やインドで実施されており、バイデン政権下でも導入が論議されている。しかし、日本では財政破綻が取りざたされている状況でも検討さえされていない。自民党総裁選時に岸田総理が打ち出したキャピタルゲイン課税引き上げもいつの間にかフェイドアウトしてしまった。
自民党の増税ターゲットはもっぱら一般国民であり、大企業や富裕層は増税対象とされていないのは不公平の極みである。
政府に人間扱いされず何度も踏みつけにされているのに、それでも怒らない日本国民
政府がこれだけの「腐敗・無能・不正・悪意」によるやりたい放題の暴政をすれば、普通の国なら国民が「ふざけるな!」と激怒して大規模反対運動が激化、暴動が起きたり、60年安保反対闘争時のように抗議デモが首相官邸や国会を十重二十重に取り囲んだりする事態になるだろう。
しかし、日本では、違憲・違法の「安部偽国葬」に対しては1万数千人規模の抗議デモがあったものの、それ以外は小規模なものに留まっている。最近では2015年の「安保法制反対デモ」を最後に、日本では10万人を超える大規模デモは起きていない。
政府に対する抗議活動や異議申し立ては国民の権利であり、健全な民主主義社会を保つ必要条件
日本ではあまり報道されないが、諸外国では物価高騰や経済危機、増税、公約違反、人権侵害、政府要人や議員のウソや汚職、人種差別など理由は様々だが、国民による大規模な抗議デモが日常的に起きている。
特に今年に入り、世界の国々では物価高騰の波が押し寄せ、賃金引き上げを求めるストライキが同時多発している。
イギリスでは過去30年で最大規模という鉄道ストが起きた他、アメリカ、フランス、韓国などでも国鉄、サービス業、空港、運送業など各分野にまたがる広範囲なストが来ている。
2018年から継続的に抗議デモを続けているフランスの「黄色いベスト運動」のように政府がデモ隊の要求を受け入れたり、譲歩したりするケースも相次いでいる。
それらの国では、選挙後、政府が公約通りの政策を実行するか、不正を働いていないか、政府の失政を棚に上げて増税や人権制限など反国民的な法律を成立させようとしていないかなどを常に国民やメディアが監視しており、政府にそれらの疑いや兆候があれば即時抗議行動に立ち上がる。
選挙で政権を担う政党を選ぶ事だけが民主主義でなく、国民が時の政府に言論やデモンストレーション、ストライキなどで異議申し立てする事も民主主義の大切な要素と考えているからだ。
そのような異議申し立ては、政府が一党独裁の強権政治に走ったり、野党や国民の声を無視して暴走したりする事に対する強い歯止めとして機能する。
現政権が選挙で勝利したとは言ってもその政策の全てに白紙委任状を与えた訳ではないのだから、支持できない政策に対してブレーキをかけようとするのは国民の当然の権利なのだ。
日本でこうした国民の権利としてのデモやストが起きないのは、大きく分けて四つの理由が考えられる。
一つ目は、諸外国と異なり、自国の憲法や政治、国民の権利など関する教育が極めて不十分で、選挙と多数決だけが民主主義だと勘違いしている国民が非常に多い事。この件については、次章以降で詳述する。
二つ目には、日本の労働組合が抱えている大きな弱点があげられる。 日本はストライキの中核となる労働組合の組織率が僅か16.9%しかなく、労働組合が必ずしも労働者の代表とは認知されていない状態にある。
その上、最大のナショナルセンターである「連合」が経団連など財界の御用組合となって経営側と一体化し、全く闘わない事も大きな悪影響を及ぼしている。
現会長であるごりごりの反共主義者茅野友子のように元々御用組合だった旧同盟系の幹部に支配されている「連合」は、闘うどころか労働争議やスト自体を敵視し、抑制する側に回って来た。
これまでも、スト破りをやって内部から組合員の団結を突き崩して弱体化させる、経営側に加担する御用労組である第2組合を作り、闘う第1組合を潰すといったあくどい事も平気でやって来た。こんな事をやっている闘わないニセ労働組合が、労働者に信頼されるはずがない。
旧総評解体時に左派系組合が結成した「全労連」(支持政党は日本共産党)は「闘う労働組合」の姿勢を堅持している。しかし、日本で2番目に大きなナショナルセンターとは言っても連合の702万人の組合員数に対して10分の1程度の組織人員しかないため、「中労委」にも代表委員を送る事ができないなどその影響力は小さい。
三つ目の社会的風潮の変化も見逃せない。 1975年の旧国鉄の国労・動労を中心とした「公労協」による8日間に渡る「スト権奪還スト」以降、ストに対する国民の意識は大きく様変わりしてしまった。
(※日本では、現在も公務員のスト権を含む「争議行為」が禁止されている。)
「スト権スト」の失敗後、政府自民党は主要メディアを使って「国民生活を長期間混乱させたのは、一部過激労組による身勝手なストライキである。」との大規模なネガティブキャンペーン攻撃を開始。
政府側の激しい労組攻撃に対して組合側は「スト権スト」自体が何の成果もなく失敗に終わった事もあって、有効な反撃の手を打てなかった。マスコミを使ったストライキに対するマイナスイメージの刷り込み効果は絶大で、「ストは国民生活への迷惑行為・反社会行為」とする社会風潮が国民の間に一気に広まって行く事になった。
共感して応援するのではなく、ストライキ自体を冷ややかに見る国民意識の変化は組合側を大いに委縮させ、これ以降、ストライキの件数、参加者は大幅に減少して行く。
同時に、要求実現や異議申し立てのために示威運動によって政府に心理的圧力をかける「デモンストレーション」もストと同様の過激な「迷惑行為」と見做す傾向も根強い。
第4の「日本の権威主義教育」の問題は、後半に詳述する。
「日本国憲法第12条」の積極的意義
「日本国憲法」には、次のような条文がある。
この条文は明治憲法にはなかったもので、Wikiでは条文前半部分について「権利や自由は主張し行使しなければ取り消されるのであり、よって国民自ら政府から防衛しなければならず」と説明されている。
警察や自衛隊などの実力組織を指揮下に置き、強大な権力を有する政府から国民が自らの「権利や自由」を守るためには、国民は「不断の努力」をしなければならず、その努力を怠ればたちまち奪われてしまう事を憲法12条は警告しているのだ。
はっきり明示されている訳ではないが、これは政府の暴政に対する国民の「抵抗権」の一種と解釈してよいだろう。
では、日本国民はこれまで「不断の努力をして来たか」と言えば、一部を除いて「否」と答えるしかない。特に安倍の「2012年体制」が成立してからの10年間、日本国民の大多数は政治に関心を持たず、約半数は選挙権さえ放棄する有様で「権利や自由」を守るための「不断の努力」を明らかに怠って来た。
その結果、後退に次ぐ後退を重ねて「権利や自由」を次々とはぎ取られ、国民を守る最後の砦である憲法さえ「解釈改憲」によって虫食い状態にされている。挙句の果ては国会で平気でウソがまかり通るようになり、近代国家としての最低限の「倫理」さえ失ってしまった。
現在ではウクライナ戦争に乗じて、明白な憲法違反である「敵基地(先制)攻撃能力」さえ、現実化しようとしている。
経済面でも、今の日本はシロアリである新自由主義者たちに寄ってたかって食い荒らされて腐敗した三流後進国にまで落ちぶれ、今や国家自体が破綻寸前の状態にある。
こうなった原因のひとつは、日本国憲法施行後70年以上も経つのに、未だに国民の「権利や自由」を守る上で非常に強力な武器になる「憲法12条」が国民の間にほとんど知られていない事も大きい。
「憲法9条」には大きな関心が払われており知らない人は少ないが、「憲法12条」の方は国民の関心の埒外にあり、条文が意味する内容を知る者もほとんどいないのが現状だ。
当然「不断の努力」とは何か、という事も国民は知らされておらず、主権者なのに学校でも教えられていない。更に言えば、そもそも日本では憲法全文について学習する機会がない。「憲法12条」自体の存在を知らなければ活用することも出来ないのは自明だ。
日本の学校は自国の憲法をまともに教えない
現行「学習指導要領」では小学校6年の「社会科」と中学校3年の「公民」で取り上げる事になっているが、それに割かれる時間はごく僅かで概略を学ぶ程度に過ぎない。
高校では「現代社会」でやや詳しく学習するが取り上げられるのは重要とされる条文に限られる。従って日本の学校教育では日本国憲法全体を詳しく学ぶ機会は与えられていないのが実情だ。
しかも今年度から実施されている「高校新指導要領」では「現代社会」が廃止され、新たな必修教科として「公共」が新設された。この新教科では道徳教育が柱となっており、憲法学習は片隅に追いやられている。しかも新しい教科書では何と「基本的人権」と「平和主義」が学習内容から削除されてしまっているのだ。
国民に知られては都合の悪いことは全力で隠すのが政府自民党のいつものやり口だが、学校教育でもその方針は徹底している。
「憲法12条」の「国民の不断の努力」とは
さて、話を「憲法12条」に戻すと「不断の努力」の内容としては、およそ次のような行動が該当すると考えられる。
日本ではSNSを使った「ツイデモ」などは盛んだが、上に書いたように重要な抗議活動のひとつであるデモやストなどの直接行動は近年非常に低調。政府が国民を踏みつけにするような理不尽な行いをしても直接怒りの声を上げる国民は非常に少ない。
抗議デモやストなどが頻発し日常化している外国人からは、日本国民が何をされても政府に従順で、まるで飼いならされた家畜のように見えるはずだ。
国家と会社に従順な人間を育成する「権威主義教育」
若者も含めて日本人全体がこれほどまでに大人しく、何をされて怒らないのはどうしてなのか、なぜ、「茹でガエル」あるいは「肉屋が大好きな豚」状態になってしまっているのかを考えて行くと、戦前から日本で行われて来た「権威主義教育」という問題に突き当たる。
日本の学校は敗戦直後の一時期を除き、山崎雅裕氏が指摘しているように「国家と会社に従順な人間を育成する」ために戦後も一貫して「偉い者や目上の者には無条件に従え」という「長いものには巻かれろ」式の「権威主義教育」が続けられてきた。
戦前の「天皇制権威主義教育」は天皇制絶対主義による「皇民教育」という名の「軍国教育」を支え、補完するものとして位置づけられていた。教育勅語や修身などによって服従・規律などを身に付けさせ、「男子には将来軍務につくときに役立つ素養を、 女子には『良妻賢母』として家庭を守る素養を獲得させる事」を大きな目標とした。
更に1925年からは、現役陸軍将校の中学校以上の男子校への配属と軍事教練の実施が開始されている。
戦後も生き残った「権威主義教育」
1947年の「教育基本法」制定により「皇民教育」は廃止されたが、「権威主義教育」は一種の慣習として戦後もしぶとく生き残った。
体育、道徳、特別活動、学級指導、校長訓話を中心とする朝会(朝礼)や軍隊式の集団訓練の場である運動会などの各種学校行事、入学したとたん上から降りて来て問答無用で生徒を束縛する「校則」、パワハラによって上の者には黙って従う精神とマッチョ思想を叩き込まれる運動系部活などがその中核。
厳格な上下関係、精神主義と根性「命」の応援団などは、さしずめそのチャンピオンだろう。
そもそも、文科省は学校と生徒・児童は「特別権力関係」にあるとして、日本の学校教育に憲法は適用されないという立場を取っている。中学高校で一方的に生徒を縛り付ける「校則」が大手を振ってまかり通っている根拠はそこにある。
「権威主義教育」の下での児童・生徒はあくまで躾を受ける客体であり、子どもたちの基本的人権や主体性など認めてはならないからだ。
体育授業や運動会では今でも「気を付け!」「前へ倣え!」「右向け、右!「回れ右!」などの軍隊式号令が当たり前のように行われており、一糸乱れぬ整列や集団行動が美しいとされる。
「権威主義教育」の特徴
その結果、学校教育を終える頃には「権力に自発的に隷従」し、主体的思考力ゃ批判精神を欠いた従順で羊のようにおとなしい国民が出来上がるという仕組みだ。(勿論、例外はあるが)
前記の運動系部活や応援団がその典型だが、「権威主義教育」で育てられた人間は自分より上の者には無条件で隷従する半面、下の者には加虐的な態度でその精神や行動を支配しようとする「権威主義的パーソナリティ」を身につける。
特に「強くなるためには指導者や上級生に黙って従え」式の体育会系ヒエラルキーが貫徹している運動系部活は、小学校からの「教育勅語」に基づく「皇民教育」と「現人神天皇陛下に忠誠を尽くせ」というマインドコントロールによって思考力を麻痺させ、「軍人勅諭」及び「私的制裁」という凄惨な暴力による恐怖で兵士を支配した旧日本軍の「軍隊教育」と根っこは同じだ。
「権威主義教育」では、集団の意思決定は権威や権力を持つ一部の者が独占するという意味で本質的に非民主的であり、そこでは、上意下達の理不尽な規則や慣習、暴言や暴力などのパワハラによる非合理主義が支配している。
これは別に学校教育に限った話ではなく、就職した後の社内教育や社畜を作る「みそぎ研修」で有名な「修養団」、軍隊教育さながらの「しごき外部委託宿泊研修」などの人権を無視したスパルタ式社員教育が未だに大手を振ってまかり通っている。
「権威主義教育」を更に強化した安倍政権
日本の「権威主義教育」を更に強化したのが、第一次安倍政権による2006年の教育基本法「改正」。これは、短命に終わった第一次安倍政権の数少ない「業績」だった。
「改正教育基本法」では日本の「伝統・文化」や「愛国心」を育むことを教育の重点目標とし、それまでなかった家庭での教育に関する条項を新設。「教育基本法」を戦前回帰の「権威主義的愛国教育」へと変質させてしまった。
その影響は、「改正教育基本法」に基づく教科書で教育された若者たちの「保守化」となって顕著に表れている。
「権威主義教育」で育てられた若者たち
現在の若者たちはこうした学校や企業、社会における「権威主義教育」で上の者(権力者)には黙って従うように躾られて育ったので、権力に異を唱えたり、反抗したりする事にネガティブな感情をもっている者が多い。
そのため政治的なデモや人間らしい待遇・賃金を求めて企業と闘うストライキなどに対しても事を荒立て、社会秩序を乱す迷惑行為として否定的な態度をとる。
権力に対して文句を言ったり、怒りや反対を表明したりすれば「集団の和を乱す変わり者・異端者」というレッテルを貼られて周りから孤立し、仲間外れにされたり、いじめられたりする事を常に恐れている。
だから、権力者の腐敗、不正、無能に対しても見て見ぬふりをして、なかったことにしてしまう。事なかれ主義で権力に素直に盲従していれば波風が立たず、その場は平穏無事でいられるからだ。実はこれが、日本の学校や会社などで「いじめ」が蔓延する温床なのだが。
権威や権力などに左右されず、自立して自分の頭を使って論理的に考え、主体的合理的に物事を判断して行動するのは民主主義社会の構成員としての近代的市民の必要条件だが、日本の大多数の国民は学校でこうした「市民教育」を受けていない。
これでは政治に限らず、日本社会のあらゆる面で見られる同調圧力に全く抵抗できない。
政治面に目を移すと、学校教育や社会教育で知らず知らずの内に「権威主義」を内面化して育った若者たちは、一強支配で権力者然としてふるまう安部元総理を自分たちを導いてくれる力強いリーダーとして支持し、その言説を信頼して受け入れる事に違和感を持たない。
若者たちは安部元総理が作った長期腐敗・不正・無能の「2012年体制」の政府しか知らないので他に比較対象がなく、今の政府のあり方が普通だと思っている。TVや新聞などの主要メディアが体制と一体化し、政府の言い分だけを一方的かつ大量に垂れ流す事による「刷り込み効果」がそれに拍車をかける。
「権威主義教育」の「成果」
米国と財界の傀儡自民党による半永久的支配や究極の反国民的政権であった安倍政権が作った「2012年体制」が未だに続いているのは、自民党や財界などの支配層から見れば紛れもなく「権威主義教育の成果」だろう。
政府がどれだけ「腐敗・不正・無能・悪意」の限りを尽くしても本気で怒らず、少し時間が経てば何事もなかったかのようにすぐに忘れてしまう「羊のように大人しくて従順」、まるで家畜のような国民を育ててくれたのだから。
本質的に非民主的で非合理的な「権威主義」はファシズムの温床であり、「権威主義」が強まれば強まるほどその社会は全体主義や国家主義に近づいていく。
学校教育にも憲法の適用を!
憲法や民主主義が機能しない「権威主義国家日本」を本当の民主主義国家に変えるためには「学校教育にも憲法を適用」し、現行の「権威主義教育」を廃して、真の民主主義教育に切り替えて行く必要がある。
憲法が学校教育にも適用されれば、「権威主義教育」は必然的に不可能になるからだ。
最後に中島みゆき唯一のプロテストソング「世情」(5分10秒あたりから)
高音質盤はこちら。 カバーですが、なかなかよく出来ています。
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