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映画ノート⑯ 『コリーニ事件』 ~自国の戦争加害責任と戦後処理の闇を鋭く告発した反戦映画

『コリーニ事件』は、昨年観た外国映画ベストワン。

全く予備知識なしで期待せずに観たドイツ映画。

弁護士兼作家のフェルディナント・フォン・シーラッハの同名小説が原作(邦訳あり)で、2011年に出版されて大反響を呼びベストセラーになったこと。それだけではなくこの小説の内容が、ある法律の改正を促すほどの衝撃をドイツ政界と法曹界に及ぼしたことなどは映画の鑑賞後に知った。

ドイツの高級ホテルで年老いたイタリア人コリーニが自分より高齢のドイツ人大物実業家ハンス・マイヤーを射殺し、殺した後も遺体の頭部を何度も踏みつけて損壊した。怨恨が疑われたが調べても動機が不明で国籍も異なっており、二人の間には何の接点も見つからない。

コリーニは弁護を担当した新米弁護士ライネンにも動機はおろか、事件についても沈黙して何も語ろうとしない。手がかりを捜していたライネンは公判中に殺害に使用された拳銃が、戦前のドイツ軍の軍用拳銃ワルサーP38である事を知る。

コリーニは、一体どこでこの古い拳銃を手に入れたのか?手がかりを求めてコリーニの生まれ故郷に向かったライネンは、そこで予想もしなかった驚愕の事実に直面することになる。

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初めの内は弁護士を主人公にしたよくある殺人事件の謎解き法廷ミステリーかと思ったら、途中から予想外の方向へ話が展開して行き、観終わって唖然とした。まさかこの映画でナチス・ドイツの占領国への加害責任と向き合う事になろうとは。

日独伊三国同盟の一員であるイタリアがドイツの被占領国というのはおかしいと思われるかもしれないが、連合軍のシチリア島上陸が必至となった1943年9月、イタリアでクーデターが起きてムッソリーニが失脚。代わって政権を握ったバドリオ将軍は三国同盟を破棄して連合軍に降伏した後、ドイツに先宣戦布告。だから、イタリアは最終的には日独のような敗戦国ではなく戦勝国なのだ。

突然の寝返りに激怒したヒトラーは、監禁されていたムッソリーニを救出して傀儡政権(イタリア社会共和国)を作らせると共にイタリア本土に侵攻、イタリア軍を武装解除して占領下に置いた。

コリーニ事件は、約1年半続いたドイツのイタリア占領時代に起きた対独レジスタンス運動とそれに対するドイツ軍の報復にその遠因があったのだ。

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しかし、この映画が優れているのは加害責任の追及だけで終わらせずに、返す刀でドイツの戦後処理の闇に光を当て白日の下にさらした点だ。

具体的には、東西冷戦に伴う「逆コース」の中でナチスの戦争犯罪人を免罪する法律(ドレーアー法)が秘密裏に作られていた事。それによって多くの元ナチス関係者の追放が解除され、国民に知られることなく密かに復権していた事実を暴き出し、鋭く告発しているのだ。

この映画を見ると自国が犯した戦争犯罪や加害責任に対する向き合い方がドイツと日本とでは根本的に異なっているのがよく分かる。戦後、ナチスとは完全に決別し、逃亡したナチス幹部の行方を追及し続けて来たドイツに対し、未だに自国の戦争責任や加害責任を曖昧にし続ける日本。

そもそもドイツ第三帝国(ナチス・ドイツ)は敗戦後、連合軍による「ベルリン宣言」によって完全に崩壊・消滅した。だから、戦前のナチス・ドイツと戦後成立したドイツ連邦共和国との間には連続性はなく、全く別の国家なのだ。

これに対し、日本は「ポツダム宣言」によって大日本帝国が消滅した訳ではなく、一部の高級官僚や政治家が公職追放戦前になっただけで、国家体制の基幹部分と官僚機構は首班を変えただけでそのまま存続した。

ファシズム国家大日本帝国の最高権力者であった昭和天皇は戦争責任を追及されるどころか退位さえしておらず、単に神がかりの「現人神」であることをやめ、国名も「日本国」と看板を架け替えただけだ。

国家元首であり、最高責任者である天皇さえ何の戦争責任もとらず、筆舌に尽くしがたい惨禍を与えたアジア諸国民や戦争の犠牲になった日本国民への謝罪の言葉さえ一言も口にしていない。当時の軍幹部や指導者層にしてみれば、(形式的には)その命令に従っただけの自分たちが戦争の謝罪をしたり、責任を取らされたりする謂れはないとの理屈なのだろう。

彼らからすれば、自分たちの戦争責任を回避し保身を計るためにも、絶対に天皇に謝罪させたり、退位させてならなかったのだ。

1948年頃から東西冷戦激化に伴ってGHQが政策を転換、「逆コース」によって公職追放されていた戦争犯罪人や戦争協力者たちが一斉に大手を振って公職復権する一方で、大量のレッド・パージが行われた。

その象徴がA級戦犯容疑者でありながらGHQの政治的思惑から訴追を免れただけでなく、米国のスパイとなって総理大臣にまで上り詰めた安倍晋三の祖父岸信介。「日本の民主主義は形だけ」(映画『新聞記者』)と言われるのは、この時の民主的改革の挫折と不徹底にその根本原因がある。

勿論、ベルリンの壁が象徴していたように東独・ソ連と直接対峙していた西ドイツでも東西冷戦の激化に伴う「逆コース」はあった。1950年、保守政党キリスト教民主同盟のアデナウアー政権によって元ナチ関係者約15万人の公職追放が解除され、そのほとんどが復職している。

この時復権した元ナチ関係者は犯罪に直接手を下していないことが証明された者たちで、戦争犯罪人は対象外だった。

しかし、復権した元ナチ関係者を中心に戦争犯罪人も免責しようという企てが起こり、1968年、復権を願う勢力が他の法律に紛れ込ませる手法で密かに成立させたのが幇助罪の時効を15年に短縮するドレーアー法。

当時は既に犯罪事実の発生から15年以上経過していたから、この法律の成立により命令に従って戦争犯罪を実行した戦争犯罪人たちも公職復帰が可能になった。

同時にそれは、戦争犯罪の被害者たちが戦後、苦心惨憺してようやく加害者を捜し当て罪を問おうとしても、時効の壁に阻まれて告訴すら不可能になってしまったことを意味する。

コリーニがドイツ軍のレジスタンス掃討部隊元指揮官だった大物実業家マイヤーを殺害したのは、法の抜け穴によって法律では裁けなくなってしまった戦争犯罪人にその罪を償わせるには、自らの手を汚すしか方法がなかったからなのだ。

ドレーアー法制定の中心人物エドゥアルト・ ドレーアーは、元ナチ党員でナチス政権下では検事として辣腕を振るった法律家。1968年にこの法律を成立させてしまったドイツ連邦議会は、当時、この法律の問題点に全く気付かず、小説『コリーニ事件』の大反響に驚き、その後、この問題はドイツ政界と法曹界を巻き込む大スキャンダルに発展した。

原作本の帯には、「ドイツで一大センセーションを巻き起こし(中略)ドイツ連邦法務省は省内に調査委員会を立ち上げた。」と書かれている。    これは、『コリーニ事件』が出版されて数ヶ月後の2012年1月、ドイツ連邦共和国法務大臣が法務省内に「ナチの過去再検討委員会」を設置したことを受けての記述だと思われる。

さて、『コリーニ事件』が明らかにしたドレーアー法へのドイツ国民の対応ぶりを見ても分かるように、ドイツが戦前のようなファシズム国家に戻ることはないと断言できる。しかし、日本も同じかと言えば、「同じ」とは全く言い切れないところが恐い。

日本は国家として戦前の天皇制全体主義の清算と決別ができておらず、根幹部分が未だに戦前と地続きのまま。何しろ日本は、上に書いたように戦争犯罪人だった岸信介を戦後、総理大臣にしてしまう国なのだから。「逆コース」どころの騒ぎではない。

しかも、岸には戦犯訴追を免れるために米CIAのエージェントになると言う協定を結び、その後、米国の後押しによって総理大臣にまで引き上げてもらったのではないかという疑惑まである。

民主化に向けての戦後処理がドイツよりも遥かに不徹底に終わった日本の戦後処理の闇が、国家主義、全体主義、権威主義、無責任主義という明治時代に作られた国家体制を温存し続ける結果を招いた。

「明治維新」以来150年間、「権威主義国家日本」を支える国民意識の基本的枠組みは本質的には何も変わらないまま現在まで続いていており、その経年劣化の結果が、政治的も経済的にも倫理的にも腐敗した三流衰退国「ニッポン」の今の姿なのだ。

『コリーニ事件』は、日本では絶対に作れない自国の戦争責任を真正面から鋭く糾弾した渾身の反戦映画だった。

日本の戦争加害責任の問題については、こちらでもふれている。

日本の医学界も戦前と地続きのままであることが、今回の新型コロナ騒動ではからずも露呈した。

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