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1960年代~80年代の泣ける名曲200選⑬~エリック・クラプトン、ドアーズ、ゲイリー・ルイス&プレイボーイズ、ブッカー・T&ザ・MG's、モンキーズ他全45曲~

「泣ける名曲」の定義は、こちらに書いています。

毎度のことですが、今回も1960代~80年代から外れる曲が数曲あります。

                                 ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ「オール・ユア・ラブ」(1966)

オーティス・ラッシュの名曲のカバー。
エリック・クラプトンが短かったブルースブレイカーズ在籍時に残した唯一のアルバム{「Blues Breakers with Eric Clapton」に収録されたブルースロック。聴きどころは、スローブルース⇒アップテンポのブルースロック⇒スローブルースと転調する曲構成。

エリック・クラプトンは脱退後にジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーと共にクリームを結成して成功を収める。
エリック・クラプトンが抜けた後、後任としてブルースブレイカーズに加入したのが、ピーター・グリーン。

                                 オーティス・ラッシュ・ウィズ・エリック・クラプトン「オール・ユア・ラブ」

エリック・クラプトンがあこがれのブルースマンオーティス・ラッシュと共演した時のライブ。

ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ「ダスト・マイ・ブルース 」 (1967)

脱退したエリック・クラプトンの後任ピーター・グリーン在籍時のアルバム「ハード・ロード」収録曲。元歌は、アメリカのブルース歌手エルモア・ジェイムス。エルモア・ジェイムスは「十字路伝説」で有名なロバート・ジョンソンと共に後のブルース、ロックプレイヤーたちに大きな影響を与えた。

アレンジはブルースロックらしく元歌よりかなりアップテンポ。聴きどころは何と言っても間奏のピーター・グリーンのギター。イントロのエルモア風ギターリフもしっかりコピーしている。

ベースは後にフリートウッド・マックに参加するジョン・マクヴィー、ドラムスのエインズレー・ダンバーはジェフ・ベック・グループを経て自身のブルースバンド、エインズレー・ダンバー・リタリエイションを結成する。

ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ「ダスト・マイ・ブルーム 」~「It's My Own Fault」(1967)

脱退したビーターグリーンに代わってブルースブレイカーズ三代目ギタリストとして加入したのが若手のミック・テイラー。

いつもながらジョン・メイオールのボーカルがいまいちの「ダスト・マイ・ブルーム 」だが、ミック・テイラーのギターがそれをしっかり補っていて聴きごたえがある。「It's My Own Fault」は、マディ・ウォーターズと並ぶモダン・ブルースの大御所B.B.キングのスローブルースのカバー。

ローリング・ストーンズ「イッツ・オンリー・ロックン・ロール 」(1974)

ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズの2枚のアルバム製作に参加した後ミック・テイラー加入したのが、ローリング・ストーンズ。

ロッド・スチュワート 「スーパースターはブロンドがお好き (1978)

同名アルバムの表題曲。アルバムからシングルカットされたディスコ調の「アイムセクシー」は、全米、全英共に1位。「スーパースターは~」は全米63位と振るわなかったが、個人的にはこの曲がアルバム中のベスト。

ロッド・スチュワート「ホット・レッグス」(1978)

ロッド・スチュワートには珍しいパンチの効いたブルースロックで、ティナ・ターナーや沢田研二もカバーしている。全米チャートは28位とイマイチだったが、全英チャートでは5位まで上昇。

ドアーズ「まぼろしの世界」(1967)

ドアーズの最高傑作アルバム「まぼろしの世界」表題曲。
ドアーズには郷愁を強く感じさせる曲がいくつかあるが、「まぼろしの世界」はその代表作。
1991年にジム・モリソンの破滅的な生き方を描いた映画『ドアーズ』が公開されている。

エリサ「まぼろしの世界」(2006)

                                  ドアーズ「ストレンジ・デイズ」(1967)

アルバム「まぼろしの世界」収録曲。
こちらもノスタルジックな曲調。

ドアーズ「ラブ・ミー・トゥ・タイムス」(1967)

この曲もアルバム「まぼろしの世界」収録曲されたアップテンポのブルースロック。

ジェーン・ジェット「ラブ・ミー・トゥ・タイムス」

                                  ドアーズ「Love Her Madly」(1971)

ジム・モリソンが在籍した最後のアルバム「L..A.ウーマン」収録曲。
ギターのロビー・クリューガーの作品で全米11位。

ドアーズ 「ハートに火をつけて」(1966)

デビューアルバム「ドアーズ 」からのジングル・カットで全米1位、年間2位と大ヒットした。 
                    
このライブでのジム・モリンはあまりやる気がなかったのか、覇気のない歌い方。確かにシングル盤と違ってフル・ヴァージョンは間奏部分が超長いので出番が少なく、手持無沙汰ではあっただろうが。

という訳で聴きどころは、キー・ボードのレイ・マンザレク、ギターのロビー・クリューガー、ドラムスのジョン・デンスモアの掛け合いによる間奏部分。

ドアーズ 「Take It As It Comes」

アルバム「ドアーズ 」収録曲。
楽器のイントロなしにいきなりボーカルから入る編曲が、当時としてはなかなか斬新だった
作曲は、ジム・モリソン。

ゲイリー・ルイス&プレイボーイズ「恋のダイアモンド」(1965)

ゲイリー・ルイス&プレイボーイズは今ではすっかり忘れ去られたハンドのひとつだが当時は大層な人気で、1960年台後半全米チャートに7曲のトップ10ヒット曲を送り込んでいる。

有名な喜劇俳優ジェリー・ルイスの息子ゲイリーが結成したソフト・ロックバンドで、同時期の英国ロックだとハーマンズ・ハーミッツ的立ち位置か。

デビュー曲の「恋のダイアモンド」は全米1位に輝き、一躍人気グループとなった。作曲は、ブルース・プロジェクトのメンバーだったアル・クーパー。一連のヒット曲の編曲を担当したのがレオン・ラッセルで、レコーディングにも参加している。

ゲイリー・ルイス&プレイボーイズ「カウント・ミー・イン」(1966)

セカンド・シングルで全米2位とこちらも大ヒットした。        

ゲイリー・ルイス&プレイボーイズ「君のハートは僕のもの」(1965)

3曲目の全米トップテンヒットで、4位まで上昇した。元歌は、「ビキニスタイルのお嬢さん」で有名なブライアン・ハイランド。

この曲の特徴であるバックコーラスのピッチの高いコーラスには、半分の速度で録音したテープを通常の速度で再生すると高い声になるという特殊音響効果が使われている。

TVアニメの主人公チップマンクスの一連のビートルズカバー曲やフォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」もこの手法。       

チップマンクス「オール・マイ・ラヴィング」(1964)

言わずと知れたビートルズの名曲のカバー。             

ゲイリー・ルイス&プレイボーイズ「あの娘のスタイル」(1965)

同名アルバムのタイトル曲で、ビルボード3位と大ヒット。
コーラス部分は、ビーチボーイズの影響を受けている。
アル・クーパー、レオンラッセル、ゲイリー・ルイスの共作。

ゲイリー・ルイス&プレイボーイズ「グリーングラス」(1966)

最後のトップテンヒットで全米8位。                

ゲイリー・ルイス&プレイボーイズ「ハートにキッス(涙のくちづけ)」(1968)

ゲイリー・ルイス&プレイボーイズ最後のヒット曲で、全米19位。
全米1位の大ヒット曲「ビキニスタイルのお嬢さん」で知られるブライアン・ハイランドの持ち歌(全米3位)のカバー。
レターメンもカバーしており、日本では「涙のくちづけ」という邦題が付けられてヒットした。

ブライアン・ハイランド「涙のくちづけ」(1962)

                                  悪乗りして
ブライアン・ハイランド「 ビキニスタイルのお嬢さん」(1962)              


ブッカー・T&ザ・MG's「グリーン・オニオン
」(1962)

ブッカー・T&ザ・MG'sは、オルガンのブッカー・T・ジョーンズを中心に結成されたインストグループ。
デビュー曲の「グリーン・オニオン」がインスト曲としては異例の全米3位にランクインして華々しいデビューを飾った。

ギターのスティーブ・クロッパーとベースのドナルド・ダック・ダンは、後にブルース・ブラザースバンドの一員として映画『ブルース・ブラザース』に出演している。

ブッカー・T&ザ・MG's「グリーン・オニオン」ライブ (1967)

                                 ブッカー・T&ザ・MG's「タイム・イズ・タイト」(1969)

映画「アッブ・タイト」のサントラ曲。
全米6位にチャートインするなど、こちらもヒットした。
このライブは、NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」でも放送された。
CCRのメンバーが、舞台の袖から感心したような表情で圧巻の演奏を見ているのが印象的だった。

ランナウェイズ「悩殺爆弾(チェリー・ボンブ)」(1976)

映画化もされているランナウェイズは本国よりも日本で絶大な人気があり、来日時は戸倉俊一が司会を務めたゴールデンタイムのTV番組にも出演。カーリーが下着同然の過激な姿で出てきて驚いた。規制が厳しくなった現在のTVでは完全にNGだろう。

ギターのジェーン・ジェットは解散後、自身のバンドを率いて大成功を収めている。「悩殺爆弾」は米国では106位とあと少しでホット100入りを逃しているが、ハードロックとしてはなかなかの出来。

映画ランナウェイズ~「悩殺爆弾(チェリー・ボンブ)」(2010)

『ランナウェイズ』はメンバー集めから解散までの4年間の軌跡を描いた実録内幕もの映画。原作はボーカルのシェリー・カーリーの自伝「Neon Angel」。モンキーズと同じくランナウェイズも商業的な思惑によって売り出されたバンド。

ジェーン・ジェットがプロデュースしているだけあって、演奏シーンは力が入っている。カーリーだけが目立つことに対する他のメンバー達の嫉妬やジェーンとカーリーの確執と愛憎が入り混じった怪しい関係もしっかり描かれており、映画としてはまずまずの出来。

だが、この業界には付き物とは言え、平均年齢17歳の少女たちがガールズロックズバンドとして成功して行く過程で酒、煙草、ドラッグ、男、セックスに溺れてボロボロにされていく過程は、やはり観ていて痛々しい。

ジェーン役は本人そっくりのクリステン・スチュワート、シェリー・カーリーはダコタ・ファニングが怪演。二人は、吸血鬼映画『トワイライト』シリーズでも共演している。

ジェーン・ジェット&ブラックハーツ「 Hate Myself for Loving You」(1988)

音楽業界ではよくある事だが、イントロのギターやメロディの一部がキンクスの「スーパーマン」の出だしのメロディによく似ていてびっくり。

キンクス「スーパーマン」(1979)

1970年の「エイプマン」以来7ぶりの全米トップ40ヒットとなった「ロックン・ロール・ファンタジー」の翌年にリリースされ、こちらも36位とスマッシュヒット。

世界的ディスコブーム真っ只中だったので、スタジオ録音盤はキンクス唯一のディスコ曲になっている。1982年2月の遅すぎた初来日公演ではハードロック・アレンジで演奏された。

当時のキンクスの人気を反映して会場は日本青年館と小さめのハコだったせいか、席も前から3列目。ステージ間近でレイ・ディヴィス様の御尊顔を拝することが出来た。演奏自体も手を抜くことなくエネルギッシュなパフォーマンスぶりで楽しめた。

欲を言えばハードロックだけでなく、初期の名曲「サニー・アフタヌーン」や中期のロックオペラ&コンセプトアルバム時代の曲も演奏して欲しかったが。

リッキー・マーティン「She Bangs」(2000)

プエルトリコ出身のリッキー・マーティンの世界的大ヒット曲。
PVはVFXにお金をかけているだけあって、大変よく出来ている。ラテン系の肉食感満載で観ているだけでお腹いっぱいになるが。

知念里奈「クラブ・ジパング」(2001)

1990年代女性アイドル知念里奈による「She Bangs」の日本語カバー。
奇妙ななメイクと衣装は何となく映画『アバター』を連想させる。

リッキー・マーティン「Livin' La Vida Loca」(1999)

リッキー・マーティン最大のヒット曲。こちらのPVも映像が凝っていて、見応えがある。
日本では剛ひろみが「GOLDFINGER'99」という邦題でカバー。「アーチチ、アチー」と歌ってヒットした。

ブレンダ・リー「思い出のタンゴ」(1964)

今ではすっかり忘れ去られているが、1960年代には何と47曲も全米チャートにランクインさせているヒットチャートの常連。パンチのある歌唱力で日本でも人気があった。

「思い出のタンゴ」はドラマチックな曲調の中に哀愁を感じさせる名曲だと思うのだが、全米135位と残念ながらヒットには至らなかった。当時、日本ではブレンダ・リーの人気が高かったので、この曲もそこそこヒットし奥村チヨがカバーした。

ワンダ・ジャクソン「フジヤマ・ママ」(1957)

「私が怒らせたら長崎、広島にみたいに頭を吹き飛ばしてやるよ、だって私は原爆のように凄いフジヤマ・ママなんだから」と歌う物騒な原発ネタロカビリー。

日本国民にとってはとんでもない歌詞の曲だが、日本で大ヒットした。ナガサキ、ヒロシマ、フジヤマ、サケなどの日本語が散りばめられているので、戦勝国のアメリカ人が日本の事を歌ってくれていると勘違いしたのかもしれない。敗戦からまだ10数年しか経っていない時期で、1959年には来日公演も行っている。

ワンダ・ジャクソン「「冷たい女(Hard Headed Woman)」

エルビス・ブレスリーの全米ナンバーワンヒットのカバー。
ワンダ・ジャクソンは当初カントリー歌手としてスタートしたが、付き合っていたエルビス・ブレスリーのアドバイスでロカビリー歌手に転向して成功。その後はロカビリーとカントリー音楽の間を行ったり来たりしている。

当時は珍しかった女性ロカビリー歌手の草分けとして「クイーン・オブ・ザ・ロカビリー」と呼ばれた。容姿に似合わぬ独特のダミ声でギターをかき鳴らしながら怒鳴り散らすように歌うライブはなかなかの迫力。

エルビス・ブレスリー「冷たい女」(1958)

プレスリーの11曲目の全米ナンバーワンヒットで、映画『闇に囁く声』の主題歌。レコードに比べると映画のサントラは、かなりスローテンポなアレンジになっている。

モンキーズ「空の終列車」(1966)

モンキーズはビートルズをはじめとする英国ロックバンドの所謂「ブリティッシュ・インベージョン」に対抗する?形で作られた4人組アイドル・グループ。

最初からレコード、コンサート、テレビのメディアミックス路線をとり、テレビで毎週コメディドラマ「ザ・モンキーズ・ショー」が放送された。このメディアミックス戦略は大成功し、デビューシングル「恋の終列車」は見事全米1位に輝き、人気が沸騰した。

日本では特にボーカルのデイビー・ジョーンズの人気が高く、モンキーズ解散後は単独で日本公演を行っている。

モンキーズ「」(1968)

「ザ・モンキーズ・ショー」が終了し、人気にやや陰りが見え始めた1968年のリリースだが、曲の良さもあり初登場で全米24位にランクインし、最高3位まで上昇した。個人的にはモンキーズの楽曲中最も好きな曲。

人気低下のテコ入れとして1968年に映画『ザ・モンキーズ 恋の合言葉HEAD!』が制作された。当時人気があったアメリカン・ニューシネマの要素を随所に取り込んだためか、斬新ではあったがアイドル映画としては難解過ぎて興行的に失敗した。

脚本は、何と名優ジャック・ニコルソン。ニコルソン自身もアメリカン・ニューシネマ映画『ファイブ・イージー・ピーセス』に主演している。

テンプターズ「すてきなバレリ」(1968)

                                  マイク・ネスミス「シルバー・ムーン」(1970)

モンキーズ脱退後、カントリー・ロック・バンド「ファースト・ナショナル・バンド」を結成。「シルバー・ムーン」は、「ジョアンヌ」に続く全米トップ40ヒット。

マイク・ネスミスはモンキーズのオーディションを受ける以前はカントリー音楽をやっていたので、モンキーズでも「パパ・ジーンズ・ブルース」などのカントリー・ロックを歌っている。

モンキーズ「パパ・ジーンズ・ブルース」(1966)

                                 バーバラ・マンドレル「KAW-LIGA」

「Kaw-Liga」は1952年にハンク・ウィリアムズが作曲してリリースしたカントリー音楽のスタンダードナンバーで、多くの歌手にカバーされている名作。

チャーリー・プライド「KAW-LIGA)」(1968)

ポピュラー音楽っぽいアレンジのバーバラ・マンドレルに比べるとチャーリー・プライドは、元歌に忠実に歌っている。太鼓のリズムが独特でいつまでも耳に残る(インディアンの太鼓?)。日本でもカントリー音楽のブームがあり、小坂一也や北原健司がカバーした。      

北原謙二「カウ・ライジャ (KAW-LIGA)」(1964)

北原健司はカントリー歌手としてスタートしたが、レコードデビューに際して歌謡曲に転向。1962年に和製リズム「ドドンパ」の代表曲「若いふたり」を大ヒットさせている。

カントリー音楽のシングルはA面「北風」B面「カウ・ライジャ」の1枚だけだが、メジャーデビュー前はカントリー歌手をしていただけあってカントリーの独特な歌唱法をしっかりマスターしている。

カントリー音楽の名曲をもう一曲。

テキサス・ビル・ストレングス「北風」(1958)

オリジナルはスリム・ホィットマンが1953年に出した曲だが、殆どヒットしていない。日本では1950年台後半のカントリー音楽ブームに伴い、テキサス・ビル・ストレングスで大ヒットした。

北原謙二「北風」(1964)

なかなかうまく歌っていて、独自の味わいがある。
間奏のストリングスが心地よい。

最後は、またロックに戻ってステイタス・クォーの切れ味のよいブギー・ロックで〆。

ステイタス・クォー「ドント・ドライブ・マイ・カー」(1980)


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