自民党は米国と財界によって作られた売国政党
保守合同を主導した米国の思惑
実態を知らない国民が多いが、端的に言えば自由民主党はその成り立ちからして宗主国米国と日本の財界(+その背後にいる特権資本家層)のために作られた政党である。
現在の自民党は1955年11月、戦前からの流れを汲む日本民主党と自由党の保守二大政党の合同によって成立した。
両党の源流である日本自由党と日本進歩党などの保守政党は敗戦直後に戦前からの政治家たちによって結成されたが、スポンサーであるはずの財界はGHQによる「財閥解体」や経済団体の解散などによって資金援助どころではなく、結党資金や政党運営費の多くを「隠退蔵物資」を横流しした資金に頼っていたとされている。
この一件だけを見ても戦後日本の保守政党が、その出発時点から国民の財産を隠匿横領して得た汚いカネにまみれていた事が理解できるはずだ。他にも戦後初の「指揮権発動」によって、当時、自由党幹事長だった佐藤栄作の逮捕を止めた事で有名な「造船疑獄」、復興委金をめぐる政治的汚職事件「昭電疑獄」をはじめとする数々の疑獄事件を起こしている。
人脈や政治路線が異なり感情的な確執もあった犬猿の仲の民主党と自由党の合同がなぜ実現したかと言えば、日本占領を永久化する「安保体制」によって日本の宗主国となった米国の強い働きかけがあったからに他ならない。
1955年2月の総選挙後に成立した鳩山内閣は少数与党だっため、政権運営に苦慮していた(鳩山民主党:185、吉田自由党:112、左派社会党:89、右派社会党:67) 。敗戦直後から続く鳩山一郎と吉田茂との確執による政争も激化しており、反共の砦として日本の政治的安定を求めていた米国の思惑とは程遠い政治状況だった。
折からの左右社会党の合同に危機感を抱いた米国は、業を煮やして保守政党の大同団結工作に乗り出す。
2年前の講和条約でGHQの支配から脱し、建前上は「独立国」となった日本の政党を直接指図する事は憚られた。そこで米国がとった方法が、保守政党のスポンサーである財界に働きかけて保守合同を促す事だった。
保守合同による米国側のメリットは、米国から日本の保守政界に対する命令伝達が一本化されてスムーズになる事と3年前まで続いていたGHQの日本占領政策をそのまま自民党に肩代わりさせて継続できる事。
米国の日本統治方針
②以外は、米国の計画通りに進んだ。しかし、「日本の経済発展阻止」は、上に書いたように東西冷戦の激化と戦後の復興需要、日本経済を一気に立ち直らせた朝鮮戦争特需、当時の自民党指導者の巧妙な面従腹背・軽武装路線、ベトナム戦争特需、1947年から50年にかけてのベビーブームによる人口ボーナスなどによる高度経済成長によって米国の思惑通りには進まなかった。
米国の計画を狂わせた最大の要因は東西冷戦と朝鮮戦争で、日本を朝鮮戦争の後方兵站基地にするため経済復興と工業化を認めざるを得なかった。米国は日本の経済的発展を内心では苦々しくは思っていたが、東西冷戦の激化もあって仕方なく大目に見ていた。
1980年代末、ソ連の急激な衰退を確信した米国は当時、世界第2位の経済大国となって米国の経済的覇権を脅かしつつあった日本に対し、日銀を使った急激な「バブル創成と崩壊」を仕掛けて一気に叩き潰した。
この辺りのより詳しい経緯については、こちら。
日銀による「バブル創成と崩壊」の目的については、次の記事で詳述している。
日本の人口減少については、戦後、他国のベビーブームが10年程度続いたのに日本のそれはGHQの抑制政策により1949年までの4年程度の短期間で終わった。
その後、高度成長時代に第2次ベビーブームは起きたもののバブル崩壊後の政府の意図的なデフレ政策(就職氷河期)と非正規雇用の促進などによって、狙い通り第3次ベビーブームは起きなかった。
1948年に施行された優生保護法、海外移民の奨励、政府主導の産児制限運動などの推進によって日本の人口増は頭打ちとなり、2008年以降は急激な減少に転じた。
保守合同を歓迎した財界の思惑
米国からの保守合同の指示は不安定な政局と合同した社会党の勢力拡大を危惧していた財界にとっても渡りに船だった。
「日経連」「経団連」「経済同友会」「日本商工会議所」の財界4団体は、巨額の政治資金にものを言わせて両党に保守合同を強力に働きかけた。保守合同が実現すれば保守安定政権が誕生すると同時に、複雑な政治資金のルートを一本化できるのでまさに一石二鳥だったからだ。
米CIAによる自民党への資金工作
新党の結成には多額の政治資金が必要だが、大所帯でしかも成り立ちや理念・政策などが微妙に異なる多様な派閥の集まりである両党の合同ともなれば、その結党資金は半端なものではなかったはずだ。また、合同反対派を黙らせる裏金も必要だった。
保守合同への米国と財界による資金援助額は明らかになっていないが、その後の米国からのカネの流れについては情報公開制度によって一端を垣間見る事が出来る。1958年に当時の岸首相の実弟佐藤栄作が米大使館に資金援助をねだった事。CIAが1964年まで7~8年間に渡って対日資金工作を行っていた事などが明らかになっている(米国務省外交資料集『合衆国の外交』)。
『合衆国の外交』には、これと並行してCIAが社会党を分裂、弱体化させるために西尾末広など社会党右派に資金提供を行い、1960年の「安保改定」直前に民社党を結党させた事も記されている。
肝心の保守合同前後の米国による対日工作や援助額については情報公開されていないので、未だに詳細は闇の中。米国には「30年ルール」があるので非公開はおかしいのだがこれには裏があり、1987年に外務省が米国務省に対して、当時の日本関係の公文書を解禁しないよう必死に働きかけていた事実が明るみに出ている(名越健郎『秘密資金の戦後政党史』)
「日米構造協議」(1994年からは「対日年次改革要望書」)等で内政干渉同然の米国からの要求をほぼ丸呑みして来た日本政府が、こと公文書解禁に関してだけは逆に米国に対する内政干渉まがいの事をしているのが非常に特異。これは裏を返せば、当時の米公文書には米国と財界による資金援助も含めて、政府自民党がひっくり返るようなとんでもない機密情報が含まれている事の証左に他ならない。
以上、その成り立ちとカネの流れを見ただけでも分かるように、米国にとって自民党は半植民地(名目上は独立国だが実質的に植民地同然)の現地傀儡政権、財界の総本山「経団連」にとっては大企業財界の要求事項を実現し、その利益を最大化させるために政治献金というエサを与えて飼っている御用政党というのがその実態なのだ。
続きは、こちら。
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