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1960年代~80年代の泣ける名曲100選⑦~サンタナ、キンクス、ディープ・パープル、タートルズ、ファルコ等全24曲
ジャンルを問わずマイナー調の泣ける名曲を聴いて行こうというシリーズです。
「泣ける曲」の定義と守備範囲については、こちらをご参照ください。
今回は、ロックを中心に泣ける名曲を集めてみました。
062 サンタナ「祭典 (Toussaint L'Overture)」
今でもサンタナの最高傑作アルバムだと思っている「サンタナⅢ」収録曲。映画『ウッドストック』で演奏した「ソウル・サクリファイス」と並ぶド迫力のインスト・ナンバー。終盤の盛り上げ方も秀逸で、よくこんな旋律を思いつくものだなあと感心。
「サンタナⅠ・Ⅱ・Ⅲ」や横尾忠則がアルバムジャケットを担当した「ロータスの伝説」など、サンタナのカバーアートは凝ったものが多く見応えがあるのも特徴。
063 ゲイリー・ムーア「パリの散歩道」(1978)
羽生結弦がソチオリンピックで使用したことから、日本でも有名になりました。この曲にボーカルはいらないのでは?感じるのは、私だけでしょうか。映像は、Phil Lynottとの共演ライブ。
064 こちらは、シャドウズの純粋インストゥルメンタル・カバー。 少し淡白すぎるきらいはありますが。
065 ディープパープル「ハイウェイスター」
ディープパープルの代表曲。 ジョン・ロードのキーボードもいいですが、リッチー・ブラックモアの間奏は天下一品一世一代の名演奏。「超かっこいい!」と、当時のギター小僧たちがこぞって真似しました。
066 リッチー・ブラックモアズ・レインボー「オールナイト・ロング」(1979)
こちらのイントロもかっこいい! 私が行った来日コンサートでは演奏してくれなくて、がっかりでしたが。
067 ファルコ「夜のタンゴ」(1980)
ファルコは、珍しいオーストリア出身のポップス歌手。 1985年の世界的大ヒット曲「ロック・ミー・アマデウス」で一躍有名になりましたが、1998年、交通事故により惜しくも40歳の若さで他界。
「夜のタンゴ」は、「 FALCO 3(ロック・ミー・アマデウス)」収録曲。
068 スティーブ・ミラー・バンド「アブラカダブラ」(1982)
題名通り摩訶不思議な感じがする曲で、歌詞の方も何やら呪文を唱えているような。全米1位、全英2位とスティーブ・ミラー・バンド最大のヒット曲。
シルヴィ・バルタンが歌う同名異曲。
069 シルヴィ・バルタン「アブラカダブラ」(1971)
070 Squirrel Nut Zippers 「Hell」(1996)
大陸系のジプシージャズの影響が感じられるのでヨーロッパのどこかの国のバンドかと思ったら、意外にもアメリカのバンドでした。「Hell」は、彼らの最大のヒット曲。と言っても全米チャート72位の小ヒット程度ですが。
071 キンクス「ヴィレッジ・グリーン」(1968)
「ヴィレッジ・グリーン」が収録された『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ』 は、ヴィレッジ・グリーンという架空の町を舞台にしたキンクスのコンセプト・アルバム第1弾。所謂「コンセプト・アルバム&ロック・オペラ時代」の幕開けです。
この後、1975年の『不良少年のメロディ』まで7年間に10枚のアルバムを発表しますが、どのアルバムもレイ・ディヴィスならではのノスタルジーを感じさせる抒情派ロックのオンパレード。「ヴィレッジ・グリーン」は、その中でも1、2を争う名曲中の名曲です。
072 キンクス「初恋の頃」(1975)
キンクスファンの大ブーイングを浴び続けた「コンセプトアルバム&ロックオペラ時代」の最後を飾る名盤『不良少年のメロディ』収録曲で、レイ・ディヴィスの変幻自在の曲作りが楽しめる名曲。
このアルバムを最後にキンクスはRCAを離れてアリスタに移籍。全く売れなかったノスタルジックで抒情的な曲作りは封印して、次のアルバム「スリープウォーカー」からハードロック指向を強めて行きます。
073 ナイト「ホット・サマー・ナイツ」(1979)
前年にリリースされたウォルター・イーガンのカバー。 ウォルターの曲はどういう訳か発売が冬にずれ込んだため、当然ながら季節外れで大して売れず。翌年、新人バンド「ナイト」のシングル第1弾として季節に合わせてリリースしたところ、全米5位の大ヒット。
074 ポール・リヴィア&ザ・レイダーズ「キックス」(1966)
どういう訳か、初期のレイダースは、アメリカ独立戦争当時の軍服姿でプレイしていました。確かに人目を引くので、新人バンドが売り出すにはもってこいだったのでしょう。
「キックス」は全米4位の大ヒット曲で、日本でもヒットしています。マーク・リンゼイのアクの強いボーカルもさることながら、バックのペースとギターリフも聴きどころです。
075 マーク・リンゼイ&レイダース「嘆きのインディアン」(1971)
1838年、米政府は、チェロキー族インディアンを遠く離れたオクラホマの地を勝手に居留地に指定して強制移住。その過程で15000人のチェロキー族の内、4000人が死亡しました。インディアンを人間扱いしない居留地強制移住の暴挙と悲劇を取り上げた「嘆きのインディアン」は、ロックには珍しく極めて社会性の強い作品です。 オリジナルは、マーヴィン・レインウォーター の「白い顔のインディアン The Pale Faced Indian」(1959)。1968年にドン・ファードンが「Indian Reservation」と改題してカバー(全米20位)。マーク・リンゼイ&レイダースは、3度目のカバーで見事全米1位を獲得しています。
076 ドン・ファードン「Indian Reservation」(1968)
077 タートルズ「ハッピー・トゥゲザー」(1967)
アメリカのフォークロック・バンド「タートルズ」最大のヒット曲で、ビートルズの「ペニー・レイン」に代わって全米1位に輝きました。
078 タートルズ「エレノア」(1968)
短調の主旋律がサビでは長調に変化し、合唱で盛り上げていくという曲構成は、「ハッピー・トゥゲザー」と全く同じ手法。「エレノア」も全米7位とヒットしています。
079 クリスティ 「イエローリバー」(1970)
元々は、ジェフ・クリスティーが「サイレンス・イズ・ゴールデン」で知られるトレメローズに提供した曲。トレメローズはレコーディングまで行ったものの、結局、発売は見送りになってしまいました。そこで、作者のジェフ・クリスティーが自分の名前をバンド名にしたクリスティを結成して発売したところ世界的な大ヒットに。
トレメローズにとっては何とも皮肉な結果と相なりましたが、トレメローズの「イエローリバー」は、どんな感じだったんのでしょうか。ちょっと聴いてみたい気もしますね。と、思ったらユーチューブにアップされていました。
080 トレメローズ「イエローリバー」(1970)
聴きなれているせいか、やっぱりクリスティの方がよろしいかと。特にボーカルがいまいちですね。
081 スイート「ティーンエイジ狂騒曲」(1974)
スイートは、アイドル系グラムロックバンド。 グラムロックには珍しいブルースロックっぽいアレンジの「ティーンエイジ狂騒曲」は、全英2位になっています。 映像は、明らかに疑似ライブですね。
082 マッコイズ「カモン・レッツ・ゴー」(1966)
リッチー・ヴァレンスの1958年のオリジナルは全米44位と振るいませんでしたが、マッコイズのカバーは全米2位の大ヒットになっています。 オリジナル曲にはないイントロの印象的なギターリフで、一気に引き込まれてしまうせいでしょうか。
083 ジェスチャーズ「ラン・ラン・ラン」(1964)
全米では44位とトップ40にも届かなかったこの曲を日本でシングル発売したプロデューサーさんは、偉い! 日本では、カバーポップス歌手時代の内田裕也がカバーしています。
084 デイブ・ディー・グループ「オーケイ! Okey! 」(1967)
正式なバンド名がデイヴ・ディー、ドジー、ビーキー、ミック&ティッチと長くてとても覚えられないので、日本ではデイブ・ディー・グループと略称されていました。
当時の日本は、GSブームの真っ最中。この曲はGSには大人気でカーナビーツをはじめ、シャープホークス、尾崎紀世彦とザ・ワンダース、木の実ナナ&レオ・ビーツ、スウィング・ウエストなどがカバー。ジャガーズも「キサナドゥの伝説」をカバーしてヒットさせています。
「オーケイ!」は短調と長調の切り替えが絶妙で(要するに対比です)、日本人には特に前奏と間奏の物悲しい短調のメロディが受けたのではないでしょうか。デイブ・ディー・グループは本国イギリスや日本では人気がありましたが、米国では全く受けず、「ザバダク」が小ヒットしただけに終わっています。
085 ジョニー・リバース 「マディ・ウォーター」(1966)
「メンフィス」(全米2位)、「秘密諜報員」(3位)、「僕等の街」(1位)などのヒット曲で知られるジョニー・リバースの本拠地「ウィスキー・ア・ゴーゴー」でのライブ(全米19位)。バックの女性コーラスもいいですね。
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