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B級GS(グループサウンズ)名曲集③~「一人GS」(前編)ジュディ・オング、泉アキ、黛ジュン、中尾ミエ他

GSの栄枯盛衰や定義などについては、こちらに書いています。

どんな曲を「一人GS」と呼ぶかについてははっきりした定義はありませんが、ここでは以下の1を基本に2~4の項目のどれかにあてはまれば「一人GS」の範疇に入れています(例外あり)。

1 基本的に1960年代半ば以降の曲でGSの影響が感じられる。        2 バック演奏をGSバンドが担当している。               3 従来の歌謡曲には見られない洋楽風のアップテンポのリズム。               4 バックのエレキギターが強調されている。              5 GS研究家黒沢進編『カルトGSコレクション』収録曲

聴いた感じがGSっぼい曲という理由で当方が主観的に選んだ曲もかなりあるいので、聴いてみたら「一人GS」とは思えないような曲もあるかもしれません。また、「一人GS」として定評のある曲でも「名曲」とは呼べない曲は一部を除いて選外としました。

中尾ミエ「恋のシャロック」~「シャロックNo.1」(1968)

カバーポップス歌手中尾ミエのオリジナル曲。ナベプロ三人娘(スパーク三人娘)の長女格で現役女性歌手の中では大御所的存在。                    
デビュー曲の「可愛いベイビー」(コニー・フランシスのカバー)が100万枚以上のビッグヒットとなりスターダムにかけ上がりましたが、その後はヒットらしいヒットに恵まれず仕舞い。三人娘の対談番組でも「ゆかりちゃんやまりちゃんには大ヒットが何曲もあるのに、私は『可愛いベイビー』だけ・・・」と嘆いていました。

ただし、1971年に発売した「片思い」(槇みちるのカバー)が6年も経った1977年にスマッシュヒットしています。いずれにしても、実力の割にはヒット曲に恵まれなかったのは事実なので、もっと評価されてよい歌手だと思っています。あまり売れなかったものの「淋しいから」や「忘れられた坊や」をはじめ知られざる名曲は、何曲もありますから。                         
ファズギターを全面に使った「シャロック」はA面B面を続けて聴いてみるとバックの演奏はGSというよりは、当時米英を中心に流行していたサイケデリック・ロックの強い影響が感じられ、GSの先を行っているなかなか革新的な楽曲だったと思います。                      因みに「シャロック」とは、シャッフルとロックを掛け合わせたニューリズムなのだそうです。

黛ジュン「恋のハレルヤ 」(1967)

GS研究家黒沢進が「一人GS」第1号と認定しているエレキ歌謡で、バック演奏は「ヘイ・ミスター・ブルーバード」のブラックストーンズ(らしい)。イントロの空気を切り裂くようなエレキギターがなかなか鮮烈。                             
作詞家なかにし礼の出世作「恋のハレルヤ」は満州からの過酷な引き上げ体験から生まれた曲であり、なかにしは「自分は、反戦歌のつもりで書いた。」と語っています。

「ハレルヤ」という題名には、生まれ故郷満州への望郷の思いがこめられているそうですが、だとすると「沈む夕陽」はさしずめ崩壊する大日本帝国と満州帝国でしょうか。「愛されたくて 愛したんじゃない」という歌詞には、自分たちを捨てた大日本帝国へのルサンチマンが感じられなくもないですね。

泉アキ&レインジャーズ「恋はハートで」(1967)

泉アキのデビュー曲。カルトGSコレクション [クラウン編] 収録。    いい曲なのですが、インパクトをつけるためかわざわざ癖のある歌い方をししたため、それがかえって逆効果になってしまっているような印象を受けます。バックのレインジャーズは2枚目のシングル「赤く赤くハートが」を小ヒットさせ、同じ時期にバンド名をレンジャーズに改名しています。

泉アキ 「夕焼けのあいつ」(1968)

2枚目のシングル。こちらも名曲です。

ジュディ・オング「哀しみの十字架」(1968)

ジュディ・オングの芸歴は長く、10才の頃から子役としてテレビドラマや映画で活躍。1966年に「星と恋したい」で歌手デビュー。

デビュー時期が丁度GS隆盛期と重なっていたため、取り上げた2曲の他にも「ヤング・ヤング東京」「たそがれの赤い月」「ふたりの季節」などGS寄りのシングルを何曲も出しています。

また、エレキ歌謡映画『青春ア・ゴーゴー』に出演して同名曲を歌っていました。映画『小さなスナック』でも、パープルシャドウズの演奏をバックにした歌唱シーンを観ることができます。

                                  ジュディ・オング「夕陽の恋」(1967)

                                  ジュディ・オング&スパイダース「青春ア・ゴーゴー」(1966)

前記の映画『青春ア.ゴーゴー』より、スパイダースや山内賢&浜田光夫の即席バンドとジュディ・オングの歌唱シーン。太田雅子時代の梶芽衣子が山内賢の妹役で出演していました。

ほりまさゆき「ブロークン・ギター」(1963)

『カルトGSコレクション [キングレコード編] 』収録曲。        黒沢進がなぜ、GSがまだ影も形もない1963年発売のこの曲を選んだのか謎です。バックはブルージーンズなので、ロカビリー路線のの延長線上にある曲だと思うのですが。

克美しげる「ブロークン・ギター」

ほりまさゆきを取り上げたのなら、克美しげるを入れない訳にはいきませんね。さすがは克美しげるでほりまさゆき盤より出来がいいと思うのですが、こちらは『カルトGSコレクション』には未収録。なかなか軽快なロックンロールに仕上がっています。歌詞も異なります。                       
B面とは言えほりまさゆきとの競作、しかもほりまさゆき盤では英語で歌っている箇所があるので多分外国のカバー曲だとおもうのですが、情報が全く見当たりません。。

克美しげるについては、こちらにも書いています。

田村エミ 「赤い星、青い星」(1967)

『カルトGSコレクション [ポリドール編]』収録曲。           余談ですが、スプートニクスが来日コンサートで日本人ファン向けのサービスとしてこの曲をカバーしていたような記憶があります。歌っていたのは、金髪のキーボード奏者ピーター・ウィンスネスだったかと。

高木たかし「東京ア・ゴーゴー」(1966)

発売当時は、そのものズバリの「エレキ青春歌謡」と呼ばれていたらしいです。「青春ア・ゴーゴー」と題名が似ているので、間違えそうになります。バック演奏は、スパイダース。間奏は、さすがに迫力があります。   ゴーゴーダンスやゴーゴー喫茶が流行っていたいた時代の曲ですね。

ロイヤル・フィンガーズ 「東京ア・ゴーゴー」

こちらは、エレキバンド「ロイヤル・フィンガーズ 」によるカバー。   エレキインストバンドらしく歌唱力はないものの、間奏では実力を発揮しています。 

この曲は『GSワンダーランド』の本田隆一監督の映画第1作『東京ハレンチ天国 さよならのブルース』(2001)の挿入歌としても使われており、映画にはダイナマイツの瀬川洋もライブハウスのオーナー役で特別出演。

北上淳也「好き好き好きと何回も」(1965)

こちらはエレキ歌謡と言うよりはリズム歌謡路線に近い曲。当時、同じ路線をとっていた西郷輝彦の後輩として売り出されました。曲はよかったのですがあまり個性が感じられず、同じクラウンレコードの同期、美樹克彦に大きく水をあけられてしまいました。                   映像は、鳥居恵子・石川博主演の映画『制服の胸のここには』(1972)。

日下優「好き好き好きと何回も」(2008)

全曲なつメロカバー曲アルバム「DANCE DANCE DANCE」収録曲。

梢 みわ 「恋のバイカル」 (1968)

誰もが一人GSと認める有名な曲です。メロディ自体は歌謡曲調ですが、リズムでGSらしさをイントロのマンドリンでロシアらしさを演出しています。

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