踏まれることはつらいこと?
こんにちは、たかひとです。
雑草魂という言葉がありますよね。
踏まれても踏まれても立ち上がる、というイメージで使われると思います。
でも、本当の雑草魂は、「踏まれても立ち上がらない」とのこと。
なぜそうなるかは、まず植物本来の目的から考えてみます。
一番大事なことは、花を咲かせて種を残すこと。
それなのに、踏まれても立ち上がろうとするのは、かなり無駄なエネルギーを使うことになります。
踏まれながらも、花を咲かせたり、種を残すことにエネルギーを注がなければなりません。
もちろん、踏まれっぱなしというわけでありません。
横に伸びる、茎を短くする、地面の下の根を伸ばすなどして、何とかして花を咲かせようとします。
これらのことから、本当の雑草魂とは、
「踏まれても踏まれても大切なことを見失わない」ことだと学びました。
また、踏まれるところに生える雑草の多くは、固さと柔らかさを併せ持った構造をしているとのこと。
そうでないと、折れたり、ちぎれたりしてしまうので。
固さと同時にしなやかな柔らかさを持ち、柔らかさの中にしっかりした固さを持っている。
これが雑草の強さの秘密ということでした。
人間も見習わないと。
あと、そもそも、立ち上がらなければならない、上に伸びなければならないなどと誰が決めたのでしょうか?
上に伸びることしか知らなければ、踏まれたときにポキンと折れてしまいます。
さらに、上どころか横にも伸びることができなくなった雑草は、下に伸びます。
見た目には成長していないように見えるかもしれませんが、見えないところで根が成長しています。
人間も、根っこが大事ですよね。
日照りなど有事のときにモノを言うのは、水をもらっている作物ではなく、誰も水を与えてくれない雑草。
何しろ、根の張り方が違いますから。
私もここ一番で力を発揮できるように、深く根を張っていこうと思いました。