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生きることに力はいらない
こんにちは、たかひとです。
「生きることに力はいらない」という文章に出会いました。
すべての生物が様々な戦略を発達させて生きている。
考えなくても生きていくことはできる、と。
赤ん坊は、誰に教わらなくてもお乳を吸います。
やがて、誰かに励まされなくても、自分の足で立ち上がろうとします。
何度失敗しても、歩くことに挑戦し始める。
自分が赤ちゃんの頃はもちろん覚えていませんが、今よりずっとチャレンジャーだったかも。
すごいのは、赤ちゃんは「頑張らなければ」と歯を食いしばっているわけでも、血のにじむような努力をしているわけでもないことです。
その文章では、生きるために必要な力は、ちゃんと体に備わっている。
それが、生きることに余分な力はいらない、ということでした。
でも私の場合、ここで疑問が。
何で話すことに余計な力が入るようになってしまったんだろう?
環境の変化があり、ストレスを感じてしまったというのは、もちろんあります。
どもり始めたときの記憶は、小2の2学期の初日。
皆の前で自己紹介をするときに、顔が赤くなってしどろもどろになったのを覚えています。
でも、この時点では、別にどもっていなかった。
ただ、恥ずかしい気持ちが残っただけでした。
それから少し経ってから急に、最初の言葉が出てこない難発性吃音になってしまいました。
本来、無意識領域で行われていた発声が、意識することで、ぎこちなくなってしまう。
吃音は言葉のイップスなのか、と思った次第です。
のちに、力んだまま発声練習をするくらいなら、リラックスする訓練をした方がずっと効果的、と感じるようになりました。
頭でどうこうしようとするのではなく、もともと持っている「生きていく力」に身を任せるようになって、徐々に吃音が快方に向かっていった気がしています。