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期待の本質とは

こんにちは、たかひとです。

期待の本質とは、「確定していない未来に依存する行為」とのこと。

これについて考察します。

たとえば、「きっとすごいはずだ」と過剰に期待します。
また、「どうせ大したことないだろう」と、本来持つすごい部分から目をそらすようなこともします。

後者は、自分の中にある「負の願望」をかなえるため。

「きっと」と「どうせ」は、逆のベクトルですが、自分と目の前の事象との間に作り出したフィルターといえます。

2つとも「期待」の中に含まれる余分なフィルターで、それらは情報本来の形を歪めてしまいます。

その意味では「心配」も事実を歪めるフィルターの一つで、「心配」と「期待」は本質的には同じこと。

なぜなら、何かに期待しているから、それが叶うかどうかの心配が生まれます。
また、叶った時には大きな喜びが生じますが、叶わなかった時にはひどく落胆してしまいます。

「一喜一憂」ですね。

実際はまだ何かを手に入れたわけではないし、何かを成したわけでもない。

にもかかわらず、手に入れる前提で心理を構築し、手に入るかどうかに思いわずらい、手に入らなければ怒ったり落胆したりする。

「一人相撲」ともいえます。

人はできることしかできないわけだから、結果に向かう道のりで、わざわざ一人相撲してしまうのは、遠回りになってしまいます。

何か随分遠回りしてしまったなあ、という気持ちと、未来が事実として確定してから初めて味わって喜びたい、と思った次第です。






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