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本当は選択できるのに
こんにちは、たかひとです。
また、選択についての記事になりました。
それだけ思うところがあるということで。
昔の自分に何かアドバイスできるとしたら?
という記事を見かけました。
そこには、この道しかないと思っている考えが
どれだけ狭いのか。
本当は気づいていない道がどれだけたくさんあるのか
を教えてあげたい、とありました。
そして、気づいた別の道を選んでもいいんだよ、と。
自分に照らし合わせて、どうしてあんな風に思い込んでいたんだろう、というほど、若いときは視野が狭かったです。
視野の狭さが自分を追いつめていたのも、後になって気づきました。
ところで、思い込んでいるときって、人は自分が思い込んでいることに気づきません。
そして、気づいたときには、もう思い込んでいない。
そうなると、人は常に何かを思い込んでいて、そして、自分は思い込んでなんかいない、と思っていることになります。
何か不思議な感じがしますが。
ただ、人が思い込みに気づくときは、必ず他者の視点が必要です。
若いときは、経験が足りないのはもちろん、はみ出たロールモデルが周りに少ないのも関係していると思っています。
だから、自分に幅を持たせるのが難しい。
そこで、自分がコントロールできないようなところに、えいや、と飛び込むのがいい気がします。
最初の恐怖心を克服する必要がありますが。
私の場合、普通に呼吸法や発声練習だけではダメだ、と身体がいっていたので、断食やボクシングジムの体験入門などにチャレンジしてみました。
断食は体質改善だけでなくメンタル強化にも効く、とあったので、小田原の断食道場に一週間行くことに。
ボクシングジムは、精神的に強くなりたくて始めた少林寺拳法の延長線上で、試してみたくなりました。
これらのことは、吃音克服に直接的には役立たなかったかもしれませんが、断食道場では異なる年代の人たちとふれ合う機会があり、知見を広めるのに有益でした。
これからも、見えていない選択肢を見るために、もっと様々な体験をしていくつもりです。
また、実際に選ばなくても、他にも選べる道があると気づくだけで、今が断然楽になると感じています。