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いったい自分は何になりたかったのか?
こんにちは、たかひとです。
世の中の問題を語るときは楽しいですよね。
苦しいのは自分に視点が向いたとき。
人はどこかで、こんな自分に誰がした、と思いたい。
でも、向き合うと気づいてしまう。
自分の人生は誰のせいでもない、自分のせいだと。
同じようなことを書いてしまいますが、
吃音にひどく悩んでいるときは、未来なんて見えなかった。
近視眼的に、この苦しみから解放されることばかり願って、なりたい自分をイメージすることができませんでした。
しかし、症状としての吃音が治ったあとも、なぜか心から望む自分に近づこうという思考になれませんでした。
まあ、本当に望んでいる自分像のイメージが湧かなかったのですが。
でも、なぜか周りの評価は気になってしまいました。
他人の評価はすぐに消え虚しさが残るのに。
期待され、評価されるのが社会の仕組みだから、その中で生きていくしかない側面はあります。
でも、大事なものを忘れないように。
自分はいったい何になりたかったのか。
そして、これから何になろうとするのか。
誰がなんと言おうと、なりたいものになっていいのだから。