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愛着は相互関係

芦田愛菜ちゃんが『信じる』ことを語って話題になっているらしい
わたしは
いつから、母を『信じる』ことが出来なくなったのだろう?

恐らく。。。母が、わたしを『信じていない』と気づいた時から
徐々に、過去の良かった想い出も書き換えて行ったのだと思う

小学校の頃は、100%母親が好きだった

30も半ばの時「あれ?こんな人だったっけ?」と初めて感じた
それでも、過去の良い想い出に引っ張られて
母を信じてきた
あれから17年。。。。茉奈ちゃんの言葉を借りるならば、『信じる』ことはできない

しかし、母が亡くなって気づいた事がある

それは、『親』になろうとしてはいけないということ
日本の家族関係は、どこか【支配】と【従順】の関係があるように思う
親子もしかり。。。。
夫婦もしかり・・・・
嫁姑もしかり、、、、、

わたしの最初の育児は、生さぬ子育てだった
周囲は、わたしが心身ともにボロボロになるまでの献身育児を要求した

それは、母もそう
叔母もそう
友人も
当然、舅姑、小姑たちもそう

どうやら、日本の『賢母』というのは
我慢強さの強弱で決まるようだ
わたしの母も、我慢強い良妻賢母だった

父が亡くなり、母をジャッジするものが無くなった
良妻である必要が無くなったのだろう
母は、そこから支配者側になった

母が亡くなって思う
母は、父に従順で父が居なければ生きていけないような儚さがあった
暴君の父から、わたしが守らねばとずっと思っていた
でも、本来は、従順なふりをした影の支配者だったのだろうか?

父が
我慢していたのだろうか?

両親とも居なくなって
かつ
育て方が難しくなってきた子どもを育てている今
思うことがある

それは、初めての育児の時に思ったこと
周囲はわたしに『親』になることを要求したが、わたしには出来ないと思った
なぜならば、DNAの繋がりがない子どもを『感』で育てるなんて無茶だから

まず最初に困ったのが、『その子の行動のなぜ』が分からなかった
どんなに考えても分からない!!
わたしだったら。。。が、何一つかみ合わなかったのだ

そりゃそうだ。他人だもの
今でこそ、愛情と自信をもって口にできるが
当時は、そんなことを言おうものなら袋叩きに責められた

責めるだけで、実際にその子を育ててはくれないし
相談にもなってくれないわけだから
質が悪い!

そしてわたしは、その子の親になるのをやめた
代わりに、『師匠』になる宣言をした
親子ではなくて『師弟関係』で育てることにした
これも、母や周囲にはバッシングされたが。。。。

今は、これが正解だったと実感している

親子関係は、支配関係!
可愛いから、転ばないように手を差し伸べる
は、支配だよね
献身的に育てたんだから、今度は親に献身してね
は、支配だよね

支配している側は気が付ないのかもしれない
でも、支配された側は いずれ気が付く
必ず気が付く

その時に、『親のいうことをきかないなんて、裏切りだ』
感じる親は少なくない

親子といえども他人なんだよ
わたしが産んだとしても、わたしでない

子どもがのどが渇いた時に、かわりに水を飲んであげても
子どもの渇きは癒されない
子どもが、トイレに行きたいときに
かわりにトイレに行ってやっても何の役にも立たない

母の最期は、そうだった
わたしが、代わってやれることなど何一つ無かった
ただ、「孫たちは、ちゃんと育ってるよ」
「夫は、良い感じだよ」
「安心してね」と手を取って言っただけ

母は、笑ってうなずいていた

和解のような最後になった
でも、わたしには親に付けられた傷がハッキリと残っている
だから、わたしは子ども達を
育てられたようには、育てない

毒親を連鎖させるか否かは、自己決定だと思う
わたしが、親らしくしようとすればするほど
子どもたちは、押し付けられたと感じるでしょう

支配しようとする相手に、愛着など沸くはずがない。。。。
やっぱり、
育児も『マイスター制度』でいいのだと思う

世間の非難を受けて引っ込めたけれども
わたしの育児論の答えは既に17年前に出ていたんだね

よし!そうしよう~




最後まで、お読みくださってありがとうございます

素晴らしいお母さんへ (2)

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