心の中の葛藤を『癒す』のではなく、『受け入れる』という選択 ~違和感~
57年間生きてきて、
正直「やっとここまで来たなぁ」としみじみ感じている
娘の心の痛みを癒すためには
まず、自分自身のインナーチャイルドを癒すことが必要だ
とも強く思っている
そしてこれからは、もっと肩の力を抜いて、心穏やかに日々を過ごして
いきたいとも考えている。。。
「インナーチャイルドに会いに行く」という行動は
一人で行うよりも、誰かが一緒にいてくれたら
少しは気持ちが、楽になるのかなって思うけど…
だから・・・勇気をもって、思い出した。。。
痛いっす!!
小学校2年生の頃、父の妹が末期ガンで離れで療養していた
元気な頃から、ちょっと苦手だった叔母さんだけど
ある晩に呼ばれてこう言われた
「やっちゃんが泣いている声を、聞くのが辛いから、
お兄ちゃんが、やっちゃんをいじめたくなったら、この人形を叩いて」って
青い目が瞬きするセルロイド人形を渡された
『やっちゃんのため』って雰囲気は作ってたけどね
でも、その人形を見た時、なんだか怖かった
お兄ちゃんは、叔母さんにすごく可愛がられていた
まるで「いじめられる私が悪い子だ」って言われている気がして
その場の、空気は重く冷たかった
「こんなに大事にしている人形を、あなたの代わりにしてあげるのよ」
って
叔母さんは具合が悪いから、静かにしろ! 泣くな!!
って、空気が語っていた
その時、周りの大人たちは誰も
「暴力を振るうお兄ちゃんが 悪い」なんて言わなかった。
むしろ
「お前のせいで、この可愛い人形が殴られてもいいのか!」
って言われているようだった
わたしが「要らない」って言ったら、
布団に座っていた叔母さんが無理やり持たせてきた
その人形は、お兄ちゃんじゃなくて私に渡された。
「お兄ちゃんに殴られる時、自分でこの人形を盾にしろ」
ってことなのかな~ と分かった
小2のやっちゃんに、『自分の身は、自分で守れ』
って教えてたんだよね・・・・
祖母の目は、『求められていることを理解してるか?』
『要求を満たせよ!』と、わたしを責めているみたいで
祖父は、目をそらしていた。
母は「良かったね、大事にしなさいね」って笑っていた
父は、いつも離れには顔を出さなかった
ここまでが、インナーチャイルドのやっちゃんの痛み
思い出して、納得したんだよね。。。
そうか…。
わたしが、娘の『こちらを探るような目』を見るのが嫌いなのは
あの時の 祖母 と 叔母の目が重なるからなんだ
嫌いなんじゃなくて、逃げたいのよ
あの時の、寂しさに戻されたくないの・・・
娘にからも【子どもは、愛されて当然よね】という『圧』を感じてた
思い出さない方が、平和に新しい年を始められたのにね
正直なところ
過去を思い出すのが、めちゃくちゃ痛い!
過去を触れると、
ここまで せっかくなんとか逃げてきた自分の心が、再びボロボロになりそうで…。
本当に痛みが強すぎて、耐えられない感じ なんだよね…
血みどろです
でも、このままじゃ
娘と仲直りなんてできないよな…。
ただね
わたしの感覚だと
「置き去りにした内なる自分に謝る」とか
「親を許す」とか
その感覚に違和感がある
謝るってさ。。。
YASUKOの幼少期の 行動 や 言動が
置き去りにした内なるYASUKOに 対して 不快 や 迷惑をかけた
って事があると認めた
って理解だよね?
幼い頃の自分は、おとなのYASUKOにとって
『ただの弱い存在』では断じてない!
一緒に困難を乗り越えてきた仲間・同士のような存在だから
だからこそ、
な~んか・・・・勘違いしてんじゃないの!
っていう怒りを感じるんだよね
「謝る」とか「許しを請う」といった行為が、
誇らしく思う自分のプライドを どこか傷つけるような気がしてならない
果たして、『内なる子』の正体は何なのか?
そして、本当に心の平穏を取り戻す日は来るのかな?
つづく・・・