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来たる焼き肉の日に寄せて
2022年も早いもので、もう8月に突入した。
8月と言えば、みんな大好き・焼き肉の日を月末に控えている。
今日は、そんな焼き肉の日に寄せて、私の焼き肉にまつわる思い出を綴ろうと思う。
新卒1年目の頃、私は東京で暮らしていた。
その頃、私は社員寮に住んでいたのだが、これは実質シェアハウスのようなもので、会社が借り上げたファミリーマンションの一室を、住人で住み分けて生活している。
そこに当時、私の他にミャンマー人の女性社員が住んでいて、親睦会を兼ねて、彼女の大好物だという焼き肉を一緒に食べに行くことになった。
彼女は言う。
「ミャンマーでは牛肉を食べないんです」
それは初耳だった。
でも、確かに宗教上の理由で食肉をしない国などもある。
それと同じように、私が知らないだけで、何か特別な理由があって牛肉を食べない地域があったとしても、別におかしいことではない。
彼女の言っているのは、そういうことだろうか。
「固いから」
「え?」
「ミャンマーの牛は、働きすぎで肉が固いから。
食べてもおいしくないので、牛肉は食べないんです」
衝撃が走った。
そういうことなのか。
ミャンマーでは田んぼを耕す際に牛が活躍しているそうで、働きすぎた牛は肉が固くなってしまうとのこと。
そういう訳で、牛肉は食用としては適していないないらしい。
なるほど、確かに高級和牛などは、「この牛はストレスのない環境でのびのび育てています」と宣伝されることがよくある。
そういう文句を見るたびに、「素晴らしい環境で育ったから、素晴らしい肉質の牛なんですよ」と言いたいのかな、などと、なんとなく思っていた。
しかし、ストレスのない環境でのびのびと育てることには、重要な意味があったわけだ。
ストレスフルな環境でギスギス育った牛は、そもそも食べることができないのである。
世の中には、まだまだ私の知らないことが沢山あるものだ。
私は今でも時々、焼き肉を食べながら壮大な気持ちに浸っている。