結木うい(〆鯖)

山に住んでる

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名前を与える、ということ

私は、言葉が世界を形作っている、と言っても過言ではないと思っている。 言葉とは、私の目の前に広がる世界だ。 どういうことか。 例えば、私もあなたも、世界中の誰もが、自分の名前を持っている。 赤ちゃんが生まれたら、人は名前をつけるのだから当然だ。 さて、顔をあげて部屋の中を眺めてみよう。 私の目の前には、木で出来た本棚がそびえている。 本棚の中には、本、漫画、雑誌、映画や美術館のパンフレットなんかが並べられている。 床にはクッションが置かれていて、その上にぬいぐるみが座

        • 『ココア共和国』2月号の投稿詩傑作集に掲載されました

          『ココア共和国』2月号の投稿詩傑作集に、私の作品が掲載されました! と言っても、まだ2月号が手元に届いていないので、現物で確認したわけではないのですが^^; 今回掲載されたのは「ラブレターにならない」という作品です。 多くの人に読んでもらえたらいいな、思っていたので、雑誌に掲載されることになって本当に嬉しいです。 今回、"結木うい"というPNで応募したのですが、この名前が結構気に入っていて、今後も詩誌に掲載されることがあるのかは謎ですが、noteの名前も、今まで使っていた

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        名前を与える、ということ

          【詩】春

          六角瓶には腐りかけた毒が入っていて 柔らかな土に埋めるのに丁度いい ※食べてもお腹を壊すことはありません。 太陽に透かすと意外と眩しいからって 日記にだけは閉じ込めない 土は 柔らかければ柔らかいだけ良いのだけど 固くてもいい コンクリートでもいい とにかくその上に立てればいい 地底人に会いたいから地球を掘っている ブラジルまでとは言わないから せめてタイムカプセルを掘り当てて 錆びついた蓋を開けると 嘘の地図を捻じ込んで 冷凍庫の中で寝かせておく

          年の瀬の近況報告

          そろそろ、2022年も終わりますね。 今、私は久しぶりに、自分の好きなように文章を書いています。 と言うのも、実は今月に入ってから、webライターのお仕事に力を入れ始めて、YouTubeの動画の台本を書かせてもらえるようになり、これをひたすら書いていたのです。 継続案件も、2つ頂くことができました。 自分にとって初めての経験で、まだ慣れないことも多い状況です。 それでも、今、自分に出来る精一杯の中で、最高のものを作りたい、という気持ちで取り組んでいます。 この1ヶ月で、

          年の瀬の近況報告

          感想『浅草ルンタッタ』─あたたかな希望の物語に触れて

          劇団ひとりさんが作家として活動されているのは知っていたが、著書を読むのは今回が初めて。 人を惹き込むようなリズム感で語られるこの物語は、時に悲しく、時に滑稽に、息つく暇もなく場面転換を繰り返しながら、一気読み間違いなしの勢いをみなぎらせている。 私が何より感動したたのが、ヒロイン・お雪の躍進劇であるが、その理由を説明するために、いくらか物語の内容に触れなければならない。 その為、以下ネタバレに注意。 雪の降る夜、女郎屋・燕屋の店先に置き去りにされていた赤ん坊が店の中に連れ

          感想『浅草ルンタッタ』─あたたかな希望の物語に触れて

          嬉しいお知らせが届きました

          先日『インターネットの思い出とか』というタイトルで投稿したこちらの記事。 これが、「# はじめてのインターネット」で先週特にスキを集めた記事としてnoteさんにお祝いしていただきました⸜( ´ ꒳ ` )⸝♡︎ ポップアップが出てきてから、なんだか消すのがもったいなくて、やたらスクショを撮ってしまいましたね(   ˙꒳​˙   )笑 読んでくださった方、スキを押してくださった方、ありがとうございました! さて、この記事を自分で読み返してみて、やはり時代を取り巻く環境は

          嬉しいお知らせが届きました

          「ら」抜き言葉に対する私のスタンス

          「ら」抜き言葉の是非については、色々な意見があると思う。 私の場合、自分で文章を書く際に「ら」抜き言葉を使うとしっくり来ないので、そういう時にはこの言葉は使用しない。 だからと言って、私は「ら」抜き言葉を否定するわけではない。 実際、誰かと会話するときなどに、「ら」を抜いて使用することなどは、往々にしてある。 私は、言葉はその時代の熱を反映するなまものだ、と思っている。 言葉はその時代の人類の営みを反映して、新陳代謝を繰り返しているのだ。 そして、代謝が上手く行えず、ある

          「ら」抜き言葉に対する私のスタンス

          最近話題の「お絵描きばりぐっどくん」に描いてもらった、私のイメージ画です。 お前、私のことをこんな風に思っているのか、、、!笑 以前、何かで「AIは人間の顔を描くのが苦手」と聞いたことがあるのですが、技術が進歩しているからか、最近のAIイラストは顔もしっかりしている気がします。

          最近話題の「お絵描きばりぐっどくん」に描いてもらった、私のイメージ画です。 お前、私のことをこんな風に思っているのか、、、!笑 以前、何かで「AIは人間の顔を描くのが苦手」と聞いたことがあるのですが、技術が進歩しているからか、最近のAIイラストは顔もしっかりしている気がします。

          『万葉集』って、まとめサイトに似ている気がする

          『万葉集』について、よくこのような説明がなされているのを見かける。 『万葉集』を表す、このような文を読んでいると、つい思ってしまうことがある。 『万葉集』って、まとめサイトに似ていないか? 言うなれば、歌として詠まれたものを集めたか、ツイートとして呟かれたものなんかを集めたかの違い、みたいな。 その時の誰かの感情や考え、意見など、人間の営みの記録を選び取って、保存できる形で収録したもの。 そういう意味で、似ている気がする。 1000年後、まとめサイトが貴重な文献とし

          『万葉集』って、まとめサイトに似ている気がする

          短きこと、その輝きは研ぎ澄まされ

          私が中学とか高校に通っていたときのことだったと思う。 当時、読んでいた漫画雑誌に、そういう雑誌にはよくあるように、漫画の新人賞の結果発表が掲載されていた。 この新人賞の募集要項を仔細には覚えていないのだけど、原稿用紙15~60枚にまとめたものを送るように、というような指定があったようだ。 さて、受賞した作品に目を通していくと、何十ページにも及ぶ作品も名を連ねる中、募集要項に記載されている原稿用紙の必要最低枚数である、15ページの作品が入賞していた。 そのときの受賞作で、こ

          短きこと、その輝きは研ぎ澄まされ

          今年に入ってヘビロテしてるカラコン

          私はカラコンが大好きで、よく色々と購入しています。 その中でも、ある特定のカラコンが特に好きな期間というものが定期的に巡ってきます。 今年に入ってから気に入ってるのが、フランミーのシェルコーラルグレージュ。 当初、ブルベ夏に合うカラコンを探す一環で買ってみたのですが、これが個人的に大当たり。 鬼リピしてます。 フランミーにしては、DIAが比較的小さめ。 派手ではないけれど、儚くニュアンスのある瞳を作ることが出来て、お気に入りです。 他にもブルベ夏っぽいカラコンを試し

          今年に入ってヘビロテしてるカラコン

          インターネットの思い出とか

          私が趣味としてPCでインターネットを始めたのは、たしか小学3、4年生くらいのとき。 もう20年も前のことになる。 あの頃の、新しい世界と出会ったわくわくや感動は、今でも鮮明に覚えている。 さて、ピクシブやツイッターの登場によって今ではあまり見かけなくなってしまったが、その頃に創作活動をしていた人たちは、同人サイトと呼ばれる自分で運営するwebサイトを利用して、イラストや小説などの作品を発表していた。 当時の私にも、よく閲覧に行く同人サイトがいくつかあった。 その中のひとつ

          インターネットの思い出とか

          急に寒くなりましたね;( ;´꒳`;): 私は1年のうちで夏が一番好きなので、いつも秋が来ると、寂しいなあ、と思うのですが、今年はあまりそれを感じていません 暑かったからでしょうか、、、 写真は時々行くカフェです いつも季節のタルトと温かいはちみつミルクに癒されています

          急に寒くなりましたね;( ;´꒳`;): 私は1年のうちで夏が一番好きなので、いつも秋が来ると、寂しいなあ、と思うのですが、今年はあまりそれを感じていません 暑かったからでしょうか、、、 写真は時々行くカフェです いつも季節のタルトと温かいはちみつミルクに癒されています

          置かれた場所で咲く、ということは

          「合わない職場に無理して居続ける必要はありません」 「自分の尊厳を傷つけてくる人とは距離をとりましょう」 こういう考え方が浸透してきた現代、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に批判が集まるのは、致し方ないことだろう。 この言葉は、一見すると「耐えることが美しい」というニュアンスで読めなくもないからである。 ちなみに私自身は、辛かったり、合わないと感じる環境に無理に身を置く必要はないと思っているので、冒頭で述べたような風潮については同感だ。 しかし、私は「置かれた場所で

          置かれた場所で咲く、ということは