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2024/10/7 真夜中の「やったー!」は断捨離でしか得られない種類の快感。

いろんな色のチョークの粉をかき集めては捨てるという夢を見た。不快である。

先週末、急に片付けに凝り出した次男のおかげで、子供部屋がいまだかつてないほど片付いている。小さなフィギュアたちは集められて地球儀の下にぐるりと並んでいるし、『呪術廻戦』も『怪獣8号』も『デキる猫は今日も憂鬱』も1巻からすぱーっと並んでいる。素晴らしい。子どもの「マイブーム」がこんなに家庭のニーズにマッチする日が来るとは。

私はかつてそれはそれは片づけの苦手な子どもで、自室は本と服と手紙やら何やらで足の踏み場がないというのが常だった。100万回実母に叱られ、100万回実母と喧嘩し、その度に床にあるものを全部捨てられたりした。小学生の頃だ。

いちいち怒鳴られるのにも捨てられるのにも疲れて、成長とともにだんだん人並みに片付けられるようになった。『花とゆめ』は棚の1番下に、漫画や少女小説は棚の奥行き対して二重に詰めて、小物は引き出しに。よくわからないけど捨てる判断がつかないものはなんか箱に。

一番の転機は一人暮らしだった。私は就職とほぼ同時に一人暮らしとなったのだが、そのときに両親も離婚したので、世に言う一家離散の状態となった。自分の荷物を置いておく「実家」が消滅したため、私の荷物は世田谷区と狛江市の境目にある1Kのアパートに収まる量に圧縮しなければならなかった。人生で一番物を捨てたのはあの時だったと思う。

捨てるのは快感だった。捨てて捨てて捨てまくって、6畳+Kに収まるだけの荷物になった。把握していない物がひとつもない、全部全部「知ってる」物だけ。この手に持てるだけの物しかないと思うと安心だった。わからないものはひとつもない。見渡せるだけ。身軽!!

あの引越しの日の夜中、やったー!と叫びたいくらい、嬉しくて楽しかった。こんまりもこういう気持ちだったんだろうか。

あれからもう20年経って、また荷物は増えている。最近は割とこまめにいらないものは捨てたりしているが、もう私1人の家ではないので、そうそう勝手にすることもできない。大事な物も必要な物も、全部持つには両手では足りない量になってしまった。

片付けたり捨てたりするとそれなりにすっきりするけれど、あの夜の「やったー!」を味わうことは、おそらく今生ではもうない。

本やなにかしらのコンテンツに変わって私の脳が潤います。