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2024/9/16 楽しく過ごして食べて寝るだけのお仕事

3連休は、寝坊映画映画買い物片付け横浜秋祭り、であった。

子どもらがうんと小さい頃、とにかく毎日をなんとかしのがなくてはならなかった。食べさせて、きれいにして、楽しませて(泣き叫んだりつまらなくて機嫌がわるくならないようにして)、適度に疲れさせて(夜寝てくれるように。寝なかったけど)、次の朝をまた無事に迎えられるように。

そうやって毎日毎日をざばざばざばと泳いで泳いで生きてきて今、11歳と9歳になった兄弟は、こちらが相手をせずとも特に問題ない存在となった。

それでもいまだ残る「なんとか過ごさないと!」というプレッシャーの名残と、私の中の「もう付き合ってくれないのかよう」という寂しさと期待、それから子らから出てくる若干の「なんか面白いことあったりする?」という雰囲気から、休みの日は何かとおでかけを企画してしまう。

もういらんだろ。いや、まだついてきてくれるうちに何か、いやもういいだろ、のせめぎ合いである。ちなみに次男は3回に1回くらいしか相手をしてくれない。

そういうわけで、私だけがやけにあわてた気持ちで過ごす連休となったが、これはこれで楽しかった。映画の感想を言い合ったり、商業施設でばらばらに興味のある場所へ行って、携帯で連絡を取り合ってまた合流するとか、もうできるんだよ。

締めはコロナ禍ぶりの秋祭り。昔は怖いと泣き叫んで逃げ惑ったお神楽も、すんとしながら見ていられた。でも、相変わらずこすい内容のくじ引きに小銭を突っ込んで、ちゃちなプラスチック製の日本刀を手に入れて喜んでいた。育った部分と育っていない部分のバランスを見極めるのが難しい。私はまだ親がどう振る舞えば正解なのかわからない。

夜、プラスチックの刀をそうっと抜いて振っていた夫の姿を見つけて、これは、と思ったことがまた、私の「わからなさ」に拍車をかけてくれた。

本やなにかしらのコンテンツに変わって私の脳が潤います。