もう短歌をやめたいかもしれない

もう短歌をやめたいかもしれない。
結局のところ、わたしには向上心がない。
他の作品を読むこともせず、自分の短歌がいいのか悪いのかさえわからない。
こんな状態で短歌を続けたって何のためにもならない。
短歌で賞をとることにこだわっていた時期もあったが、もうどうでもよくなってしまった。
賞をとったら歌集を出せて、ちやほやしてもらえるだろうと思っていた。
でもきっとそんなの一時でしかなく、そのあとはまた孤独に短歌と向き合っていくしかないだろう。

そして短歌の世界にまつわるあれこれもわたしは好きじゃない。
圧倒的な男尊女卑、階級制度の忖度だらけの世界に身を投じてうまくやっていこうとは思えない。
名のある歌人にすり寄っていけば出世できるかもしれない、なんて考えただけで吐き気がする。
だいぶ悪い言い方をしたけれど、本音だ。

わたしの短歌の友人たちはみないいやつばかりだけれど、歌会というのは友人たちとだけやるわけではない。
オープンな歌会の場合、参加者とは初対面であることもある。
見知らぬ人がわたしの短歌にとやかく言ってくる。
的外れだったり、ただの偏見だったり、意見の押し付けだったりすることを言ってくる。
それがほんとうに嫌だ。
それを気に留めなかったり、逆にそこから学んだりするのが正しい対処法だろう。
そんなおりこうなこと、今のわたしにはできない気がする。
ひたすら落ち込むか、怒りにふるえるかで終わってしまう気がする。

友人たちがどんどん活動してゆくなかで、なにもせず、なにもできず、ただ立っているだけだ。
自分の短歌を面白いと思うこともある。
でも他人がどう思うかはわからない。
なんでこんなことを始めたんだろうと思うこともある。
短歌を知って、自分で短歌を作るようになっていろいろあった。
うれしいことも悲しいことも嫌なことも最悪なこともあった。
もう十分かもしれない。
誰にも批評されたくないのなら作品を世に出すべきではないし、出す意味がない。

別にいつやめたっていいし、また始めたっていい。
だから気に病むようなことでもない。
しかしX(旧Twitter)を見ていると落ち込んでくる。
何も成せなかった自分を責められているように感じる。
いや、何もしていないことに焦燥感がある。
短歌を世に出すことが怖い。
友人たちはどんどん遠くへ行ってしまう。
わたしが短歌をやめても友人でいてくれるだろうか?

心配しないでほしい、これはただの愚痴だから。
半分本気で半分嘘の文章だ。
だいたいわたしの書く文章なんてだいたいが嘘で、本当のことなんて1割くらいしかない。
だからこれはただの文字で、誰かが読む必要もないし、何かを思う必要もない。

どこにも行けないならここにいればいいし、なにもできないならなにもしないでいよう。
まだ人生は終わらない。
難しいことに。

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