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ちゃまのなかのひと


ちゃまは私の主人の呼称。いつからか家族全員がそう呼ぶようになった。


昨年6月に脳梗塞で倒れて3ヶ月の入院生活を経て我が家に帰って来た。入院中は、あんなにちゃまのことを愛おしく思っていたのに、退院したらなんだかいろいろ難しくなって、口喧嘩が増えた。


ちゃまは元々頑固なところがあった。一度こうと決めたらテコでも動かない。と思っていても、しばらくするとちゃまの方から私に寄せてきてくれることが多かった。私たち家族はそれが分かっているので意見が合わない時はしばらくはそっとしておいてちゃまの心変わりを待つ。ところが退院後は、待てども待てども寄せて来てくれなくなった。一度決めたらそれを覆すのが難しくなった。こうなると私はもうお手上げ、諦めざるを得ない。


‥と大袈裟に書いているが、中身は大したことではない。「こうしたら良いのに」と言う私の提案にいちいち反抗的で従う気がないその態度に私はムカついてしまう。いやいや、ホント大したことではないのだ。家に一人置いておくのが心配で一緒に出かけようと言っても行かないと言うし、その日のお天気などによって長ズボンか短パンかどっちを履くのかとか、重い荷物は持たなくていいと言う私に対し、持つと言い張って聞かないとか、そんくらいのことだ。だから私がたえれば良い。


私がそんな小さなことにいちいちムカついてしまうのには私なりの言い訳がある。それは私が『ちゃまのことを思って』あるいは『ちゃまのことを心配して』そうしていることなのにそれを聞き入れてもらえないからなのだ。聞き入れてもらえないのが不満であり悲しくなる。私はこんなにちゃまのことを考えて“あげて”いるのにそれを分かってもらえないのがこの上なく悲しいのだ。なんで分かってくれないの?なんで私の言うことにいちいち反対するの?なんで素直に聞いてくれないの?
そう、私は今モーレツに“くれない族”なのだ。

くれない族とは‥

「夫が家事を手伝ってくれない」のように、「~してくれない」の言葉を多用する人の総称。1984年に放映されたテレビドラマ「くれない族の反乱」から生まれ、ユーキャン新語・流行語大賞の流行語部門の銀賞を受賞した。
Weblio国語辞典


ちゃまが倒れた日のことは今でも思い出す。もう2度とあんなことが起きて欲しくないと祈るみたいに毎日過ごしているというのに。状況に応じて私が最善だと思うことをその都度提案しているつもりが受け入れてもらえない。そういう不満の気持ちがつい怒りへと発展して、私はキツい言い方をしてしまう。そしてそれは余計にちゃまを頑なにさせる。

「いちいちうるさい」
「分かっとる」
「そんなん、せん(しない)よ」
「なんでそこまで言うん?」
「心配せんでも出来る」

次女にも言われる。お母さんは心配しすぎなんよ、って。でも心配していないと私が安心出来ない。要するに自己満足の押し売りだ。ケアマネさんが言ってた。ちゃまと同じ病気をした人で、病気をする前より頑固になったり難しくなる人は多い。でも本人からしてみると、

自分が家族に迷惑をかけているのではないか?
家族の負担になっているのではないか?
前には出来ていたことが難しくなってしまって情けない‥

といろいろ考えてはストレスになっている。それが家族へのキツい態度や言葉になっているのだ、と。


目に見えるちゃまは頑固で扱いにくい人になってしまったけど、ちゃまの中の人は家族に負担をかけたくないと思ってくれている。もう大丈夫だと言ってもわかってもらえない、もうスッカリ元通りだと思って欲しいのに、私の態度がいつまでもちゃまを病人扱いしてた。それが嫌だったんだと気付いた。


私たちは今も昔も皆から羨ましがられる仲良し夫婦だ。これから先もずっとそうありたいって、私の中の人は心からそう思ってる。そのためにはおもてに出てるちゃまだけじゃなくちゃまの中の人の気持ちを受け止められるようになろう。心配はせずにはいられないけど、それは私の中の人に任せておこう。おもての私は、相手の気持ちになって相手の気持ちを尊重して相手に喜んでもらえることをしてあげられる。ソウイウツマニワタシハナリタイ。


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