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時空の歪み、シンクロニシティの破綻
劇団態変の新作公演「翠晶の城」を観た。
今作は引き算の演出とでも言おうか、これまで私が観てきたどの公演よりも、個々の身体の動き、陰影そのものを押し出す演出がなされていたように思う。
暗闇の中で照らされる身体のみにしか視点を合わせようがない状況下で、知らされるのは、存在とは時空の歪みであり、生体においては不規則性こそ自然であるということ。
人為的につくりだされた「時間」の観念は、いついかなる場面でも、60回の波を一区切りとした規則のもとで、いま、ここでの生命活動を枠付ける。しかしそれは生体のリズムにとっては不自然なことである。規則性はあるが不自然なリズムにより組織化された環境にシンクロナイズすることを自らに課し続ければ、生体にとって遠からず無理が生じる。
同じ時空を共有しているようでいて、各々の身体は各々の歪みとリズムをもって今、ここにある。互いにどんなに分かり合い、交わり合おうとしても、永久に到達しえないシンクロニシティ。
シンクロニシティを希求しつつもそこに常に生じてしまう破綻。この破綻を自然なものとして受けとめる構えを、はたして私は持ちえているだろうか。
(2018年1月14日 筆)