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ワンダフル・トゥナイト
僕は10年ぶりにその街を訪れた。
行きつけだったバーのカウンター席に座る。
バーの片隅には小さなステージがあり、そこでは若いロック・バンドが演奏をしていた。
僕はバーボン・ウイスキーをロックで頼み、一口舐めるように味わう。そしてよく冷えたチェイサーを口に含む。
バンドのヴォーカルと目があった。
レッド・ツェッペリンのアルバムのジャケットのように酒を飲む僕の姿を、その男は気に留めているようだった。
まるでタイムスリップしたかのようなオールドスタイルの男が珍しいのか、と僕は思う。
僕はバーボンを飲む。
懐かしいこのバーで。
演奏が終わると、バンドのヴォーカルの男が僕の隣の席に座り、話しかけた。
「山本タケルさんですよね?」
という問いかけに、僕は頷いた。
「10年前に、ここで演奏されていましたよね。僕、すごく好きだったんです。アンコールでいつも歌っていたエリック・クラプトンのワンダフル・トゥナイトがすごく良くて、僕もあなたみたいに歌いたくて。
でも僕にはあなたを超えることなんてできない。もう一度、聴きたいです。僕のバンドのメンバー、演奏できるんで、一曲お願いできませんか? 僕のギターを使ってください。僕のギター、山本さんと同じフェンダーのストラトキャスターですから」
「悪いけど」
僕は断った。
あの歌は、当時付き合っていた彼女に向けて歌ったものだ。
彼女と別れ、東京に出ることで、もう歌うことは無かった。
「そうですか」
若いヴォーカリストは残念な表情をした。
僕はバーボンを飲みながら、昔を思いだす。
10年前、ここでステージに立っていた。
オリジナルの歌を歌っていたが、どれもBGMになるばかりで、誰も気に留めることなんてなかった。
だけどもアンコールで歌うエリック・クラプトンのワンダフル・トゥナイトだけは、評判が良かった。
それは、僕が彼女のために歌ったものだった。
あの頃はもう戻らない。僕はもう、捨ててしまったのだから。
「ねえ、歌ってよ」
僕の背後から、女性の声がした。
それは、10年前に僕が捨てた彼女だった。
彼女は10年前の姿のまま、そこに立っていた。
バーテンダーが僕にバーボンのおかわりを差し出した。
「彼女からのおごりです」
とバーテンダーは言った。
振り向くと、彼女はいなくなっていた。
僕はバーテンダーを見る。
バーテンダーは話し始めた。
「このバーのバーテンダーには不思議な申し送りがありましてね、ワンダフル・トゥナイトを歌う男が来たら、バーボンのロックを奢ってくれと言うんですよ。自分を捨てて東京に出ていった男を思い続けて亡くなった彼女のために」
「亡くなった?」
「好きな男を追って東京に行く途中に、事故にあったとのことです」
僕は、バーボンのロックを一口飲んだ。
彼女のことを思い出す。
そしてステージへと歩いた。
僕のことを見ていたバンドのメンバーがステージに集まってきた。
僕はフェンダーのストラトキャスターを肩からかけ、アンプのスイッチを入れた。
僕はギターのフレーズを弾く。
僕が弾くワンダフル・トゥナイトは、エリック・クラプトンのライブ・バージョンで、ギターのフレーズから始まるのだ。
バンドのメンバーがそれに合わせて演奏を始める。
僕は10年ぶりにステージに立った。
僕は歌う。
ワンダフル・トゥナイトを歌う。
彼女を思いだす。
僕の視線の先には、僕の歌う姿を見守ってくれている彼女の姿がある。
僕は泣いた。
涙が溢れた。
ギターも泣いている。
失われた素敵な夜が、蘇った。
おわり。
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