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少年のような心を ~シンガーコンテスト~
とある国内最大級のシンガーコンテストに初めて出場したのは十八歳の頃だった。
そのコンテストは、オリジナル曲やギター弾き語りでの参加も可能であったことから、友人から紹介を受けた。上京してから、これといった一歩を踏み出すことができないでいた私は、思い切ってエントリーすることにした。
全国各地で地区予選が開催され、私の参加する東京予選は参加者が多く、ワンコーラスのみで勝負しなければならなかった。
弾き語りでの出場者は私を含めて二組のみ。他は全員カラオケで、本気でプロの歌手を目指している人が多いのか、総合的に実力のレベルが高かった。プロとして活動しても遜色なさそうな出場者もいる。はっきり言って、歌唱力で言えば私より上手い人の方が多いだろう。だからこそ、歌に込める気持ちの面で絶対に負けたくないと思った。歌唱力はなくても、個性や表現力なら引けを取らないと、その部分だけは自信があったのだ。
長い時間をかけ、すべての出場者が歌い終わり、主催者より講評と結果発表が告げられる。何も期待していなかったが、私が優勝するというまさかの結果に自分自身が一番驚いた。これにより、全国大会の決勝への切符を手に入れることになった。
この結果に不満を持ち、主催者に文句を言いに行った出場者の男もいた。私は近くでこっそりと聞いていた。
「優勝した彼より、俺の方が上手かったと思うんですけど。なんで俺が選ばれなかったんですか?」
主催者の方は冷静に、目を見て答えた。
「あんな、歌の上手い奴なんてなんぼでもおんねん。自分ぐらいの歌のレベルなんて五万とおるで。せやから、他の部分でどう魅せれるかが肝心なんよ。そこが彼との違いや。ええか」
まだ不満そうな表情を浮かべたまま、その男は去って行った。
帰り際、ギターを抱えて会場を後にしようとする私に男は声をかけてきた。
「俺、絶対負けないっすから。別の地区で再び予選を受けてでも決勝に行くんで。待っててください。あ、俺、Fって名前なんで覚えておいてください」
「いいですね。楽しみにしています。僕はみつるです。Fさん、決勝でお会いしましょう」
決勝の舞台は、大阪の大きな会場で行われた。名前は忘れてしまったが、とにかく大きいハコだった。規模でいえば、なんばHatchと同等くらいだろう。
ここまで大きい会場で演奏するのは、当然ながら初めてのことだった。ステージや観客席を見ているだけでぞくぞくする。
出場者が集められ、スタッフから説明を受ける。決勝にいる出場者をちらちら見ると、凄まじく歌が上手そうな集団に見える。きっと自分より歌が下手な人はいないだろう。私が勝負できるところで闘わなくては賞を取ることはできない。
出場者には黒人男性もいた。明らかにヒップホップでも歌うのだろうと察するB系ファッション。決勝ではラップも聴けるのか。ますます楽しみになってきた。
そんなことばかり考えてろくに説明を聞かなかったことを反省していると、後ろから声をかけられた。
「みつるさん、ついに会えましたね」
予選で話したFさんだった。歯を出して笑っている。
「決勝は強豪揃いでしょうけど、お互い頑張りましょう」
「頑張りましょう。俺、優勝しますから」
彼は本当に決勝に来ていた。彼の有言実行な姿勢にとても好感が持てた。正直なところ、予選では出場者が多すぎて、彼の歌を聴いていなかった。だから、私は今回この決勝で初めて彼の歌をちゃんと聴くことになる。どんな歌声なのだろうか。心底楽しみだ。
そして、シンガーコンテスト全国大会の決勝が始まった。
出場者の歌唱力は想像以上だった。もはや、全員プロなのではないかと思う程のレベルだった。聴いていてうずうずしてくる。私の目指している道は、こんなにも凄い才能に溢れた人がたくさんいるのか。なんて険しいのだろう。でも私もこの場に選ばれた一人であることを忘れてはいけない。彼らに負けてはいられないのだ。
先ほど見かけた黒人男性の出場者が、堂々とした立ち振る舞いでステージの真ん中に立つ。どんなヒップホップのサウンドが流れてくるのかと思いきや、タラタラターと日本伝統の演歌の前奏がかかり始めた。これには会場にいた誰もが驚いたことだろう。大きな拍手と歓声が湧き起こった。
そして、第一声を聴いたときの衝撃を忘れない。
なんて渋く甘い歌声なんだ……。日本語の発音も明瞭で、演歌特有のこぶしもビブラートも完璧だ。めちゃめちゃ上手いではないか。歌唱力もさることながら、黒人男性が演歌を歌うというギャップのインパクトは絶大で、これは勝ち目がないと思った出場者は私だけではなかったはずだ。
そして、Fさんの出番がやってきた。彼は洋楽を選んだようだ。声が高くパワフルで、特にサビのスケールの大きな歌声には一気に惹きつけられた。
これだけの歌唱力があって予選で選ばれなかったのだから、文句を言いたくなる気持ちも理解できる。ここまで洗練された歌をうたえるようになるには、相当な努力を重ねてきたのだろう。これは先ほどの黒人男性と並ぶ、優勝候補なのではないかと思った。
私の出番もあっという間にやってきた。ステージでセッティングしていると、改めて大きな会場だと感心したが、不思議と緊張感はあまりなかった。観客との距離を感じたからだと思う。
予選で演奏した曲と異なる、最近できた新曲を披露することにした。が、その選択が失敗だった。歌詞を間違え、ギターコードを間違え、焦ってしまい、音も外してしまった。
演奏が終わり拍手を浴びる。しかし、私の心は絶望感と羞恥心でいっぱいになっていた。優勝は無理だと確信した。
なんで歌い慣れた曲にしなかったのだろう。激しく後悔の念に苛まれた。
遠方からわざわざ応援に駆け付けてくれた友人にも、本当に申し訳ない気持ちだった。
コンテストも出場者全員のパフォーマンスが終わり、ついに主催者から結果発表が告げられる。散々な演奏ではあったが、手を合わせて祈っていた。
優勝は若い女性が選ばれた。正直、どんな歌だったかは覚えていない。そのくらい、誰が優勝してもおかしくない程に皆が上手かったのだ。そして準優勝は、例の黒人男性だった。優勝者よりも大きなインパクトを残した黒人男性は、近い将来プロになるのではないか。そんな予感がした。
私とFさんは受賞することができなかった。だが、Fさんの実力でも受賞できないのなら、今の自分では到底無理だと諦めがついた。今回の経験は、「上には上がいる」ことを肌で感じることができたし、私の中で自分の可能性を信じるきっかけにもなった。もっともっと練習して、歌に磨きをかけていこう。いつか、ここにいるシンガーたちを超えてみせる。そう誓いを立てた。
数年後、黒人演歌歌手がメジャーデビューし、テレビに出て話題になっていた。マスコミも彼に注目し、多くのメディアで取り上げられていた。
あのとき共に競った出場者が、大きく羽ばたいていることをとても嬉しく思った。悔しい気持ちがなかったわけでもない。が、私もいつか彼を超えると信じていた。きっとFさんもそう思っていたのではないだろうか。
夢を持って競い合う。あの時間こそが、また夢に思う。
そんな時代を恋しく思いながら、また夢を見続けるのだろう。
少年のような心を守り続けて。