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あの人も、あの街も

 路上ライブをやっていると、たくさんの出会いがある。そのほとんどが、二度と会うことのない、一生に一度の縁である。
 看板を立てたりフライヤーを配布したりして、固定客が増えることを目指していても、そのとき出会った人は、いつも一期一会として受け止めている。
 ただ、偶然に再会する奇跡も稀にある。

 二十歳の頃、その日も池袋駅で路上ライブを演っていた。すると、長い黒髪の若い女性が足を止めた。
 演奏が終わって、その女性に挨拶する。彼女は目を合わさずに、ぼそぼそと喋った。

 彼女の名前はAYA。今は大学に通いながらモデルの仕事をしているが、本当はアーティストになりたいのだとか。
 AYAさんのために、次の曲は何を演奏しよう。そんなことを考えながら聴いていたが、自分の話が終わると、「また来ます」 と告げて去っていった。
 こういうケースは、路上ライブでは珍しくない。曲を聴きたいというより、ただ話をしたいという人も結構いるのだ。

 それから、ホームページでライブ予定の告知をしていたものの、彼女は一度も姿を現すことがなかった。
 数ヶ月後、代々木公園野外音楽堂でライブをした。その帰りに、路上ライブの聖地として有名な通りを歩く。たくさんのアーティストたちが、オリジナルなパフォーマンスで自己表現をしている。ある種の求愛行動にも似ているそれは、うんざりするものばかりだ。
 すると、そこへワンピースを着た若い女性が歩いてきた。距離が近づき、段々と姿が明瞭になる。見たことがある人だ。
 あの人は、確か……。そうだ。彼女は、かつて池袋駅で会った、AYAだ。

「あの、池袋駅でお会いしたことありますよね……?」

 彼女に声をかけると、不審者を見るような目をして、怯えているのがわかった。
 私の声のかけ方が悪かったのかもしれない。どうやらナンパだと思ったらしい。名前を名乗り、会ったときのことをあれこれ説明して、ようやく私のことをわかってもらえた。
 彼女は、今からこの場所で、初めての路上ライブに挑戦すると言う。だが、勇気が出なくて困っていたらしい。これも何かの縁だ。手伝うことを引き受け、彼女のライブデビューに立ち合うことになった。

 譜面台を広げて、聞いたことのない名前のギターをチューニングする。モデルをやっているだけあって、彼女がギターを持って立つと見栄えがよかった。
 アーティストを目指すAYAの第一歩。その瞬間に立ち合えると思うと、わくわくした。どんな歌をうたうのだろう。
 私が目の前に座ると、弾き語りの演奏が始まった。

 ……ん?

 あれ……?

 少し弾いては、すぐに手が止まってコードを押さえ直す。それを何度も繰り返した。ギターを弾きながら歌うという同時作業は、まだできないようだった。
 これって、まだ路上ライブデビューしたら駄目だよ……。彼女には大変失礼だが、周囲からの視線が気になってしまった。自分が客として見られることが、恥ずかしくなってきたのだ。
 それでも彼女の容姿も手伝ってか、足を止めて聴いてくれるお客さんが二人現れた。彼らから「頑張って」などと声援を浴びている。本人は必死で、何かリアクションをする余裕などない。
 どれくらいの時間が経ったのだろう。おそらく十分もかかっていないと思うのだが、永遠と思われるくらい長く感じた一曲が、なんとか終わった。それに満足したのか、AYAはギターをケースにしまい始めた。そして、私の足元を一瞥した後、

「打ち上げしましょう」

 と、満足げな表情で提案した。大きな仕事を成し遂げたようだった。確かに彼女からすると、すべてが初めての経験だったのだ。この一曲を演奏するために、どれだけ努力し、勇気が必要だっただろう。初心と謙虚さを忘れてはいけない。そう反省し、彼女にご馳走することを約束した。

 私とAYAは原宿の町を散策した。美味しそうならーめん屋を探していた。その日は自分もライブだったし、どうしても豚骨らーめんが食べたいと考えていたのだ。だが、なかなか美味しそうな店が見つからない。
 AYAは段々と無口になっていった。すると、急に立ち止まって私を睨みつけてきた。

「おい、いい加減にしろよ。どこにあんだよ。こっちは腹減ってんのに、お前に付き合ってやってんだよ」

 ……戦慄が走った。人混みの中、たくさんの視線を浴びた。その後、気まずさを感じながら食べた、こってりらーめんの見た目も味もまったく覚えていない。が、スープをごくごく飲み干して、「おいしい!」と歯を出して笑う彼女の顔は、鮮明に覚えている。

 数日後、「たこ焼きパーティーをしましょう」と、AYAから連絡があった。正直、彼女と二人のたこ焼きパーティーは、前回のことがあり、考えると恐ろしかった。乗り越えられる自信がない。よって、音楽仲間のYを呼ぶことにした。Yは関西の出身で、たこ焼き用のホットプレートを持っていたのだ。
 彼のおかげで、たこ焼きパーティーは様々な具材を味うことができ、とても盛り上がった。私も三十個くらいは食べた気がする。
 その帰り、AYAがカラオケに行きたいと言い出した。私とYは渋々了承し、電車に乗ってカラオケの店に向かった。すると、電車の吊り革に掴まっていた彼女は段々と険しい表情になり、いらいらした雰囲気になった。嫌な予感がしたが、声をかけてみることにした。

「AYA、どうした? 何かあった?」

「は? 何かあったじゃねえよ。金がねえんだよ。私はカラオケなんて行かねえよ」
 
 私は息を呑んでYを見た。すると、彼も目を見開いて私を見ていた。

「で、でもさ、電車乗っちゃったし……」

「関係ねえよ。お前ら帰れよ」

 緊張しながら、私たちがカラオケ代を払うと話すと、彼女はにこにこと笑い出した。
 カラオケに着いて、AYA様はすぐに曲を入力した。「キューティーハニー」だった。テンションは最高潮になる。AYA様は、激しく踊りながら歌う。Yの顔に何度も胸を押し当てた。はっきり言って、私とYのメンタルは、ぼろぼろになりつつあった。私たちは歌うことなく、最後までAYA様一人で歌い続けた。
 帰宅後、彼女からメールが来た。

「今日は楽しかったですね! 次、いつカラオケ行きましょうか?」

 恐怖で、しばらく眠れそうになかった。

 あれ以来、AYAは私が東京から帰るまで、よくライブに来てくれた。そして、よく怒られた。が、二度と路上ライブを演ることはなかった。
 もう連絡先も知らない彼女は、元気でいるだろうか。
 どうか、あの人も、あの街も、あまり変わらないでいてほしいと、密かに願っているのである。


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