神谷美恵子:「生きがいについて」
神谷美恵子は私の尊敬する日本人の一人だ。神谷は英語とフランス語が堪能で、精神科医であると同時に翻訳家にして文学者でもあった。多彩な彼女が最も情熱を傾けたものは、ハンセン病患者との交流であった。具体的には、ハンセン病の療養所(長島愛生園)における精神科の開設と、患者への精神的ケアであった。
神谷の情熱は、ハンセン病をあえて「らい(病)」と書くことに端的に現れている。ハンセン病は不治の病であり、罹患した人間はそのまま生きながら社会的に抹殺されることを意味した。名前を変えた人、故郷を追われた人、家族と引き裂かれた人……。「らい」にはそうした人々の生活と人生をまるごと包み込んだ言葉であった。
神谷の持つ眼差しは、常に人々の傍らにある。疾病や障害に対する神谷の考えは、どこか文学的であり劇的なものがある。
一体なにが彼女をそこまで駆り立てたのか?
神谷は「癩者に」という詩を書いている。その一説には以下のような文章がある。
何故私たちでなくてあなたが?
あなたは代わって下さったのだ、
代わって人としてあらゆるものを奪われ、
地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。
神谷の胸にあったのは、ある種の怒りに近いものではなかったか。
何故、「私たち」でなくて、「あなた」が?
神谷が療養所で目にしたのは、ハンセン病に対する適切な治療もなく、それによって社会生活や社会復帰という道を絶たれたもの、また二次障害としての精神疾患に苦しむ患者の姿であった。若き神谷は衝撃を受け、自らの生涯をハンセン病患者へ尽くすと誓った。
神谷は精神科医であると同時に、翻訳家でもありマルクス・アウレリウスの「自省録」の翻訳が有名である。文学者としての顔も持ち、今回取り上げる課題図書の「生きがいについて」は、生きがいという言葉を一般的にした名著である。神谷はハンセン病患者の療養所における社会的に隔絶された生の中にも希望が捨てられずに残っている事例を見る。そこに、真の人間としての在り方や「生きがい」というものを見出していく。神谷の筆致から、現代へと繋がる人の生きがいについて考えてみたい。