「聞く技術 聞いてもらう技術」東畑開人
先日、2022年最後の読書会を終えました。課題本は東畑開人著「聞く技術 聞いてもらう技術」。
未だコロナウイルスによる人と人との距離感は、それ以前のようには戻っていません。そして今後も、かつての日常が戻ってくるのかは見通せません。人と人との関係性が大きく変わる中で、改めて「聞く技術 聞いてもらう技術」を手に取り、また読み合うことで新たな「繋がり」というものが生まれてくるのではないかと思い、選書しました。
前回の課題本が孤独に関するものだったということもあり、今回は繋がることの起点となる「聞く/聞かれる」ということがテーマでした。
「孤独も孤立も、ポツンとひとりでいる状態です。だけど、当の本人が内側から見ている心の世界は違う。孤独の場合は、心の世界でも自分ひとりです。……これに対して、孤立の場合は、心は相部屋にいます。そこには嫌いな人、怖い人、悪い人が出たり入ったりしています」
本書において、東畑はこのように書き、孤独と孤立とを区別しています。また現代において、「心」の置かれている状況については以下のように表現しています。
「心は人々の間を回遊しているのが自然で、個人に閉じ込められると病気になる。それが人間の本質なのでしょう。そういう意味では、個人主義が徹底される現代は心にとって不自然な状態だと言えます」
人は他者との関係の中において自己を認知するという形の認知構造を持っています。現代では個人主義と匿名性の高い社会であり、「聞く/聞かれる」ことの希薄な社会でもあるといえるでしょう。この「聞く」ということを専門にするのが臨床心理士などの専門家ですが、専門分野での「聞く」という在り方はカウンセリングに代表されるような、「治療」としての意味合いが強いものです。ただ、東畑が本書において書くのは日常的場面での「聞く」ことであり、むしろ専門家によらない「聞く/聞かれる」という行為にこそ、意味があるとの含意があります。
「聞く/聞かれる」という行為は人間関係の基盤となるもので、誰もが行なっているものでもあります。一方で、これらが大きなストレスになることもよくあることであり、読書会では「どうしても相手の話しを聞けない時にはどうすれば良いのか」という質問が参加者の方からあがり、これを各参加者で答えていくという場面を作ることができました。
こうした読書会での「繋がり」というものの中にも、「聞く/聞かれる」関係性が自然とできるのだと実感をしました。
「聞く/聞かれる」関係性は、専門家と治療者という関係だけでなく、こうしたごく一般的な人と人との関係性においても可能であるのです。東畑はまた、「ただし、専門知がときに暴力になることも忘れてはならない。「うつ病だ」「不安障害だ」と名指しされることで、本来だったらまわりから見守られながら取り組むはずだった人生の課題が、心理学や医学の問題にされる。すると、人はまた別の意味で孤立してしまう。今、私たちの社会は大きすぎるし、複雑すぎる。だから、世間知だけでも、専門知だけでも、個別の心の複雑な事情を把握しきることは難しい。そのとき、専門知が世間知の限界を補い、世間知が専門知の暴走を制御する。
両方がせめぎ合うことによって、苦しんでいる人の複雑な事情を複雑なままに理解することを試みる。結局のところ、心のケアとはそういう試みを積み重ねることなのである。複雑に理解されることが、その人らしさを保証し、コミュニティーに居場所を作ることになるからだ」と書き、人の心が抱える様々な問題に対してのアプローチについて、示唆的な指摘をしています。
「聞く/聞かれる」ことは人間関係の基本であると同時に、社会における一つのコミュニティにもなり得るものだと思います。人が人として社会の中で存在することを実感するために欠くべからず能力なのだと思いました。