まねき猫と呪いの話
ここ数日、夕方5時を過ぎるといくらか過ごしやすい日が続いている。そんなわけで、昨日も夫と夕暮れ散歩へ。とはいえ、まだ明るい時間帯なので、馴染みの神社へ行くことに。昨日はちょっと面白いことをして帰宅した。
呪いの言葉
よく行く神社のうち、昨日立ち寄ったのは通称「出世稲荷」。観光向け神社の裏手にある稲荷神社だ。社は小さめだが、この神社は古く、謂れもしっかりしたもので歴史もある。
出世稲荷を参拝し、その後はいつものように観光客で賑わう表の稲荷神社へ。地域猫や境内で生まれる猫を見ることが多い神社だ。すると、社務所の通用口から中年の男性が一人出てきた。神職か事務職かは知らないが、仕事を終えて帰るのだろう。
実はこの神社、ここ数年妙なことが起こっている。それは、猫たちがいなくなっているというもの。中には、誰かがもらっていったり事故に遭って死んだりしているものもあるだろう。ただ、ねずみ取りのような罠が見つかってすさまじい量の毛が残っていたという話もあり、仲見世の人が心配していた。里親を探して譲渡するのが目的なら、そんな手荒な手段を使うだろうか?
通用口から出てきた男性を見て、私はあることを思いついた。夫も同じことを思ったようで、にわかに
「ほらほら、何だっけ?浅草の招き猫の神社。猫を大切にする神社はそれだけで参拝客が集まるよね」
と話しかけてくる。
(ほう。なるほど!)
と夫の思惑を理解した私は
「ああ、今戸神社ね!あそこはいいねえ。何しろ、境内に住み着いてる白猫を神社も近所の人も皆んなで大事にしてる」
と返すと、夫も
「本来、神社や寺はそういうものだよね。猫は招き猫になってくれる。そういう話はあちこちにあるよね」
と話をつなぎ、続いて私も
「ここの猫たちは何があったんだろうねえ。そもそも、生き物を粗末に扱うとろくなことはないのに」
と、やや大きめの声でわざと猫の話をしてみた。
猫が消える真相はわからないが、私も夫も神社を疑っている。何故なら、境内から生き物を排除する動きを明確にしているからで、実際に「境内への生き物の入場を禁じます」の立て看板が急に立てられたからだ。昨日は、猫は一匹しか見なかった。
そんなわけで、会話の目的は、神社への戒めである。そして、やんわりと呪いをかけたのだ。プラシーボ効果も呪いの一つである。私たちは、それを狙ったのだ。
さて、先ほどの中年男性。私たちの話は当然聞こえていたようで、チラチラとこちらを見ていたそうだ。予想通り神社の仕業なら、効果が出ることを願う。自責の念に駆られ、生き物を大切に扱ってくれたら良いと思う。外部の者の仕業なら、ただの話で終わるだけだ。
福を呼ぶ生きた招き猫
先述の今戸神社は、そもそも大きな招き猫が有名である。縁結びで知られる神社で若い女性の参拝客も多い。そこに住み着いている白猫ちゃんは、いつ行っても自由にしていて、その子を目的に来る人も少なくはない。生きた招き猫というわけだ。
そして、こちらは私たちが以前住んでいた街の有名な猫。普段は、水戸東照宮の鳥居近くにあるタバコ屋さん(兼宝くじの販売店)にいるが、ここで飼われているわけではない。八の字のような眉毛(柄)が特徴的で、その名も「ハチ」。
ハチは、東日本大震災の翌月に生まれた猫だそうで、飼い主さんも水戸東照宮近くにいる。八は末広がりで縁起も良いことから、ハチ会いたさにタバコ屋さんに来る人も多いらしい。
ハチについての詳細はこちらをどうぞ↓
招き猫の発祥と言われる豪徳寺の逸話↓
生き物が伸び伸びと暮らせているのは良い街だと思う。あの神社で実際は何が起こっているのか知らないが、生き物に温かい人ばかりが集まる場所になってくれることを願うばかりだ。