つらつら綴る ~ベーシックインカム~
7/30が誕生日。そんな訳で、友人から誕生日プレゼントなんか欲しいか?と聞かれたので、「ベーシックインカム」って答えたら「パトロンじゃねえよ」と即リプがきた。
ガーナに2014年に移住してから7年目。色んな人に助けて頂いたおかげで何とかガーナに残り続けて入られています。感謝。日本で働いていた時代よりも、図々しくなり、なんとかなるさぁと楽観的になり、適当になってきているので、もう日本では働けないのではと思う今日この頃。きっと将来は何とかなる。
ガーナで生きていく中で、出来ない時、辛い時に「助けてください」と言えると助けてくれる人たちが結構いて、世界には優しい人が多いんだなぁと感じた。交通費と食費とで一日200円で生活していた2014年。前職の知識と経験を生かして商売ができないかと、スーツを着て一件一件工業団地のプラスチック加工会社を歩いて回りながら、どんな材料を何トンくらい幾らでどこから購入しているのかを聞いて回り、その情報を元に商社さんが取引をしてくれないかと掛け合ったりしていた。
実際には取引までは発展しなかったが、大手総合商社の所長さんからは、自分のしょうもない話を面白かったよ、と言って頂き、その後も何度も食事に誘って頂いた。当時はガーナ食を1日一回とビールで過ごしていた為、たまに誘って頂ける外食とお話をニコニコ聞いて頂ける事が本当に嬉しくて、また頑張ろうと英気を養わせて頂いた。
借りていた部屋が電気も水もでない時は、大使館・JICAの友人達の家に泊めて頂いたり、ご飯をご馳走になったりしていた。たまに外食に行く時にも、「石本は大変そうだから協力隊と同じ傾斜でいいよな」というお気遣いを頂き、沢山の応援を頂いた。日本に帰れば、日本にいる間に美味しいものを食っていけ、と家族、友人、先輩たちが美味しいご飯を食べに連れて行ってくれた。毎回本をプレゼントしてくれ、気にかけてくれる先輩もいる。日本で応援してくれる人たちがいる、という事はとても強い心の支えになっている。
「ベーシックインカム」が欲しいと何気なく言った後に、今まで大きく体調を崩すこともなく、ガーナに残り続けていられるのは、そうした多くの友人達の激励と支えがあったからなのだとふと思い出した。これらの事を忘れてはいけないし、いつか恩返しをしないといけないと思い、この思いをnoteに残しておこうと思った。
因みに、今は流石に協力隊とご飯に行く際には、一般の社会人と同じくらい多く支払うように心がけているが、パン屋のあるKumasiの協力隊達だけは別枠で完全折半である。これは、Kumasiの協力隊達は自分にとって特別な仲間だと思っており、私の懐事情もガーナでの生活水準もよく理解してもらっている、という完全なる甘えである。そして、未だに年上の方々には、応援して頂いたり、ご馳走になったりしている。応援して頂いている分、自分より年下の頑張っている若い人たちを応援したいという思いもある。まだまだ応援できる様な立場ではないが、そうなりたいと強く思う。
自分が将来こう生きていきたいなぁと思う人が二人いる。一人はケニアナッツ創業者の佐藤さん。もう一人はDMM会長の亀山さん。二人については、いつかまた時間を割いて書きたいと思うが、自分も歳をとった時に、若い人たちから相談を受けたり、助言や機会を提供したり、応援できる様な立場で一緒に仕事をし続けていけたら最高だろうなぁと考えている。DMM時代は色々あったけど、自分は悪い事を忘れて良い事だけを覚えている都合の良い脳みそをしているので、今でもDMMにも会長にも好感を持って感謝している。
「ベーシックインカム」が欲しいと言いながら、ガーナの中小企業や個人事業主にお金出したり、やりたい放題やっているわけだけど、基本的には自分の生活の保障がないと精神的にも不安定になるので、ぽろっと出てきた「ベーシックインカム」は本音なのだと思う。ベーシックインカムではないけれど、何か困った時にはきっと誰かが助けてくれる、応援してくれるという安心感でも良いかもしれない。収入や資産、フォロワー数などではなくて、少人数でもそういう人が自分にはいる、という事を再確認するのは楽しい事で幸せな事なのかもしれない。