見出し画像

ブランディングだけの街ではない京都

こんにちは。ヨシミツダです。

突然ですが、ブランディングという言葉をご存知でしょうか?

ブランディングの対象となるブランドとは、以下のように定義されています。(Wikipediaより)

ある財・サービスを、他の同カテゴリーの財やサービスと区別するためのあらゆる概念。
ブランディングとは、ブランドに対する共感や信頼などを通じて顧客にとっての価値を高めていく、企業と組織のマーケティング戦略。

ターゲット市場におけるブランドの現状認識の分析から始まり、ブランドがどのように認識されるべきか計画し、計画どおりに認識されるようにすることが目的である。認知されていないブランドを育て上げる、あるいはブランド構成要素を強化し、活性・維持管理していく手法でもある。

ブランドには、高級消費財だけでなく、人や地域、建築物、商品、サービスなどあらゆるものが該当します。

日本における有形・無形問わずブランドの固まりのような街が京都です。主には過去から築き上げた伝統という認識を磨きあげているということとも言えるでしょう。

ブランディングに対比する言葉としてビジョニングという言葉を、最近聞くことがあります。
ビジョニングは、どんな未来を信じたいのかというビジョンを掲げて、その世界を実現するための活動の蓄積のことをいいます。
ビジョニングで有名な街としては、積極的な未来像を持った活動的な印象のある福岡をイメージします。

ブランディングが、どちらかというと過去からの連続した蓄積をイメージすることに対してビジョニングは未来に対しての非連続な飛躍を感じさせます。

伝統は革新され、新たな伝統となる

先日京都のとある勉強会で、京和傘日吉屋5代目の西堀耕太郎さんの話をお聞きする機会がありました。西堀さんが「伝統は革新の連続である」ということをおっしゃっていたのですが、和傘のイメージを大きくはみだす商品(作品にも見えましたが)をたくさんご紹介いただき、たしかに革新的だという印象を受けました。

和傘の技術を応用したランプシェードはリッツカールトン、スターバックスなど誰しもが知るホテルやカフェで使われています。

それは、もはや綺麗なお土産品というよりj実用的なインテリアであるという印象です。芸術的な作品になりすぎていないところもすごいと思いました。

西堀さんは国内外のバイヤー、職人、デザイナーと繋がり、海外市場で現在のライフスタイルに通用する商品を伝統の技で開発するT.C.I. 研究所も運営しています。まさに不易流行の取り組みで、過去にあぐらをかかずアグレッシブに未来を拓いている感じです。
「10000人に1人しか売れなければ、京都だけでは商売は難しいかもしれない。でも世界には70億人の人がいる。」と自信満々にお話されていたのが印象的でした。まさにグローバルニッチですね。実は日本にいると、あまり意識できていないことなんですが、現時点でグローバルでみるとインターネットには世界の半分くらいの人しか繋がっていません。ただ、今後10年で、世界中の人がインターネットに繋がることができるようになるといわれています。

機能的な商品に満足を得た人は、アートや本当にいい物に投資をするようになるはずです。
今は革新的に見える現在の活動も、やがて普通に世界とビジネスをするようになると伝統に変わるのです。

西堀さんのこういった視座は、ブランディングというよりむしろビジョニングなのではないかと考えます。そう考えると京都はブランディングだけでなくビジョニングの同居する街と言えそうです。

あえて主流でなくとも視野は広く

関西だと、パナソニック、シャープ、サンヨーなど大阪に本社を持つ総合メーカーが多いことに対して、京都には世界的な部品メーカーが数多くあります。このような世界的なメーカの成り立ちは、もとは前述の大阪の総合メーカの部品メーカという位置づけでした。

あえて主流ではない部品メーカーでしたが、現在は立場が逆転というか、部品メーカーの方が業績がよいように思います。
こういった部品メーカーの発展と京都という土地のブランディング、ビジョニングの影響は多分に大きいと考えており、京セラ美術館やロームシアター京都など、芸術を司る施設が部品メーカーの名前を冠しているところに京都企業の気品を感じます。

世界を気品で満たすために

京都の方々の暮らしは普段は質素で、華美な贅沢をしているように見えません。「おばんざい」も庶民的で安心感があります。ただ、やはり一流の料理屋さんやお祭り、特別な日の祝い方一つとっても気品にあふれています。

経済的な視点で見るだけでは、無意味に感じる
季節ごとの数多くの風習は人と地球のサイクルと同期しており、本来「人間らしい」暮らしのように思います。

現在、世界的に、ファストフッションや機能的な物が安く大量に作られて消費されていきます。しかし、こういった物だけを作ることや消費することは人を幸せから遠ざけることにならないでしょうか。心から気持ちいいモノと生活を共にしたい人達は増えているはずです。

京都から発信される「気品のあるものづくり」はブランディングとビジョニングを両立して新しい未来をつくってくれる予感がします。

私は人生を流れるがままに京都の近くに住んでますが、この街の近くで暮らせて、よかったと感じています。

Willはあるけど、Canがない。Needは自分ではわからない伝統工芸に関わる仕事について憧れた時期がありました。しかし、その時は何もできることがないとそのままになっていました。
一度は縁がないかと思いましたが、西堀さんのお話をお聞きして、なんらか関われる可能性がないか再考したい気分になりました。また、楽しみが増えました。

新しくて古い街は、革新する人たちがいるからこそ人を惹きつけ続けるのかもしれませんね。
それではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?