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人類の使命のおはなし(大和言葉で読み解く古事記)

前回までは、大和言葉の意味を踏まえた上で、古事記の「別天つ神五柱」と「神世七代」を読み解いてきました。
一音一音に意味のある大和言葉を素直に感じると、そこには大宇宙の生成と地球の成立について描かれていることを感じとることができるということでした。

まだお読みでない方は、是非こちらをご覧ください。

そして、ここの段落「国土の修理固成」では、人類に与えられた役割について触れています。そして、まず最初に行ったコトとして地球を作ったということが書かれています。

あれっ、前回の「神世七代」で地球ができた話をしてたんちゃうの!?
ってなりますよね。

少しややこしくて申し訳ないのですが、これまでは客観的視点で、ここのはなしは、人類の視点で主観的にみていただくということになります。

少し傲慢な感じになってしまって誤解されないようにしたいのですが、人類の為に地球は用意されていたということです。
修理固成という宇宙の生成発展の役割を担って人類は誕生し、人類が活動する場所として地球が誕生したということです。

現代人は、138億年前に宇宙が誕生し、45億年前に地球が誕生し、人類の誕生は数十万年前という時系列で考えるので過去があって現在があって未来があってとなります。

しかしながら大和言葉の世界観においては、ナカイマという常にイマを大切にするという考え方があり、過去と現在と未来を一直線上には考えません。
イマから見て、マヘかノチかを判断します。常にイマを力強く生きる為にイマを中心にするということです。
ですので、マヘ(過去)の出来事はすべて人類のイマの為に用意されていたということです。そして、イマをどう生きるかによってノチが築かれていくということになります。
詳しくは、以下の記事をご覧下さい。

前置きが長くなってしまいましたが、本文に入っていきます。

伊邪那岐命と伊邪那美命

1国土の修理固成

まずは、読み下し文です。

ここに天つ神諸の命以ちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に、「この漂へる國を修め理り固め成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして書きたまへば、鹽こをろこをろに書き鳴して引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる鹽、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。

現代語訳(光本弥観訳)すると次のようになります。

宇宙の中にいる様々なミコトの中からイザナキとイザナキに「この大宇宙をヲサメ、ツクリ、カタメ、ナセ」と使命を与えて、”ヌボコ”を渡しました。
そして、イザナキとイザナミは、宇宙とイマをつなぐ橋に立ち、ヌボコを使いシホを積み重ねていくと、統一された空間ができました。それが地球です。

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ハッブル望遠鏡で星の形成過程をとらえているといわれるミスティックマウンテンの写真です。地球が誕生する時もこんな感じやったんですかね。

カミとミコトの違いについて

細かく内容を見ていく前に大切なことなので、ミコトについて解説します。
前の神世七代では、イザナミノカミだったのに、ここからはイザナミノミコトに変わるんです。”カミ”と”ミコト”の違いです。
どう違うんでしょう。

まずコトについて、コトとは凝り止まったものです。
マコトとは、真実が凝り止まったものです。
コトバ(言葉)は、自分の中に凝り止まったコトがハッと外に出すものをコトバと言います。日本には、言霊信仰という言葉があり、言葉には魂が宿っているというのは、コトが自分自身の中に凝り止まった大切なもので、それを言葉に載せて発信していると感じているからです。

ミは、マという真実がイの段で命の働きが加わりますので真実の命の活動(本質)ということになります。ですので、

「ミコト」とは、本質的な命の働きのことになります。

カミは、目には見えず感じることもできない本質ですが、ミコトは、何か感じることのできる本質の働き(生命体)です。

合氣道開祖の植芝盛平翁は合氣道を通じて自分自身がミコトとなられ、門人にも一人ひとりがミコトとなるための合氣の道を広めたのだと私は解釈しています。

一人ひとりがミコトとして宇宙の生成発展に寄与することが人類の使命なのだと思います。

それでは、少しづつ解説していきます。

ここに天つ神諸の命以ちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に「この漂へる國を修め理り固め成せ。」と詔りて、

ここに至って天つ神(宇宙におけるカミ)の中にいる様々なミコトがいるなかにおいて、イザナキノミコトという強く誘う生命体とイザナミノミコトという優しく誘う生命体に対して「まだまだ未完成であるこのクニを、ヲサメ、ツクリ、カタメ、ナセ」と言いました。

ということですが、ヲサメ、ツクリ、カタメ、ナセを詳しく解説します。

ヲサム ヲは終了を表し収めるヲです。サは微細なものを表します。ですので微細なものを収める。統一することをヲサムといいます。

ツクル ツはつながり続くもの。クは、組み組まれる結合です。ですので、モノゴトを結合させてつながりをもたすということです。

カタム 目に見えない幽玄なものを高く顕し広げるということで、たしかなものにするということです。

ナス ナは調和を表しますので、調和させていくということです。

ということで、「統一していき、結合させて、確かなものにし、調和させる」となります。

修理固成とは、”宇宙における細かなものをまとめて組み合わせ、確かなものへと調和させていく”ということになります。

天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。

宇宙のヌボコを与えて、言依せを行いました。

ヌホコ ヌは、一様にする。ホは、稲穂のホやホノボノのホで、緩やかに出現するもの。コは、凝るで固まる意味を顕します。

アマノヌボコは、宇宙における一様に固める役割を持って緩やかに出現しているものという意味に捉えることができます。

「言依せ」は、私自身とても大切やと思っているのですが、それぞれの人に与えられている役割、天命のことだと思っています。
英語で天職のことを”calling”と言うのと似てますね。
死ぬことを、”こと切れる”と言うように、”コト”が切れると役割が終わって死んでしまうということです。
自分自身の主観性や客観性を超えて、自意識をも超えた超絶観とでもいうべきものが”コト”なんだと思います。

故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして書きたまへば、鹽こをろこをろに書き鳴して引き上げたまふ時、

イザナキノミコトとイザナキノミコトが大宇宙のウキハシにおいて、ヌボコを下におろして、シホをコロコロと鳴らしながら掻き回し、引き上げたところ、

ウキハシは、「アマ」(宇宙)と目の前の「ナカイマ」をつなげるものです。ハシは、ハ(出ていくもの)、シ(統一する)ですので出て行って統一するものをハシといいます。

シホは、シ(統一)、ホ(緩やかな出現)ですので、緩やかに出現して一つに統一されたものをシホといいます。海水から出現して固まったものをシホというように、宇宙空間より出現して固まったものをシホと表現しているんですね。

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その矛の末より垂り落つる鹽、累なり積もりて島と成りき。

ホコよりしたたりおちていくシホ(宇宙空間における小さな塊)が重なって積もって固まっていってシマとなりました。

シマは、シ(統一)、マ(時間と空間)ですので、時間と空間が統一されたものがシマです。島となると海の上に浮いているアイランドを思い浮かべますが、大和言葉でいうシマは、「うちのシマになにさらしとんじゃ!」のシマということですね。

これ淤能碁呂島なり。

これがオノゴロジマです。

おのずからコロコロするシマですから、大和言葉で読み解くと自転している地球だと考えることができるのです。

最後にまとめるとこうなります。

宇宙における生命体としてのミコトの中において、クニづくりを誘引活動のイザナキとイザナミを指名したということは、モノゴトをはじめるには誘うことがないとはじまらない。
そして、人類の使命は、”宇宙における細かなものをまとめて組み合わせ、確かなものへと調和させていく”宇宙を調和し発展させることである。
その使命を実現させる為の活動の場として、人類は地球(オノゴロシマ)をつくりだした。

日本人が伝承してきたことは、改めて尊いことやなあと感じます。
最後までお読みいただきありがとうございました。

(つづく、次はイザナキとイザナミが結婚します。)

【参考文献】
古事記 倉野憲司校注 岩波文庫
縄文のコトダマ 林英臣著 博進堂
やまとことば伝説 林英臣著 博進堂
大和言葉の世界観 河戸博詞著

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