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【華夷思想2】 孟子(もうし)の華夷思想:“夏”と“中国”(前)
私は、①中国によって夷狄が変わったという話を聞いたことがあります。
ですが、これまで、①中国が夷狄に変わったという話は、聞いたことがありません。
あなたの師匠である陳良(ちんりょう)どのは、楚で生まれました。
ですが、周公や孔子の道に喜んで、北までやってきて、②中国で学んだのです。
北方の学者でも、彼よりすぐれた者はおりません。
彼こそが、いわゆる豪傑の士というものです。
(『孟子』滕文公上)
↑は、前回の【華夷思想1】で提示した『孟子』の一節と、さらにその続きの部分である。なお、2ヶ所の「①中国」と、1カ所の「②中国」は、後に検討する箇所なので、覚えておいていただきたい。
1、楚系儒家の敗北と農家の北上
さて、この一連のセリフは、孟子が、楚系儒家の陳良の弟子たちを叱責している一幕である。
では、孟子がなぜ、彼らを叱責しているのかといえば、彼らが、楚の農家(神農氏を崇拝する思想家集団)に取り込まれてしまったからである。
『孟子』滕文公上を見ると、楚の農家思想は強力で、儒家思想を駆逐しながら、すでに楚から宋、さらに孟子思想の浸透に成功した滕(とう)にまで北上していたことがうかがえる。
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中国は夷狄を教化するものであって、その立場が逆転することはありえないとする、孟子の信念は、楚系の農家に対抗する、儒家のスローガンとして出現したものであった。
さて、ここで考えなければならないのは、そもそも孟子が言う「中国」と「夷狄」とは、それぞれ何を指すのか?ということである。
2、『孟子』の“夏”と“中国”
その前に、説明しておかねばならないことがある。
訳文の「①中国」は、そもそも原文では「中国」ではない。“夏(か)”である。
そして、「②中国」、これは原文でも“中国”である。
念のため、冒頭訳文の原文を確認しておこう。
注目いただきたいのは、↓の“①夏”と“②中国”である。
吾聞用①夏變夷者,未聞變於夷者也。陳良,楚產也。悅周公、仲尼之道,北學於②中國。北方之學者,未能或之先也。彼所謂豪傑之士也。
(『孟子』滕文公上)
繰り返しになるが、冒頭の訳文の「①中国」は、原文では“①夏”である。
だが、「②中国」は、原文でも“②中国”である。
つまり、孟子は、なぜか“夏”と“中国”を使い分けているのである。
3、“夏”=「中国」、ではなぜ使い分けるのか?
ただし、あらためて訳文を読んでいただければわかるが、孟子のセリフの文脈から見ても、“夏”を「中国」と訳すこと自体は問題ない。
厳密性には欠けるが、①と②が同じような意味であることは明らかである。
つまり、日本語訳であれば、①も②も全て「中国」で訳して問題ない。
ただし、それが許されるのは、あくまでも日本語訳として、文脈から解釈する場合の話である。
原文に忠実であろうとするならば、ではなぜ、孟子は、“夏”と“中国”を使い分けたのか、という疑問が残るのである。
(*次回につづく)