夫婦で無職になって、お遍路に行ってみた話
退職しよう、と思っても、決心が揺らぐことってあると思う。
でも、退職してコレをやりたい、というモノがあって、それは退職しないとやってみることができないようなことだと、かなり強固に自分の意思を押し通して退職できるような気がする。
退職して、ソレをしている自分を思い浮かべることができるから。
私にとって、ソレは「お遍路」だった。
とはいえ、私はそんなに信仰心があるわけではない。
ただ、放浪の旅のような、長期の旅へのあこがれはあった。
「漂泊の思いやまず」
国語の教師として生徒に松尾芭蕉を教えながら、その実、自分が一番旅に出たかった。
自由になりたい。
自由でありたい。
・妻のお遍路願望に、夫は?
とはいえ、私は結婚している。夫に黙って旅に出るわけにはいかない。
「退職して、お遍路に行こうと思う」
と夫に言うと、
「いいんじゃない」とあっさり認められた。去年の春のことだ。
夫は、これまでも3回くらい転職をしている。
知り合ってすぐ、最初の職場を辞めた時なんて、世界放浪の旅に出るために辞めている。もう何十年も前、結婚前のことだ。
その後も、2回も転職している。手に職があるからか、すぐに次の職を見つけて切れ目なく働き続けてはいるが、退職している回数は多い。
その分、「辞めることに理解がある」というか、「ひとのことをとやかく言える立場ではない」と自己認識している、というか…。
・自己流占いの結果
最初は、私一人で歩いて野宿などもしながら四国一周しようと思っていた。
が、YouTubeで歩き遍路をしている人の動画を見て、大変そうだと心が折れた。
それに加えて、自己流占いでみたところ、「一人で行くのは大凶、夫婦で行くなら吉」と出た。
夫は幼少時からのキリスト教徒だ。結婚した時も、夫の両親に「改宗しなくてもいいから、せめて結婚式は教会であげてほしい」と言われ、信者以外が式をあげるための結婚講座に通って、教会で結婚式をあげたほどだ。
お遍路なんていう、仏教の極みのようなことをするわけがない。
恐る恐る夫に占い結果を伝えてみる。
と…
「確かに」と、拍子抜けなくらいにあっさりと「一人で行くと大凶」という結果にうなずいた。
「もう50近いとはいっても、オンナ一人で歩き遍路をするのは危険かもしれないね」と言う。
「いいよ。そろそろ今の職場、辞めたいと思っていたし、一緒に行こう」
え?
なんですと?
また辞めるのですか?
と驚いたものの、一人より二人の方が楽しそうだ。芭蕉だって、必ず旅には誰か弟子を同行させていた。「夫婦とも無職でお遍路」というのは、パワーワードすぎる感じもするけれど、面白そう♪
ということで、夫婦とも無職になってお遍路に出発することにした。
・お遍路グッズとお経と体力づくりと
そうと決めると、やらなくてはいけないことは山ほどあった。まずは、お遍路グッズ。白衣や杖や菅笠~通販で色々とそろえた。そして、「お経を読む練習」だ。
お経に関しては、私は般若心経を唱えるくらいでいいかと思っていたのだけれど、キリスト教のダンナの方がなぜか乗り気で、「ちゃんとやらないとダメだよ」と言う。ダンナに押し切られる形で、「るるぶ」のお遍路案内本に書いてあるお参り方法をチェックして、YouTubeにあるお遍路でのお経の唱え方を見ながら、通販で買った経本を使って、毎日夫婦で声を合わせてお経を唱える練習を始めた。
体力づくりに関しては、なかなか手をつけられなかった。
勤めていると平日は朝から夜まで働いてクタクタだし、土日などの休みも疲れ切ってしまっていて、とても「歩く」気にはなれない。むしろ一歩でも歩かなくてすむようにバスやエスカレーターを駆使して移動したいくらいだった。
そこで、せめてものイメージトレーニングとして、YouTubeで夫婦で歩き遍路をしている方の動画を見始めた。
が…
どう考えても大変そうだ。一人よりはましだけれど、夫婦でも一人一人が歩く距離は変わらない。
面白そうだけど、大変そうだ。
徐々に私は心が折れていった。
一方、ダンナは、膝サポーター等を買って、歩く気まんまんではりきり始めた。
「歩いて回れるかなぁ…」
「回れるかなぁ、じゃないよ。回るんだよっ!」
二人の温度差が、激しくなってきた。
そして、なんと、夫の方が私より早く退職してしまった。ますます「歩き遍路」にやる気を出し始め、毎日家の周りを歩き始めるダンナ。私は徐々に引き気味になってきた。
そもそも…
「歩く」って、そんなに偉いのか?まぁ大変だとは思うけど。
色々と調べてみると、お遍路で一番多いのは「バスツアー」だということがわかった。さらに、次に多いのは「車遍路」。さらにさらに、「車でも歩きでも、お遍路のご利益は変わらない」という公式見解も発見した。
私は、ダンナを説得して、「長距離では、レンタカーを使う」という計画に変更した。
が…
それでも不安だった。
一方、ダンナは、会社を辞めてから毎日一定量歩き続け、計画的に体力づくりをしている。
夫婦の温度差が…
このままでは、お遍路の途中でケンカして別行動になりかねないくらい、温度差が開いて来ているのを感じた。
が、ダンナにしても、そんなに体力があるわけではない。昔から「膝が痛い」と言っているし、お遍路に行くのにあたって、まず最初に「膝サポーター」を買っていたくらいだ。
膝が痛いのに、わざわざ歩き遍路しなくてもいいのではないか?
苦しんだ方がご利益がある、というわけではないし、お遍路の後も人生は続いていくのだから。
が、
ダンナに言っても、「レンタカーも使う、って言っているのに」と取り合ってもらえない。
最初は楽しみだったお遍路が、怖くなってきた。
・歩いて高尾山に登ってみたら…
そこで、提案した。
「高尾山に、歩いて登ってみよう」と。
今まで、二人で高尾山に登ったことはある。が、リフトやケーブルカーを使って、のことだ。文明の利器を何も使わずに歩いて登ったことは、ない。
四国八十八ヶ所すべてを歩いて回るとすると、1300㎞、寺と寺の間の距離にもよるけれど、一日平均20~40㎞は歩かないとやっていけないらしい。デイリーポータルZ「一万歩ってどれくらいの距離なのか」によると一万歩はだいたい10㎞。一日2万歩~4万歩、しかも荷物を背負って山道を歩く…って、気が遠くなりそうだ。
毎日ダンナが歩いているのは平地。山道ではない。
高尾山は、一号路が一番登りやすいらしい。その距離約4㎞。歩き遍路の一日分からすると、わずか10分の1くらいだし、遍路道のアップダウンに比べたら歩きやすい道なので楽すぎるかもしれないけれど、「この十倍の距離を歩けるか?」と考えたり、実際に一日何往復もして鍛えることにしたらいいのではないか?また、歩くペースは人それぞれ違う。自分達が山道をどのくらいの時間で何㎞くらい登れるのか知ることは、お遍路計画をたてる上で一つの目安になるのではないか?と思ったのだ。
そこで、3月下旬に修了式も終わり一段落ついた私は、ダンナとともに早朝から高尾山に登ることにした。
実は、私は歩いて高尾山に登ったことはないが、歩いて降りたことはある。高校生の頃だ。友達と話しながら楽しく降りた覚えがある。
が、少し登ってみて気がづいた。当たり前のことだけれど、高校生の頃よりも体力が格段に落ちている。かなりキツイ。全然話す余裕がない。マスクをつけながら登っていたから、かもしれないけれど。
一方、ダンナは余裕があった。「体力落ちているんじゃない?毎日歩かないとダメだよ~」等と言いながら。
が、結局、「登りの目安時間100分」と公表されているのに対して、山頂までたっぷり二時間はかかってしまった。
片道だけで、この遅さ…一般的な歩き時間より、私達はかなり時間がかかってしまうことがわかった。
が、山頂に着いた時点では、まだ、遅いのは私だけだった。
夫は「これから毎日歩いて訓練すれば?」というくらい余裕だった。
そういうんじゃないんだよなぁ…と、私は思った。
今の実力を知って、「それ以上になるように努力しよう」というのではなく、「その実力に見合った、無理のない計画をたてる」ということをしたいのだ。上から目線で「ここまで登ってこいよ」的に言われるほどなら、一人で回った方がいい。途中、別行動もやむをえないかな、と思った。
が、下りでそれは一変した。
膝の悪いダンナは、下りは苦手らしく、速度が全然出ない。まさに登りと逆だった。
当然、下りも時間がかかった。
やっとふもとに降りた時、ダンナもへとへとになっていた。
「歩き遍路は厳しいかもね」
勝った、と思った。
・車遍路という選択
そして、結局、車遍路をすることになった。
当初の、「長い距離は主要駅間でレンタカーを借りて移動する」ということから変えて、東京からフェリーで徳島に渡る計画にして、「自家用車で四国一周する」ということにした。
これだと、宿泊場所の選択肢も広がる。観光もしやすい。そしてなんと、トータルの旅費が随分節約できる。
3月末日で私は学校を無事退職し、4月1日、フェリーに乗って夫婦で車遍路に出発した☆
4月1日出発、というのは、キリがよくて何か気分がいい。
さらに、フェリーというのは、気分が上がる。海から徐々に四国に近づいていくのは、「これから旅だ~」という気分が盛り上がる。
結局、4月1日から4月末にかけて、お遍路をしながら四国で行きたい色々なところに寄り道をして観光もし、帰りは短時間のフェリーを乗り継ぎながら帰ってきた。
・お遍路をやってみて
結果、お遍路は細い山道が多く、「車遍路は運転する人がめちゃくちゃ大変」ということがわかった。運転免許がない私は、実質何もしていない。が、何もできない、ともいえる。何も手出しができず、ただ運転する人に運命を委ねて無事を祈るだけ、というのは、それはそれで大変なことなのではないかとも思う。ひたすら対向車が来ないように、無事に細い道を抜けることができるように祈っていた。けれど、はたから見ている分には、何もしていないのと同じだ。
お遍路中に私がしたことで見てわかることとしては、「一寺一首」と決めて、思い出を短歌にして詠んだこと、くらいだ。
八十八もお寺を回ったら、何も記録しなければすべてごちゃまぜな思い出になってしまいそうな気がしたからだ。これは、よかった。おかげで、その時に作った短歌を見ると、各寺のことをすぐに思い出すことができる。いい思い出になった。
今回、お遍路をやってみて、美味しいものを食べたり綺麗な景色を観ることができるなど楽しかったこともあるけれど、毎日毎日参拝をしてお経を唱えまくる、おおむね仕事のようだった。終わってみると、仕事をやり終えたような達成感。さほど信心深いわけではないけれど、それなりに神仏への畏敬の念はあるという、説明しにくい立ち位置での、「よいことをした」感覚。すっごく何かが変わったわけではないけれど、でも、やってよかった。今回結構貯金を使ってしまったけれど、でも、これから先、めちゃくちゃ貧乏になってお金がなくなってしまったとしても、お遍路に出かけたことは後悔しないだろうと思った。まさに、夫婦そろって無職になることができたタイミングで、今しかできない貴重な体験ができた、と思う。
東京に帰る道は、綺麗に晴れていて、進む道の真正面に富士山が見えた。
~帰り道 富士裾野まで正面に 向かいて進む いざ東京へ~