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【映画】これぞ橋本愛!「熱のあとに」感想(ネタバレあり)

 予告編を観てから公開日をチェックして楽しみにしていた映画「熱のあとに」を、やっと観に行くことができた。印象に残ったことをネタバレありで書いておきたい。

サイン入りポスター

 ホスト殺人未遂事件にインスパイアされたという映画。山本英(あきら)監督が、商業作品第一弾として撮った映画だという。
 なんといっても、主人公の小泉沙苗を演じる橋本愛がすごくイイ。
 まっすぐ自分が正しいと思うことを信じていて、それがゆえに自分も周りも傷つけても、とにかくまっすぐ生きて行こうとするような役にハマる。周りからみたら狂気じみていたとしても、自分を貫いて凛と立つような佇まいが似合う。雰囲気がすでに文学的。
 
 沙苗の結婚相手である小泉健太役、仲野太賀も、イイ。
 オマール海老の食べ方からして、銀行員っていう感じじゃないなぁ~と思っていたら、本当に違っていたのが、面白い。かしこまったお見合いの場で、あんな風に手づかみでオマール海老を食べることができたら、生きやすいのかもしれないなぁ~と思った。けれど、そうでもなかった。人それぞれに、その人なりの地獄はある。
 沙苗(橋本愛)に初めて会った時に「何でそんな死んだ目してんすか?」と聞いたのに、沙苗と生活していくうちに健太が死んだ目になっていくのも面白い。
 沙苗(橋本愛)が自分を刺そうと思ったことがないことには落胆したけれど、自分を勝手に愛してしまっている同僚の女、宇佐美美紀(鳴海唯)には全く興味がない。興味がないくせに、一緒に死のうとする。自分だけが目覚め死にきれなかったと気づいたとたんに、テーブルに伏せて動かない女のために「救急車を呼ぶこと」だけはして、自分は女に呼びかけもしなければ触りもせずに立ち去ろうという、中途半端すぎて最悪に冷たい態度をとる。

 2年前に映画「わたし達はおとな」で初めて観た後、色々なドラマで色々な役を演じるのを見かけて気になっていた木竜麻生(きりゅうまい)も出演していた。「わたし達はおとな」とは全く違うタイプを演じている。沙苗が夢中になったホスト隼人(水上恒司)の妻、足立よしこ。イヤなヤツ加減が絶妙。そして、最初に「一応、結婚しているんだ」とマウントをとっていたのに、離婚した後に、隼人が沙苗を誘ってきたことによって、立場が逆転しそうになる時が、イイ。
 沙苗(橋本愛)と足立よしこ(木竜麻生)のシーンでは、懺悔室での2人が映画の批評としてほめられがちなようだけれど、私は、暖炉の前での、健太も含めた3人のシーンがすごく好き。今まで強がってマウントとっていた足立よしこが崩れる瞬間が、燃えていく靴とともに印象に残る。あの場面があったからこそ、沙苗は隼人と決別することができたのかもしれないとも思う。

 健太の職業が、最初は不動産屋さん設定だったのを、実態のない感じがする沙苗に対して「実態を持っている人」として、生きている木を扱っている人物がいいという話になって林業設定にした、とパンフにあったけれど、確かに、健太の林業設定はよかったと思う。木を切るシーン、木が切られるシーンは、文句なしに惹きつけられるし、東京(歌舞伎町)との対比としても効いている。健太と隼人の対比にもつながる。

 プラネタリウムでの、沙苗と隼人、二人の顔がアップになるシーンも印象的だ。隣で、顔を近づけてはいるけれど、違う方向を見ている。沙苗(橋本愛)は、近くで泣く子どもを無視して話し続けるけれど、かといって隼人(水上恒司)の方を向いているわけでもない。隼人の存在も関係ないように、独り言のように話し続ける。どこにも向かっていない。そして、隼人もまた、沙苗を見ているわけではない。抱きしめても冷たい感じ。涙を流していても、生々しさが全くない虚無的なハグ。ずっと好きだった人から抱きしめられても。結局話の終わりが夫になる不思議。会話の流れで不本意ながら、というのでもなく、独り言のような問わず語りなのに。そして、それがラストシーンにつながる。

 最後のシーンは、最初、よくわからなかった。自動車を運転する人じゃないとわからないと思う。アクセル?ブレーキ?どういう意味?と思って、思わずパンフを買ってしまった。
 そこで、パンフレットで「story」を読んで、よくわからなかったレバーが「サイドブレーキ」だということが判明したので、「まわりからクラクションブーブー鳴らされているけれど交差点の真ん中で止まっている車で、運転している人がサイドブレーキを引き上げる、って、どういう意味?」と免許をもっている夫に聞くと、
 「意地でも動くもんか、っていう意味かな?その状況なら」
 とのこと。
 映画を観ていない夫の答えを聞いて、やっと意味がわかった。そっちか、と。
 オシャレな終わり方ではあるけれど。

 パンフを買って読んでもわからなかったことがある。
 足立よしこは死んだのか?
 早朝、ボートに乗っていき、オールを捨てて漂う。その後、若い男女が、空のボートが岸に漂ってくるのを見つける。~一連の出来事をつなげて考えると、身投げしたように思うけれど、どうなのか?
 「現実を馬鹿にしないでよ。過去は終わったの」と、かつて隼人の妻であった頃に言っていた足立よしこが、離婚したという現実&離婚した後に隼人が誘ったのは沙苗だったという現実&沙苗に「会いに行かないで」と懇願することしかできない自分に絶望して身投げするということは、充分ありそうだ。沙苗に放ったキツイ言葉が、すべてブーメランとなって自分を刺したのだろう。
 「妻」という立場ほど不安定なものはない。離婚すれば他人だ。現実は現実だけれど、いつでも変わり得る現実をよりどころにしてしまうのは不安定だと思う。

 あ、あと、沙苗の服装についても。
 最初、入院患者であるかのような、白い色の服ばかり着ていた沙苗が、健太と生活していくうちに次第に色味のある服を着るようになっていくように思えたのだけれど、服の色について、意識して変化させていったのか?何らかの意味を込めたのか?自分の中だけで生きているような沙苗が、地に足ついていく感じが、服装の色でも表現されているように思えた。
 自分を「檻に入れるため」に結婚したという沙苗だけれど、実際は健太と結婚したことによって「隼人という檻から出ることができた」のではないか?本当は、過去の方が「隼人という檻」に入っていたのではないか?「隼人との間にあるモノこそ愛」という切羽詰まった想いこそ「檻」なのではないか?
 檻というより鎖のような雁字搦め感。
 健太の存在を見つめ直すことによって、最後にオセロがひっくり返るように、過去の「(隼人への)愛」を疑うようになったのではないか?ラストシーンで見つめ合う二人に、オセロがパタパタと引っくり返されていく音を感じる。世界がひっくり返っていく音。
 隣にいてもお互いを見ていない隼人との関係との対比として、お互いをひたすら見つめ合う健太とのラストシーンは強烈だ。
 とはいえ、隼人という檻から出て健太という「新たな檻」に入っただけ、という感もある。クラクションを浴びながら見つめ合う二人がいる「車」は、「檻」のようでもある。

 印象に残るシーンの多い映画だった。でも、何より、橋本愛のインパクトがすごい。正しい橋本愛の使い方、という感じ。これぞ橋本愛!

パンフレット

 


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