自分の感情に正直に生きる。だから自分の人生に責任を持つ
僕はフリーランスになると決めて以来、大事にしている3つの価値観があります。
・どこまでも我儘でありたい。同時に、人の我儘を許容し、人の良い部分を見られる人間でありたい。
・自分の直感を信じて、軽やかに生きる。
・バランスよく。柔軟に。しなやかに。
今回は1つ目の前半「どこまでも我儘でありたい」ということについて、少し書いてみたいと思います。
「我儘でありたい」 = 自分への意思表示
我儘であるとは、自分勝手すると言うことではなく、漢字の通り「われ」の「まま」であるということ、つまりは「自分らしくある」ということです。
あえて「我儘」という、誤解を招きかねない書き方をしているのにも、自分なりの意味を込めています。
過去の僕は、自分を押し殺し、人に合わせて生きてきました。
ここでは詳しくは書きません。語ると長くなるし。
自分に嘘をついて自分を傷つけてきたし、苦しんでもきました。結果的に、それで人を傷つけもしました。
だからこそ、そんな過去の自分を振り切りたくて、「我儘」という強い言葉をあえて選んで使っています。「わがままでも良いんだ」って、思えるように。
だから、「自分らしさ」という概念は、僕にとって何よりも大切で、重要なテーマです。
1記事ではこのテーマについて語り尽くすには足りないので、今回は「自分らしくあるとは」ということだけに絞って、少し筆をとりたいと思います。
現代社会は「個性」や「多様性」の時代
「自分らしさ」というテーマについて、今回noteを書くきっかけになったのはこちらの竜崎さんの記事です。
ほぼ全面的に同意です。
竜崎さんの記事から一節を引用します。(※ 竜崎さんの記事の趣旨については、ぜひ全文を読んで欲しいです!!)
”なんだか今の世の中は、あたかも「個性的でいなければならない」「自分らしくいなければならない」と思い込んでいる人が多い気がする。近年よく聞く「多様性」という言葉も、簡単に言えば「自分の個性を大事にしなさい」というメッセージが含意されている。自分は自分らしくあれ、というわけだ。”
また、こんな文章もありました。
”現代は、個性的でいなければならない、自分らしく生きなければならないと感じている人に対して、個性や自分らしさをパッケージ化して売りつけているのだ。”
記事の中であったように、「個性」「自分らしさ」「多様性」などが社会的に重要視されるようになっている一方で、それが分からずに悩み、迷っている人も増えている。
「個性的に生きる人」や「自分らしく生きる人」の、魅力的なロールモデルを次々に投げかけてくる現代です。そのせいで逆に自分らしさを見失ってしまう人もいると感じます。
では、そんな社会の中で「本当に自分らしく生きる」にはどうしたら良いのでしょうか?
「自分らしく生きる」とは?
僕は、「自分らしくあること」=「あるがままであること」を、次のように捉えています。
自分の「興味の対象」や「好き」「嫌い」と言った、あらゆる感情を自ら認識し、肯定してあげること。そして、感情を言葉や行動に変えて、表現すること。
僕は、長所や特技などは「自分らしさ」と関係ないと思っています。キャリアやスキル、経済力、ステータスなどもです。
むしろそれらは、「自分らしく生きること」から自分を惑わす要素ではないかとすら思います。
つまりは、自分らしく生きるとは「自分の内側から巻き起こるものに正直に生きる」ということだと思うのです。
あるがままでいるためには、努力や覚悟が必要
ただし、自分らしく、あるがままに生きるためには、努力や覚悟が必要です。
自分を知ること。環境を整えること。仕事を選ぶこと。付き合う人を選ぶこと。
自分らしくあるためには、あらゆることに対して「自分のことは自分で決める」という意思が必要です。それはつまり、「自分の人生に責任を持つ」ということでもあります。
もちろん、それは誰にでも言える当たり前のことです。当たり前のことなんですが、それを自覚していくことがとても大事な意味を持つと思うんです。
例えば「自分らしく働く」ことを例に考えてみます。「自分らしく働く」って、具体的にはどういうことでしょうか。自分らしさは十人十色ですので、具体化すればその答えは人それぞれ変わるはずです。
同じ時間に出勤し、作業を一日こなし、同じ時間に帰る。時には、必要だから残業する。仕事自体は繰り返しの作業かも知れないけど、職場では頼りにして貰っているし、可愛い部下もいる。給料もそれなりに貰えている。
高校の友人にはすごい企業で頑張ってるやつとか、フリーランスでバリバリやっているやつもいて、いつも「すげえなあ」とは思うけど、俺はなんだかんだ今の職場で満足してる。
一人暮らしで家にこもり、自分の作りたいアプリを開発・リリースしている。人と会うことは少なくて、静かに自分のやりたいことに打ち込める今の働き方が性に合っている。
まだまだ作りたいアプリがあるし、Webサービスの開発・運営もやってみたい。
有名な大手企業に勤めて、やりがいを持って仕事に取り組めている。尊敬する先輩にはまだまだ遠く及ばないけど、あんな素敵なロールモデルになれるように、もっともっと頑張りたい。
夫婦で美容室を経営している。店舗拡大や2店舗目の出店は考えてなくて、この自分のお店を大事にしたい。
無理に大きくすることより、今うちを選んで来てくれているお客さんを大事にしたいし、今うちで働いてくれている社員たちにも、ここで働いてもらっている限りはできるだけ楽しく仕事してもらいたい。
一例ですが、どれも自分らしい、素敵な働き方だと思うんです。
結局大事なのって、「何をするか」とか、「いくら稼いだ」とか、「どんな働き方か」とかじゃなくて、自分のことを知って、自分が納得する働き方をすることだと思います。
だから逆を言うと、自分らしく生きたいと思えば、自分が納得できないのなら環境や職場、あるいは自分自身を変えていかなければいけません。たとえどんな収入や立場、人間関係を持っていても。
だから責任がつきまとうし、時には大きな努力や覚悟が必要です。
これは働き方の話でしたが、他のことについても一緒です。自分らしく生きるには、努力や覚悟が必要だと思うんです。
自分の道は、自分で切り開く
努力や覚悟とは言いましたが、だからと言って「厳しさや大きな苦しみを味わう必要があるぞ!」とか言いたいわけではありません。
自分の感情に正直に生きたい、自分らしさを発揮したいと思うなら、それに到るための道は自分で切り開いていかないといけないよ、というだけです。
どんな道を選んだって苦労はあるし、楽な生き方とか、楽しいだけの仕事なんてないよってことでもあります。
僕は自分が自分らしくあれる場所を見つけられなかったから、自分で作りたい。ただ、それだけです。自分の感情に正直に生きていたい。
もし同じように感じる、何かを変えていきたいと思う方は、まずは自分の興味や感情の動きを見つめてみることからはじめてみるといいのかな、と思います!
どこまでも我儘でありたい。だからこそ
でも、「社会」の中で自分の感情ばかりを突き通してたら、本当にそのまんまの意味で「わがまま」な人、はた迷惑な人になっちゃうと思います。
結局、自分で好きになれない自分になっちゃうと思うんです。
それに、自分らしさに捉われすぎていると、いつの間にか小さくまとまっちゃうし、意固地な人間にもなってきちゃうとも思います。
だから、僕が大事にしている価値観は
・どこまでも我儘でありたい。同時に、人の我儘を許容し、人の良い部分を見られる人間でありたい。
・自分の直感を信じて、軽やかに生きる。
・バランスよく。柔軟に。しなやかに。
の3つなんです。
また近いうち、続きの「人の我儘を許容し、人の良い部分を見られる人間でありたい」について書いてみたいと思います。
もっともっと自分らしく、イキイキと生きていたい。それに、 僕と同じように感じる方が、少しでも自分らしくあれるようになって欲しいし、それを実現しやすい社会になって欲しいな、と願っています。
ー充紀
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!