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解き放たれた性より 第1話
解き放たれた性より
“男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。男が女を愛するのは、それがもっとも危険な遊びであるからだ” ニーチェ
“愛することによって失うものは何もない。
しかし、愛することを怖がっていたら、何も得られない“
バーバラ・デ・アンジェリス
少し前から雨が降っている。勢いよく地面をたたく雨がカーテンを揺らす。いい雨だ。夕立が起こした風は優太朗の五感を刺激する。優太朗はなりゆきの風に乗って居心地の良い世界へ誘われていく。そうこの感じ、いつまでもこの感じが続くといい。
手にしていた本を棚に戻し、ノートパソコンに視線を戻す。
人生とは壁を乗り越える作業の連続である
壁は乗り越えるためにある。
若いころは苦労を惜しむな。苦労を知っている人間は人にやさしくできるのだから。
人を信じるということはチェーンの外れた自転車をこぐようなものだ。
異性との愛と同姓との友情はライバルだということを忘れるな。
愛に負けることも人生にはあるが、その時は一人友を失う。
博打と不倫は似て非なるものだが失うものは同じだ。
自慰よりセックスがいいように思えるのは自慰の良さを知らないお馬鹿さん。
自慰の多様性を知ったら猿を馬鹿にできない、猿に笑われるぞ。
「これくらいでいいかな、今日は。雨が気持ちいいし」
そう言って優太朗はパソコンを閉じる。明言は作ろうと思っても作れないのか。毎日が格闘だ、言葉との。明言は長すぎても短すぎてもよくない。程よい長さの中に、来世へ語り継がれるような深い意味がなければならない。悲しみの底にいてもその言葉を聞くと生きていく勇気を得られる。そんな言葉を探し、紡いでいくのはつらい作業だ。
こんばんは、こんにちは、おはようございます。優太朗は毎日普通の挨拶をするのが最近面倒だと思っていた。パソコンに言葉を打ち込むのは何ともないが人と対面して話すのは疲れが倍増する、いや10倍くらい億劫だ。
昨日は彼女のかなえが待ち合わせ場所で、夕方なのに開口一番「おはよう」と言ったから、面倒だなと思いながら、「おはよう、今日も素敵だね。あれ髪型、昨日までとちがうじゃん、いいね。それとそのシャツ、色、とてもいい。あーそうかこの前グリーンのシャツ欲しいって言ってたね、買ったんだ。すごく似合ってるよ。今日は晴れてるから、より光って見えるね。肌もぴちぴちだし」
そこまでしゃべったところで
「いいから、それより早く入ろうよお店」
と渾身の力を込めて綴った言葉はいとも簡単にさえぎられてしまった。優太朗はまだ話足りなかったがかなえが止めたからやめた。話すのが面倒だが、自分の思ったことは話したい。かなえから矛盾していると言われたけど、そうかな、優太朗は自分にしてはよくできた考え方だと思っている。
かなえとはイタリアン料理を楽しんだ。シャンパンとワインも飲んだ。雨が起こした風は優太朗の心も揺らしていた。夕立のいい感じの延長戦がそこにはあるはずだった。
かなえとは付き合い始めて3年になる。そろそろ結婚も視野に入れないといけない。我思う。などと考えを巡らせていた。
かなえは同じ洋服メーカーに勤める後輩だ。優太朗は30歳、かなえは27歳だ。九州から大学進学の時に上京した優太朗は、そのまま東京に居残り大手の洋服メーカーに就職していた。
3年後輩のかなえとは同じ部署になり、会社のイベントで意気投合し、交際が始まったのだった。
“我が社にも、まかれた種から花一凛。花弁を積むのも積まぬのもあなた次第”
かなえに告白する際、心にしたためていた言葉だ。なかなか気に入っていた。あれから3年経つのか。いい感じで歩んできたのではないか、そう優太朗は思っていた。
この日はかなえの企画したプロジェクトが無事に完了したため慰労会を兼ねてイタリアンレストランを予約していた。
シャンパンが店の間接照明を反射し、2人の間に甘い空間を演出する。静かにとどまっていた空気を揺らしたのはかなえだった。
「あのさ、私別れようと思ってるんだ」
かなえが水でも飲みたい、とでもいうように言葉を発した。生活の一部に染み付いた習慣のように。
「何と?」
飲みたいと依頼された水を差しだすように優太朗も聞き返した。
「あなたと」
「へえ」
と言ったが思わずパスタをかき混ぜていたフォークを止めた。かなえの目を覗き込む。かなえが笑った。つられて優太朗も笑った。
「ザ、ほほえみ返し」
そう言いながらもかなえの目の奥が笑っていない。
「わーやられたー」
優太朗は大げさに体を後ろに倒して見せた。
ということで3年付き合っていた彼女、かなえとの別れは突然やってきた。そのあと仕事のこととか今後のことについて話をしたと思うが、優太朗は何も覚えていなかった。
「万事休す」
「え?何か言った」
レストランを出た通りで、かなえが心配そうに聞き返した。それがかなえと交わした最後の言葉だった。
かなえと別れ最寄り駅まで一人歩く。10月の風がやけに冷たく感じた。部屋に戻り本棚をあさった。
“当人が偉大になればいい。そうすれば恋のほうから必ずあとについてくる” エマーソン
なんかしっくりこないな。偉大になるころには人生が終わってる、いや生きているうちになれないだろう。
「この言葉には愛を嘆く前に、偉大にならなければならない、という愛より困難な作業があるではないか」
“ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋だよ” シェイクスピア
ほどほどだったんだけどな。明言の中にも適当なものがないとは言えないな、そう思いたい。
“愛されることは幸福ではない。愛することこそ幸福だ” ヘルマンヘッセ
こっちかなあ。
「ヘッセよ君は誰より有能な助言者だ」
優太朗はそう言ってパソコンに打ち込んだ。
「今日から我は性から解放されるのだ」
なかなかいいな。両肩をぐるぐる回しながら独り言ちた。
「よし完敗だ、いや乾杯だろ」
そう言って一人笑いながら優太朗は冷蔵庫を開け缶ビールを取り出した。
「どうしようモテたら。あら優太朗さん今日のシャツおしゃれ、どこで買ったの」
缶ビールのフタを開けると勢いよく泡が噴き出してきた。
「いや大したものじゃなくてよ」
あふれる泡を口で受け取りながら目を細めた。
「それより今晩空いてる?ちょっと相談したいことがあって」
「ああいいに決まってる。いつでも空いてるよ、何せ俺は性を開放したんだから、いや性から解放されたといったほうが適切か?まあどっちでもいい俺は自由な雄になったんだ」
「雄?まあ、素敵、じゃあ楽しみにしてるわね」
会社で一番人気のレイナが、優太朗の言葉に思わず唾を飲み込む。彼女はウインクするとおしりを振りながら席に戻っていく。なかなかいいものだな性から解放されるのも。
そんな想像をしながら缶ビールを一気に飲み干した。 続く