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遠望9
山の中に住む残留アメリカ兵とその妻についに会える。
途中で買った豚肉とお米をパウラの背中の袋に入れて美貴が先頭、康一がその後で歩いている姿を撮影しながら上がっていった。六本のワインと茄子の漬け物は大筒、三宅、姫野で分けて背中のリュックに入れて運んだ。大筒と姫野は杖を用意していて、その効力に感謝していた。緩やかな坂で、木々が茂り直射日光がさえぎられている道だが一時間という時間が運動不足の体をいじめていた。
普段は六十分で登るという美貴だが撮影チームを振り返りながら彼らのペースに落として登った為に七十五分かかって山の家に着いた。美貴と康一の後に続いて最初に山の家の敷地に立ったのは三宅だった。続いて姫野が来て、大筒はさらに五分ほど遅れて到着した。想像よりも大きな作りに三宅と姫野は圧倒されていた。映像チームもどこから映せば全貌が撮れるのかと悩んでいるほどの大きさだった。美貴が家の中に入って行ったのを見て康一が説明した。
「実際の大きさよりも大きく見えるのは苔や蔦だけではなく、実際に壁や屋根から木が生えているからです。三階建てのように見えますがこれで平屋なんです」
丁度上がってきた大筒がそれを聞いて、
「カメレオンの擬態のような。アンコールワットで発見された遺跡が、長い年月で自然と一体と化していたようなそんな雰囲気がでていますね。三宅、君にはどう見える?」
「う〜ん、家、というより森の一部ですね。森の中に完全に溶け込んでいますね。凄い」
姫野は小さく「美しい」と呟いた。
三人の意見を聞いて康一はしゃがみ込んで土を一握り摑み取って丸めて家に投げた。
「父がこうやって土の中に色んな植物の種を混ぜ込んで壁や屋根に投げつけたんです。それでこんな状態になったんですね。私が二十歳の頃はすでに緑に覆われていました」
その緑の一部が開いて美貴が姿を見せた。右手にはお爺さんの手を引いている。
森の入り口が開き、時空を超えて平和を愛する静かなる巨人が表れた。
「大きい」と姫野がつぶやいたが、それ以上に胸板の厚みが凄いと三宅は思った。
撮影スタッフをぐるりと見回し、白く伸びたあご髭を触り右手を上げて、
「ハロー!」
と甲高い声で挨拶した。
「もう、お爺ちゃんたら!」
美貴が右ひじで脇腹を軽く突くと舌を出して笑った。
「ハローなんてわざと高い声出しちゃって。普通の声を出して!」
右手を手摺りに添えながら五段の階段を下り、小さな花壇の前で美貴に振り向き両手を拡げ、
「だって美貴、六十何年住んできた私たちにとって、初めてのお客さんなんだよ。それも美貴が連れてきてくれたお客さんだ。家族以外にハローって、初めて言ったし。こんなに嬉しいことはないよ」
そして三宅たち撮影スタッフに向いて、
「いらっしゃい。ようこそ私と妻の家にお越し下さいました。皆さんをとても歓迎します」
三宅も大筒も姫野も唖然としていた。撮影チームは唖然としながらもカメラを廻していた。姫野が三宅の顔を見て、三宅が大筒の顔を見て、大筒がそれに気づいてお辞儀をした。
「初めまして。私たちは地元の群馬放送というテレビ局のスタッフです。美貴さんの紹介でお爺さまの撮影に参りました。六十数年、この山の中で奥様と暮らして来られたと聞いております。その間の諸々、色んな事をお聞きしたいと思っています。了解を得る前からカメラは廻っておりますがお許し下さい。最初のご挨拶はどうしても撮りたかったものですから。ですが、いきなりのハローには私たちは大変驚きました。もしかしたら何も話してくれないかも知れないとも思っておりましたので」
風が吹いた。その風は建物を覆う緑の葉を奥から手前までふぁ〜っと触った後そこにいる全員の頬をひとしきり優しく撫でて止まった。撫でられた頬がむず痒かったのか、彼は両頬をさすりそのまま顎ヒゲを揉むように挟んで笑った。
「いや〜、僕はとっても嬉しいよ。カメラはちょっとドキドキして怖いけど。でも六十年以上過ぎてやっと家族以外の人たちと話しが出来てホントに嬉しいんだ。お茶を入れる為に奥さんがお湯を沸かしているのでそれまで家の廻りを案内しましょう」
円形の小さな花壇がいくつもあり、その間を歩きながら花の説明をしている姿に年齢を感じさせないのは背筋が真っ直ぐに伸び、歩幅が大きいからで動画に映っていたステッキは本当に転ばぬ先の杖だったんだと三宅は思った。
「家の正面は花がメインです。そして向こうは野菜畑です。いっぱいありますよ。無いのはお米とコーヒーくらいかな。お茶も育てています。鶏もいるから卵は毎日取れます。あそこに見えるのは風車です。電気を作っています。ジェネレーターもあるけどガソリン重いからね。風車と裏の小川に水車を作ってからはそれだけで充分です。康一と正一と私の三人で作りました。水はその小川から引いています。ここの水は美味しいよ。あとでお茶飲んだら分かります」
嬉しそうに饒舌に話す祖父を見て美貴は、三宅達を連れてきて良かったと思った。六十数年ここで生きてきて、人生の終わりに表に出てみたいと考えているのかも知れない。父が何となく感じていたのはやはり正しかったのだ。
森の入り口が再び開きお婆さんが出てきた。
「お茶が入りましたよ。さぁどうぞ、中へいらっしゃい」
「皆さん、僕の奥さんの由季子さんです。優しい優しい奥さんです。中に入ってお茶を飲みましょう」
入り口の近くにいた三宅が階段の下から挨拶した。
「初めまして。私たちは群馬放送局のスタッフです。お孫さんの美貴さんに案内されてお邪魔しております。素晴らしいご自宅ですね。森と一体となっていてとても感動しました。美貴さんと息子さんの康一さんからお二人の出会い等簡単な事はお聞きしました。とても興味深いことでしたので、色々お聞かせていただきたいと思いました。よろしくお願いします」
「まあまあ、とりあえず中にお入りになられて下さい。ご挨拶は中でいたしましょう。ロバート、皆さんをご案内して」
三宅も大筒も姫野もそこで初めて彼の名前を知った。